「ロレッタは……四十二区を離れようかと考えていると、ボクに言ったんだ」
ジネットが、音のない悲鳴を漏らす。
マグダも、無表情ながらも視線を逸らさず話を聞いている。尻尾がゆっくりと揺れている。心の持っていきどころを探っているようだ。
「失敗続きで、陽だまり亭をクビになると思ぅたんかいなぁ?」
重苦しい空気の中、レジーナが軽い声を出す。
ふざけているのではなく、おそらく、思い詰め過ぎているジネットとマグダに配慮してのことだ。
そして、レジーナ自身も分かっているはずだ。ロレッタがそんなことを言った理由が。陽だまり亭をクビになるなんて思っていないことも。
「……ロレッタは、陽だまり亭が大好き。そこにいるみんなのことも」
俺が説明をしようとしたのだが、先にマグダが口を開いた。
誰もが理解してはいるであろうことを、あえて明確に言葉にする。
「……自分のミスをくだらないミスだと思っていればこそ、ロレッタは『自分から』陽だまり亭を去るべきだと……そう考えてしまう」
「だろうな。俺やジネットに負担をかけないために」
「……わたしたちに、『ロレッタさんを追い出した』という負い目を、感じさせないために…………ですね」
「……ロレッタのミスなんて、マグダたちがいればいくらでもフォロー出来る小さいもの。誰も責めない――少なくとも、それで辞めてほしいなんて思わない」
「だが、その小さなミスをどうしても許せないヤツが一人だけいた。それが――」
「ロレッタさん……なんですね」
陽だまり亭のメンバー間で視線が飛び交い、そして揃って頷く。
俺たちの認識は間違っていない。それを確認し合う。
「そして、陽だまり亭が大好きなロレッタは――」
俺たちの話が終わった後、エステラが静かに総括を述べる。
「――陽だまり亭で働けなくなった後、四十二区に留まっていられる自信がなかった。四十二区にいれば、どうしたって陽だまり亭の話は耳に入ってくる。……その中に自分がいられないなんて…………つら過ぎるんだろうね、ロレッタにとっては」
自分で居場所を手放すしかないと暴走し、なのに居場所がなくなることを恐れている。
それもこれも、無理な食事制限によるネガティブ思考のせいだ。
「……ったく。どいつもこいつも、学習能力のない……」
思わずため息に混じって悪態がこぼれ落ちてしまった。
まぁ、しょうがないだろう。
どいつもこいつも、揃いも揃ってバカばかりなのだから。
「以前、デリアが陽だまり亭に顔を出せないと泣いていたことがあったよな」
「あぁ。水不足でミリィや他のギルドの人間と対立した時だね。『ヤシロに怒られるから』って」
自分で勝手に逃げ出して、自分の居場所を放棄して、でも捨てきれずに縋りたくて、出来なくて、泣いていた。
今回も一緒だ。
「お前もお前だぞ、エステラ。なに黙認してやがったんだよ、こんなこと」
「まさか、こんな事態になるだなんて思っていなかったんだ。……その、ボクも、たまに食事制限はしていたし、そういう時に仕事のミスをしてヘコむことも…………だから、気持ちが分かるというか………………うぅ、悪かったよ」
エステラの言い訳を睨みつけながら聞いていると、観念して頭を下げてきた。
そうだ。今回、ここまで大事になった責任の一端はお前にもある。
乙女の悩みかなんか知らんが、勝手を黙認することが優しさにはならない。
ずっと前にジネットに教えた、『食い逃げを見逃すことは善意ではない』ってのと同じだ。
ロレッタは「長女だ」「成人だ」と大人ぶるが、まだまだ考え方は子供じみている。思慮が浅く、自分はなんでも出来ると思い込んでいて、甘ちゃんで、なんでも一人で背負い込もうとして、他人に嫌われることを何よりも恐れている寂しがり屋だ。
「……とはいえ、俺はロレッタの保護者じゃねぇからな」
本音を言えば、ロレッタだけじゃなく、マグダやジネットのことはなんでも知っておきたい。はっきりと、それはエゴだと言える。だが、本音ではそうなのだ。
けどそうしないのは、俺がそこまでの責任を負えないからだ。
尊重すべきところは尊重する。踏み込むべきでない領域には踏み込まない。
もどかしいが、そこは仕方がない。ロレッタは俺の娘ではないからな。
「まったく……面倒くさいお年頃だよ、連中は」
ロレッタにパウラにネフェリー。
こいつらはよくも悪くもイマドキの女の子で、まだまだ社会経験が浅い。
本当に怖い目に遭ってからでは遅い。とはいえ、過保護になり過ぎるのもあいつらのためにならない。
……ったく。なんで俺がそんなことにまで気を揉まなければけないのか。
……うん。
そうだな……
俺がこんなに気を揉んだんだ。
頭脳労働を強いられたと言っても過言ではない。
で、あるならば。労働には対価を。
報酬か賠償を支払ってもらう必要があるわけだ。
「俺が気を揉んだ分、あいつらには気じゃない何かを揉ませてもらう」
「自分、今真面目モードなんかおふざけモードなんか、はっきりしときや?」
「気持ちは分かるけど……いや、『揉ませてもらう』は一切理解できないけれど……今彼女たちは心身ともに疲弊しているんだから、そこは考慮してあげてほしいね」
「いえ……」
エステラの甘々な裁量を否定したのは、今日は意外なことだらけのジネットだった。
「懲罰は必要です。甘やかすだけが教育ではありません」
胸の前で組んだ指に力を入れ、自分の手の甲に自分の指を食い込ませて、ジネットは厳しい表情で言う。
「罰は、わたしが与えます。わたしには、そんな資格も権限もありません。ですので、その後にみなさんがわたしを疎まれても避けられても悔いたりはしません」
揺らがない信念のもとに、ジネットは一つの決断を下す。
「みなさんを、わたしがお預かりします。そして、みなさんが回復されるまで、わたしが付きっきりでお世話をさせていただきます。その間――」
多くの方に迷惑をかけてしまうかもしれませんが……なんて言葉を挟みつつ、はっきりとした声で告げる。
「――陽だまり亭は休業します」
三人のために他のすべてを犠牲にする。
それが、ジネットなりのけじめ……なのだろう。
「ジ、ジネットちゃん……えっと、本当に……」
「いいのかい?」とでも聞こうとしたエステラの声を遮り、マグダが口を開く。
「……マスター。パウラが戻ってくるまでの間、マグダをカンタルチカで雇うといい」
それは、マグダがジネットの意見に賛成したという意思表明であり――
「んじゃ、俺は俺で好きにやらせてもらうとするか」
――陽だまり亭の長期休業が決定した瞬間だった。
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