「あ……っ」
ジネットが声を漏らした。
そして、手紙の一番下。差出人の署名を指さす。
そこに書かれていた名前は――
『 オルキオ 』
――はて、どこかで聞いた名前だが……
「オルキオさんは、お祖父さんのご友人で……」
「あっ!? 旧陽だまり亭常連の『しわくちゃ戦隊ジジババファイブ』の一人か!?」
「そんな名称は付いていませんけどもっ!?」
ムム婆さんの計らいで、再び陽だまり亭に集まるようになった連中がいる。
全員、ジネットの祖父さんの友人で、かつての陽だまり亭の常連客だった連中だ。
「けど、同じ名前ってだけかもしれないぞ」
「手紙を見てみましょう。何か手掛かりが書かれているかもしれませんっ!」
「えぇ……」
結局読むのかよ…………しょうがない。神経を集中して…………読むっ! やっぱ無理っ!
開始十一文字で挫折した。
もう、紙全体からバブル期の香りがするんだもんよ……『君の瞳はダイヤモンドよりも美しい』だぞ? 無理だろ?
「あっ、ヤシロさん! これを見てくださいっ!」
俺の分をカバーするかのように、まるでむさぼるように手紙を読んでいたジネットが興奮気味に俺を呼ぶ。何かを発見したようだ。
考古学者が石板から新事実を解明した瞬間って、こんな感じなんだろうなぁ……
「ここに、コーヒーの話が書かれていますっ」
俺からすれば霞み目を誘発するような難解な文字列を解読し、ジネットが有力な情報を手紙の中から見つけ出す。
「ヤダよ~もう見たくないよ~」と拒絶反応を示す脳みそをなんとか説得し、痛む頭と心臓を押さえて瘴気を撒き散らす毒文章へと視線を落とす……と、確かにそこには『コーヒー』という文字が書かれていた。
「……で、なんて書いてあるんだ?」
「え? いえ、ここを読んでいただければ……」
「ごめん無理。内容教えて」
「えっとですね……『あまねく星々の見守る世界の中で僕は……』」
「あぁ、ごめん。現代語訳してから教えてくれるかな? お前なりに噛み砕いて、分かりやすい言葉で頼む」
「えっ……と。は、はい。やってみます…………」
そのまんま音読なんかされたら鼓膜が溶ける。
なんだよあまねく星々の見守る世界って……
「つまりですね、オルキオさんは、シラハさんに会えず寂しい毎日を過ごしていたのですが、最近になって一つ、心が躍るような出来ことがあって、それが…………」
と、そこで言葉を止め、ジネットは震える息を漏らした。
表情を窺うと、少し泣きそうな、とても嬉しそうな顔をしていた。
「……かつて入り浸った店で、あの頃のコーヒーが飲めるようになったこと……だと」
ほんの少し声を詰まらせて、けれど懸命に声を出して……
「に……二代目のコーヒーは…………先代の味を、しっかりと…………再現している……と」
それが、ジネットにとっては何よりも嬉しい褒め言葉なのだ。
祖父さんが淹れてくれた思い出のコーヒー。ジネットにとっては特別な、思い入れの深いコーヒー。
当時を知る常連客が、今のジネットのコーヒーをそれと同じ味だと認めてくれたのだ。
そりゃあ嬉しいだろう。何物にも代えがたく。
「ぐすっ……あ、すみません。……はい、もう平気です」
まぶたを軽く押さえ、ぬぐい、息を吐いて……ジネットは笑みを浮かべた。
もう泣いてはいない。その喜びは、ジネットの心へとしっかり納められたのだろう。
「あは……すみません。やっぱり、顔が元に戻りません」
「いいよ。嬉しかったんだろ」
「はい。……あ、でも、これで可能性はかなり高くなりましたね」
「あぁ。これで、確実に捕まえられる……」
そして、今すぐ四十二区に飛んで帰って、老い先短いジジイの老い先を今すぐシャットアウトしてやりたい。
「帰ったら、お前の分まで殴っといてやるな」
「なんでですかっ!? やめてくださいね!? そんなに頑丈な方ではありませんので!」
なぜと聞くのか!? 理由が必要か? こんな瘴気を放つ危険物を量産するジジイなのに!?
頑丈ではないからこそ、とどめを刺せるというものではないか……まぁ、ジネットがそう言うならやめておくけども。
こんな有害物質を生み出し続ける悪の芽は、早めに摘んでおいた方がいいと思うんだけどなぁ。
「とにかくですね、コーヒーはあまり飲まれず、一部の愛好家さんたちしか嗜んでいないと、以前アッスントさんが言っておられました」
そういえば、そんな話があったな。
おかげで、俺はこの街にコーヒーが存在しないのだと思い込んでいた。
「ですので、このシラハさんの旦那さんが最近もコーヒーを飲んでいらっしゃるなら、常連のオルキオさんである可能性は高いですよね」
「まぁ、そうだな」
一度帰って話を聞いてみるか。
もし人違いでも、『コーヒーを飲んでいるオルキオ』という人物なら、すぐに見つけ出せるだろう。
アッスントに頼んで、コーヒーを買っている人間を紹介してもらうことだって可能だしな。
「…………あぁ……切ない」
「はふぅ…………いいですね」
エステラとウェンディが熱っぽい吐息を漏らす。
……嘘だろ? 嘘だと言ってよ…………
二人は、俺から受け取ったオルキオの手紙を読んだらしい。
……アレのどこにときめく要素があるんだよ?
俺なんか、いまだに鳥肌が収まらないというのに……
この辺り一帯、昭和の名残が強過ぎやしないか?
ここらの街並みといい、ナウい文章といい……まぁ、別にいいんだけども。
「よし! じゃあ、やることは決まったな」
毒文章はもう用済みなので、記憶から抹消して……っと。
俺は前向きに話を進める。
「俺は四十二区に戻ってオルキオに会ってくる」
「はい。では、わたしはシラハさんに喜んでもらえるダイエット食を考え、ニッカさんに伝授しますね」
ジネットは、今日から二泊三日か……
「……大変なことがあったら、すぐに俺を呼べよ」
「ありがとうございます。……けど、きっと大丈夫ですよ」
「そうか」
逞しくなったものだ。
……俺も、少しは成長しなけりゃな。
「なんなんダゾ!? 呼んだり追い出したり、忙しないダゾ!」
「ワタシたちの扱いに関して物申したいデスネッ!」
騒がしい声が室内へと入ってくる。
さてと……とりあえず、帰る前に、あの二人を説得するかね。
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