結局、その夜、俺は風呂に入るのを諦めた。
折角夜中に材料を取りに行ったのだからと、俺は一人せっせとハンドクリームをあ~でもないこ~でもないと配分を変えて試作してみた。
材料を取りに行ったのに出来てないのかとなれば、じゃあなんで昨日取りに行ったんだとなり、話を蒸し返されかねないからな。
一応、それっぽいものが出来れば問題はないだろう。
急ぎもしない、気軽な作業。疲れた脳にはちょうどいい適度な労働だ。
とかなんとかやっているうちに、風呂に入るには遅い時間になってしまった。
明日の朝、ハムっ子どもと一緒に風呂に入ることにする。
な~に、ちょっと早めに起きて湯を沸かせば問題ない。
なので、フロアの電気を消して布団に入る。
さっさと寝てしまおう。
「……ヤシロ氏、寝たでござるか?」
「うるせぇ、寝ろ」
「実は拙者、最近ちょっと新しい趣味を見つけたんでござる。聞きたいでござるか?」
「寝ろ!」
「ウーマロ氏、ウーマロ氏!」
「寝ろッス!」
「なんか、テンション上がって寝れないでござる!」
「……テメェ、いい加減に――」
「すやぁ……で、ござる」
「いの一番に寝てんじゃねぇよ!」
「ヤシロさん。起こすと面倒くさいッスから、早く寝ようッス」
えぇい、これだからベッコは! ベッコは!
だっっっっっっっっっっっっれの目にもとまらない洞窟の奥の方に難解な彫刻させてやろうか?
「すやぁ……ッス」
そして、ウーマロも物の数秒で眠りに落ちる。
くっそ。俺が一番に寝たかったのに!
叩き起こしてやろうか?
叩き起こして、真っ先に寝てやろうか!?
くそ、もやもやする!
あー、寝よっ!
もー、寝よっ!
…………くっ、もやもやして眠れない。
集団で寝て、最後の一人になるとなかなか眠れなくなるの法則か!?
あ~っ、このまま朝まで眠れなかったらどうし……すやぁ。
人とは不思議なもので。
眠れる時は一瞬で眠りに落ちてしまうものなのだ。
気疲れしてたんだろうな、うん。
ここで一つ、早起きをするコツをお教えしよう。
やり方は簡単。
眠る前に「明日は早起きするぞ!」と自分に言い聞かせるのだ。
もっと具体的に「明日は○時に起きる!」と言い聞かせると、その言葉が脳にインプットされ、眠りが浅くなった時にインプットされた言葉が脳裏に浮かんでくる。
物凄く簡単な自己暗示ではあるが、これで早起きできるようになったという事例は、決してバカには出来ないくらい多数報告されている。
合う合わないはあるにせよ、ある程度有効な方法ではある。
で、俺は割とこの暗示が効く方なのだ。
「……つーか。昨日のエステラの顔が気になって目が覚めちまったって方が正確かな」
高イビキが聞こえる真っ暗なフロアで独りごちる。
この程度の声量では起きないくらいに、ウーマロもベッコもハムっ子も爆睡している。
目覚めの鐘まで、まだ二時間くらいはあるだろうか。
日の出までとすれば、もっとだろう。
少し起きるのが早過ぎただろうが、もう一度布団に入れば確実に二度寝して寝過ごしてしまう自信がある。
なので、気だるい体を引き摺るように起き上がり、ぼやけた頭を強制起動させる。
布団を出て、厨房へ向かう。
風呂を沸かして、寄付の準備をぼちぼち始めてしまおう。
昨夜はジネットも疲れていたようだし、今日は俺が先行してやっておこう。
――と、厨房に入ると、中庭の方からドアが開く音がした。
こんな時間に起きて厨房に来るヤツなんか、ジネット以外いない。
「よ、おはよう」
「きゃっ」
暗い厨房で声をかけると、ジネットが驚いた声を上げる。
が、すぐにいつもの声に戻る。
「ヤシロさん、おはようございます」
「もう起きたのか?」
「はい。昨日、仕込みが出来ませんでしたので」
だから、それは過剰に余っている手を借りればいいって言ったろうに。
「それより、ヤシロさんはしっかりと休めましたか?」
「お前よりは休んだよ」
「え、でも……あの後お風呂に入って、その後お休みになったとすると……」
「いや、風呂には入ってないんだ。遅かったしな」
「それでは、疲れが取れてないのではないですか?」
「だから、あとで朝風呂させてもらうよ」
「では、お湯を沸かしてきますね」
「待て待て待て!」
日の出の遙か前から全力で働こうとするんじゃない。
風呂なんかあとでいいから。
つか、自分でやるから。
「それより、ちょっと一息入れないか?」
放っておいたらずっと働き続けるジネットを、強制的に休ませる。
が、俺が労うような素振りを見せればジネットは恐縮して逆に休まらないだろう。
なので、ちょっとしたおねだりをしておく。
「悪いが、お茶を入れてくれないか? 温かいお茶を飲んでほっとしたい」
「はい。すぐに準備しますね。……コーヒーにしますか?」
「いや、お茶がいい」
「はい。少し待っていてください」
今からコーヒーを入れるのは大変だ。
なにせ、豆を焙煎してミルで砕くところからだからな。
うるさくて全員起きてきちまう。
ジネットが井戸から水を汲んでくる間、俺はかまどに火を熾す。
四十二区的お役立ちグッズ、火起こし布。
薬品が染み込んでいる布をこすって摩擦熱で火を付ける道具だ。原始的なマッチみたいなもんなのだが……地味に怖い。
「はぁ……よし! 今日こそ!」
えいやっと、気合いを入れて布を摩擦すると、意図していた以上の炎が上がる。
「ふぉうっ!?」
思わず原始的マッチを取り落とす。
……怖ぁ。
「うふふ。ヤシロさん、火熾しは苦手ですよね」
う……っ、ばっちり見られてしまった。
いつも火を熾すのはジネットの仕事なのだ。
俺はたまにしかやる機会がなく、いつまでも苦手なままだ。
「使いにくい道具が悪い」
「火打ち石よりずっと楽ですよ」
くすくすと笑うジネット。
俺は火打ち石の方がやりやすいとすら思えるね。
……いつか、マッチを作ってやる。
摩擦熱で燃える薬品があるんだから、それを棒状にすればいいだけだ。
イケるイケる。
「火、使わせてもらいますね」
ビビりはしたが、着火自体は問題なく行えた。
かまどがオレンジの炎を揺らめかせる。
「じゃあ、俺は隣でお茶請けを作るか」
物凄く簡単に、だし巻き卵を作った。
お茶に合うかどうかはさておき、小腹に何かを入れたかった。
「では、お茶にしましょうか」
厨房の作業台の前に椅子を持ってきて、ジネットの入れてくれたお茶と俺の焼いただし巻き卵を食す。
「美味しいです」
「お粗末様」
「そんなことありませんよ。とっても美味しいです」
「そうか。……ずず……あぁ、お茶が美味い」
「お粗末様です」
互いにぺこりぺこりと頭を下げ、しばしゆったりとした時間を過ごす。
薄暗い厨房で静かにお茶を飲むのも、なかなかいいものだ。
「あの、ヤシロさん。一つご相談があるんですが」
「なんだ?」
「レジーナさんのおかえりパーティー、あんなお料理でよかったのでしょうか?」
昨夜盛大に行われたおかえりパーティー。
メインは、レジーナが食いたいと言っていたラーメンだった。
醤油に味噌に塩に塩麹といろんなラーメンが出てきて食べ比べも出来た。
それ以外にもパーティー用の料理が所狭しと並び、酒飲みどもはカンタルチカから持ってきた酒を浴びるように飲んでいた。
「何が不満なんだ?」
「なんと言いますか……特別感、のような?」
「レジーナの好物を出したんだろ?」
「はい。これまで、レジーナさんのお箸の進みがよかったものをいくつか」
「なら、それが一番だ」
ずっと同じ街にいて、特別な日に特別なことをやるってんなら目新しいものが喜ばれるだろうが、遠くから久しぶりに帰ってきたなら馴染みのある、落ち着けるものが一番だ。
「特別なのは、また別日にやればいい」
「そうですね。これからは、いつだってお呼びできますもんね」
ま、レジーナをパーティーに招待したところで参加するかどうかは怪しいけどな。
「特別なパーティーなら、港の完成記念だな。マーシャに言って海魚を大量に用意してもらおう。磯焼き、漁師鍋、海鮮丼。そして――にぎり寿司をそこで披露してやろうぜ」
「にぎり寿司ですね。わたし、頑張って練習します!」
ジネットは、にぎり寿司のイメージとは、ちょ~っと違うんだけどな。
ま、いいだろう。
「今回は、結構な数の協力者がいるからな。精々労ってやるさ」
「協力者……? 港の工事の、ですか?」
「そうだな。それもある」
それと、明日だ。
準備は進んでいる。
必要な人材への根回しも終えている。
何年もかけてじわじわと敵方の勢力を削ぎ、カビが増殖するように浸食してくるバオクリエア。
ちょこちょこと小さいちょっかいをかけ続け相手を疲弊させ付け入る隙を虎視眈々と狙っているウィシャート。
テメェらが時間をかけて準備してきたことを、すべて台無しにしてやる。
まず、その第一歩として――
「ジネット。もう少ししたら、エステラを起こしてきてくれないか。エステラだけを、こっそりと」
「こっそりと、ですか?」
無言で頷く。
エステラは二人だけでこっそりとと言っていたが、ジネットならいいだろう。
「結構プレッシャーを感じているようだから、優しくしてやってくれ」
「そうですね。エステラさん、頑張ってますもんね」
ジネットはお茶を飲み干し、静かに席を立つ。
「エステラが起きてきたら、風呂を沸かすのを手伝わせるから、仕込みを始めといてくれるか? あとで手伝うから」
「はい。ゆっくりで構いませんので、エステラさんをお願いしますね」
これで、鍵のかかる浴場で二人きりになれる。
じっくりと、話を聞いてやるさ。
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