今日は、狩りの日。
「マグダさん、気を付けて行ってきてくださいね」
「……うん。頑張ってくる」
「そして、どうか無事に帰ってきてください。わたしたちは、ここでマグダさんのお帰りを待っていますからね」
「…………うん」
店長は、いつもこうしてマグダの無事を祈ってくれる。
帰りを待っていると言ってくれる。
「今日の弁当には、俺のから揚げが入っているからな」
「……それは楽しみ」
ヤシロのから揚げは、店長のから揚げとは少し違う味。
店長のから揚げが究極だとすれば、ヤシロのから揚げは至高。
甲乙つけがたい美味しさ。
マグダはどちらも好き。
「大物を期待してるぞ」
「……任せて」
「けど、無理はすんなよ」
「………………」
「……どした?」
「……むふー!」
「なんだよ、それ」
ちょっと、背筋がむずむずした。
口と目つきと態度が悪いヤシロだが、マグダには甘い。
それが、なんだか嬉しい。
特別な感じがして……よい。
「……大物を持って帰る。期待していて」
「おう」
「頑張ってくださいね」
ヤシロと店長が見送ってくれる。
どんなに朝が早くても、いつも二人で一緒にマグダを送り出してくれる。
そして、帰ってきたら、出迎えてくれる。
ここは、マグダが帰ってくる場所。
帰る場所があると人は強くなれる。
ママ親がそのようなことを言っていた。
今のマグダになら、その言葉の意味が分かる。
マグダは、必ず無事に帰ってくる。
店長とヤシロのいる、この陽だまり亭に。
「……魔獣を、狩り尽くしてくる」
「いや、ほどほどにな」
「そんなにたくさんは食べられませんからね」
まだ暗い空の下、うすぼんやりとした光を残した光るレンガの間を通って大通りへと向かう。
もうすっかり普通になった。
陽だまり亭から『出かけて』いくのが。
狩猟ギルドへ向かって歩いていても『帰る』という気分にはならない。
あそこの寮には、それなりに長く住んでいたのに。
それはきっと、マグダの居場所が変わった証拠。
「……仕事に出かけて、帰る。それが、マグダのミッション」
マグダは、この街が好き。
最近、また好きになった。
大切な人がいるから。
ずっと平和だといいなと、思う。
だから、魔獣を狩る。
狩猟ギルドの支部に到着すると、もうすでに出撃の準備を整えた狩人たちが揃っていた。
「おう、遅ぇぞ、マグダ」
支部の代表、ウッセ・ダマレが木箱から腰を上げてこちらへやって来る。
あの木箱には、魔獣をおびき寄せるお香が入っている。
向こうの木箱には、魔獣を警戒するための太鼓が入っている。
あっちの木箱は、おそらく食料だろう。
それで、馬車の隣の木箱は――
「こらっ! 俺が近付いてきてんのに木箱に夢中か、テメェは!?」
ウッセ・ダマレが怖い顔でマグダを睨む。
……この顔にはよく睨まれた。
両親がいなくなり、家を引き払うことになった時から、ウッセ・ダマレはずっとマグダのことを疎んでいた。
ウッセ・ダマレの父、前代表はパパ親が狩猟ギルドに入ったばかりの頃の教育係だった。
「強さではとっくに上回っているが、いまだに頭が上がらない」と、パパ親は言っていた。
あの日。
両親が揃って出かけた遠征を指揮していたのも、前代表。
つまり、ウッセ・ダマレの父親も、あの日から戻ってきていない。
ウッセ・ダマレは、支部長は必ず生きて戻ってくると信じている。
代表の座に就きながら、いつでも席をあけられるように支部長室は当時のままにしてある。
……ウッセ・ダマレもまた、マグダと同じように親の帰りを待っている。
「…………」
「んだよ、人の顔をじっと見やがって」
「……あの木箱の中には何が?」
「木箱大好きか!?」
マグダが陽だまり亭に住むようになってから、ウッセ・ダマレはマグダに強く当たらなくなってきた。
最初は、距離が離れたからイラつかれなくなったのだと思っていた。
けれど。
「……準備は万端にしておけ。準備を怠ったことを後悔しながら魔獣にやられた仲間を俺は何人も見てきた――と、パパ親が言っていた」
「ちっ……誰に物言ってんだよ、半人前が」
そう言った顔は、イヤそうに歪んでいたけれど、少しだけ嬉しそうに見えた。
今にして思えば……
ウッセ・ダマレがマグダにつらく当たっていたのは、マグダのことを思ってだったのかもしれない。
あの頃のマグダは、やらなければいけないことだけをやり、成果が上げられなくても仕方がないと諦め、無気力で、無感動で、そしてどこかで――ママ親やパパ親がいないのなら、マグダがいなくなってもいい――そんなことを考えていた。
それが、ウッセ・ダマレには許せなかったのだと思う。
似た境遇に置かれながらも、ウッセ・ダマレは支部長の座をあけたままやるべきことを全力でやっているのに、マグダは抜け殻のようになっていた。
大人と子供の違いはあれど、同じ狩人として、腑抜けていたマグダのことが気に入らなかったのかもしれない。
……と、今ではそう思える。
もっとも、ヤシロだったらもっとうまくマグダを鼓舞し、前を向かせて、すべてがうまく回るように調整していただろうけれど。
いい大人が「俺は頑張ってるのにあいつは頑張ってないからキライ!」とか、子供かと。ガキ丸出しかと。丸出しのガキかと。
「……ウッセ・ダマレ」
「んだよ。呼び捨てにしてんじゃねぇよ」
「……もっと大人になるべき」
「テメェに言われたかねぇわ!」
「……ヤシロを見習ってみては?」
「誰が見習うか、あんなすっとこどっこい!」
そうやってムキになるところが、未熟だと指摘しているのに。
やはり、ヤシロには遠く及ばない。
ヤシロが大人なら、ウッセ・ダマレはまだ子供……いや、赤ん坊……いや、まだ生まれてすらいないかもしれないし、なんなら両親が結婚すらしていない状態かもしれない。
「……ウッセ・ダマレは婚活中」
「誰がだ!? 大きなお世話だ、ボケぇ!」
要するに、ウッセ・ダマレはまだまだということ。
「ボーっとした顔しやがって。気ぃ抜いてっと、また大怪我をしちまうぞ」
以前、マグダは魔獣にやられて大怪我をした。
ヤシロの話では、その時にウッセ・ダマレが大慌てでヤシロたちを呼んできてくれたらしい。
おかげで、レジーナの薬でマグダは一命を取り留めた。傷跡も綺麗に消えて、よく見なければ分からないくらい。
「……平気。気合いは十分。今日は、大物を狩る」
マグダの目を見つめていたウッセ・ダマレが「ふっ」と、口元を緩める。
「いい目をするようになったな」
瞳を褒めるのは、男が女を落とすための二流のアプローチだとヤシロが言っていた。
「シャレオツなレストランで夜景でも見ながら、『綺麗な瞳だ』とかキザったらしく女を口説くヤツはよほどの勘違いヤロウか、その勘違い武勇伝を真に受けたモテない男くらいなもんだ」……と、言っていた。
ウッセ・ダマレはきっと後者。
「……ごめんなさい。ウッセ・ダマレは、マグダの好みに掠りもしないから」
「口説いてねぇわ!? あと、こっちこそ掠りもしてねぇからな!? テメェみてぇなチンチクリン! 俺はもっと乳がこう、ボーンと……って、テメェには関係ねぇだろ、そんなこと! あと、呼び捨てにすんな!」
盛大に慌てふためいて、ウッセ・ダマレはそっぽを向く。
……なんだ。こうしてみれば、ウッセ・ダマレも普通の人間なんだ。
昔は、イライラして、マグダを排除しようとする怖い大人だと思っていたのに。
ヤシロと比べれば、まだまだ未熟で、幼稚で、人との接し方が不器用で下手なだけ。まだまだ、成長途中。……マグダと、一緒だ。
そう思うと、なんだか憎めなくなってきた。
決して好きにはなれないけれど。
けれど、マグダにもそういう時期があったから。目に見えるものすべてが疎ましく思えて、目の前から消えてほしいと思ったことが。
まぁ、マグダはもうとっくにそんな時期を脱して一歩も二歩も前に進んだのだけれど。
「……早くマグダに追いつくといい」
「抜かれてねぇわ!」
言葉を投げれば返ってくる。
ウッセ・ダマレも、マグダのことをちゃんと見ている。
……ふむ。
「……多少見直した」
「おぉいコラ、謎の上から目線やめろ!」
これからは、ちゃんと一人の人間として――同じ狩猟ギルドの仲間として接するように心がけよう。
「……これからは、ウッセと呼ぶ」
「呼び捨てにすんなって何回言わせる気だ!?」
「……騒いでないで準備をして、ウッセ」
「言われんでも、もうとっくに終わっとるわ!」
「……魔獣みたいな顔をしている場合ではない」
「この顔は生まれつきだ!」
「………………可哀想に」
「おぉっし、上等だ、このクソガキ! その性根、叩き直してやる!」
大人げなく吠えるウッセ。
まったく、もう少し大人になってほしいものだ。
「……マグダは一人で狩れるけれど、ウッセたちはちゃんと群れで狩りをすること。油断をすると、死ぬ」
「偉そうに言うな! つーか、テメェは集団行動が出来ねぇから弾かれてるだけだからな!? 一目置いて任せてるわけじゃねぇから! テメェこそ、自分の腕を過信して死ぬんじゃねぇぞ!」
「……ウッセ。……そのツンデレは、ちょっと、きつい」
「ツンデレってなんだ!? あと呼び捨てにするな!」
「……ウッセ」
「んだよ!?」
マグダはウッセの顔をじっと見つめて、そして言う。
「……そんな『いろいろ事情はあったにせよ、こいつには結構つらく当たっちまってほんのちょっと罪悪感があるから気を遣って話しかけてやるか』……みたいな顔しないで」
「誰がそんな顔……あぁもう! 準備が出来てるんならさっさと馬車に乗れ! 出発するぞ!」
否定はせずに、ウッセが馬車に乗り込む。
そして、ぐるりとこちらを振り返り。
「あんまりあの男に影響されんじゃねぇぞ!」
と、凄んだ。
「……ヤキモチ焼かれているみたいで、気持ち悪い」
「違うわ! もういい! さっさと乗れ!」
同じ馬車に乗り、ガタゴトと揺られながら街門へ向かう。
そんな中ふと思った。
ママ親と支部長は、こんな風に同じ馬車に乗っていたりしたのかな……
そう思うと、ウッセの隣の席も、まぁ悪くないかもしれないなと、思えた。
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