「ちょっと、えぇやろか?」
静かになった食堂で、最初に口を開いたのはレジーナだった。
小さく片手を上げて反対の手でメガネを押さえている。
「なんだ?」
「この角度でそっち見るとめっちゃ眩しいさかい、照明(ウェンディはん)ズラしてもろてえぇやろか?」
「す、すみません! 端っこに行ってますね!」
「お前はどうでもいいことしか言えんのか」
ウェンディが後方の席に移動しようとしたが、単なる冗談だとその場に留まらせる。
「そういえば……ナタリアが、炎の光を使って遠方の人間にメッセージを送る方法があるって言ってたような……」
「えっ!? まさか、私の光を使ってどなたかにメッセージを送るつもりですか領主様!?」
「あ、いや……手紙が送れないなら、そういう方法もありかなぁ~って。あはは、冗談だよ、冗談」
確かに、炎の光を法則に則って隠したりする伝達方法はあるけどさ、モールス信号とか手旗信号みたいなヤツで。
ただ、それを利用するには、相手がそれの解読法を知らなければいけない。
何も知らないヤツにモールス信号を送っても意味は伝わらないしな。
「……手紙が送れなくても、デリアが大きな声で叫べば……聞こえるっ」
「うん。聞かれちゃマズい相手にまで丸聞こえになるけどな」
「ん? やろうか? あたいはいいぞ」
「聞いてたか? やらなくていいから」
マグダの案は秘匿性が皆無なので却下だ。
「連携が取れないのはキツいよね……」
「確かに、打ち合わせが出来ないと、いざって時に食い違う可能性が高いさね……それは致命的さね」
エステラにノーマが同調する。
何かをひっくり返すために誰かと連携するには、きっちりと連絡を取り合い、段取りをして、本番でシナリオ通りにことを運ぶ必要がある。
じっくりと準備をして、やる時は一気に。それが、膠着状態を打破するには不可欠となる。
「今日会いに行ってた領主様はどうなの? 別れ際に何か言ってなかった?」
ネフェリーの問いにはエステラが端的に答える。
「何も話せなかったよ。ただ、『自分の区の領民を守る義務がある』とだけ」
「ちょっと、エステラ。それって、四十二区を見捨てる宣言?」
「違うよ、パウラ。『四十二区を優先は出来ない』ってことさ」
「一緒じゃない。なによ、領主のくせに、ケチ臭いんだから!」
憤るパウラ。
エステラが宥めるが、パウラの中の敵愾心は当分収まりそうもない。
「逆の立場でお考えなさいな」
いつの間に入れさせたのか、紅茶のカップを優雅に傾けながら、イメルダが言う。
「もしエステラさんが、他区を守るためにワタクシたち領民を犠牲にすると言い出したら……」
「……う、それは…………」
「みなさん、『この抉れ乳が!』と思いますでしょう?」
「みんなそんなこと思わないよ!? ね、みんな!?」
全力否定したのはエステラだけだった。
他の面々は――
「『状況によっては思うかもなぁ……と心の中で思っていた』」
「なに勝手なこと言ってんのさ、ヤシロ!? 君がみんなの気持ちを代弁しないでくれるかい!?」
俺が言わなくても、みんな思ってるっつの。
「でも、トレーシーさんなら、きっとあたしたちに都合がいいように動いてくれると思うです!」
立ち上がり、こちらに都合のいい解釈を披露するロレッタ。
拳を握って力説する。
「トレーシーさんとネネさんは、陽だまり亭で一緒に働いた仲間です! たとえ二日という短い時間であっても、一緒に働いた絆は消えないです!」
「いや、そう思いたい気持ちは分かるけど……」
「それに、トレーシーさんはエステラさんにぞっこんだったです! エステラさんが『ボクを助けて、マイハニー』とか言えば、絶対協力してくれるです!」
「言わないよ、そんなこと!?」
ロレッタの持ってくる『絶対大丈夫』は根拠が弱いなぁ……
そんな弱々の根拠にイメルダが反論する。
「他の領主の前で、特に意味もなく四十二区に加勢すれば、トレーシー・マッカリー率いる二十七区は『BU』を追われることになりますわね」
「そしたらまた陽だまり亭で働けばいいです!」
「領民はどうなさいますの?」
「あ……ぅ…………そこは、なんとか、努力で……」
無責任!?
こいつ、自分の案にすげぇ無責任!
「確かに、『エステラさんウッフン大作戦』では、領民まで救えないです……」
「悪意を感じる作戦名だね、ロレッタ……」
「……エステラでは乳不足……もとい、力不足」
「悪意を感じる言い間違いだね、マグダ!?」
怒るエステラを無視して、マグダはジネットを指さす。
「……頼れるのは、店長」
「え? わたし、ですか?」
「……店長が一言……『従わないと足つぼ』と言えば」
「言いませんよ!?」
「……もしくは、領民全員に足つぼをすれば、乗っ取りも可能」
「しませんからね、足つぼも乗っ取りも!?」
どうも、一度味方に付けた相手を離反させないためにはどうすればいいか、という議論が繰り返されているようだ。
それじゃダメなんだよ。一度落ち着かせてやるか。
「念のために言っておくが、トレーシーとドニスがこちらの思うとおりの行動を取ったとして、結局多数決には勝てないんだぞ」
俺の指摘に、辺りは水を打ったように静まり返る。
今ここで、いかにトレーシーを引き込むかを議論する意味はない。
それよりも恐ろしいのは、トレーシーがどう動くか分からないという現状だ。
「明らかにトレーシー――二十七区に不利な条件にもかかわらず、あいつがエステラのためにその不利益を甘んじて受け入れる……なんて状況の方が困るんだよ」
「あからさまに不利な条件を振った時は、素直に断ってほしい――計算が狂うから。と、いうわけだね」
「あぁ、そうだ」
下手に義理立てされたりする方が厄介な時もある。
大人しくしていてほしい時にしゃしゃり出てこられると台無しになることもある。
というか、そういうことの方が多い。
「だから、トレーシーやドニスには、『自分の立場』で是か非かを素直に判断してもらいたい。その方が誘導しやすいからな」
「お兄ちゃん、他の区の領主様を裏から操る気です……」
「……影の支配者」
「そんな物々しいもんじゃねぇから!」
誰が他区を支配なんぞするか、面倒くさい。
こっちに有利になるよう、ほんのちょっと誘導してやるだけだ。
たとえば……
「ロレッタ。俺が一口かじったたこ焼きと、こっちのかじってない綺麗なたこ焼きのどちらか一つをやろう。どっちがいい?」
「そんなの、かじってない方がいいです!」
「じゃあ、あ~ん」
「むほ!? 食べさせてくれるです!? じゃ、じゃあ……あ~ん」
開かれたロレッタの口にたこ焼きを入れる。
口を閉じて咀嚼……直後にロレッタがもんどりうった。
「からっ!? 辛いですっ!」
「あぁ。綺麗な方のたこ焼きの中にな、これでもかってカラシ入れといたから」
「何してるですか!?」
このように、扱いやすい相手ならこちらの思い通りに動かすことが出来る。
「けほっ、けほっ……悔しいのは、このカラシ入りが、微妙に美味しいところです……ちょっとだけ癖になって、もう一個くらいなら食べてもいいかもとか思えるです……」
ま、食い物で遊ぶのはよくないからな。
ちゃんと美味しく作ったぞ。ただ、もんどりうつほど辛いけど。
「で、これがジネットだった場合、『綺麗な方はヤシロさんがどうぞ』とか言うかもしれないだろ?」
そうなると、俺がカラシ入りを食う羽目になる。
そこが怖い。
「つまり、トレーシーにもドニスにも、『ヤツらが思うとおりの行動』をしてもらうのがベストなわけだ」
「なるほどです……よく分かったです、けど、わざわざカラシ入りを食べさせる必要はなかったように思うです」
「……でもさっきのロレッタは、面白かった」
「『でも』じゃないですよ、マグダっちょ!? そんなんで『ならいいです!』とかならないですからね!?」
辛い辛いと訴えるロレッタのために、急遽ドーナツが運ばれてくる。
ネフェリーたちも目を輝かせる。
まぁ、そっちで適当に食っててくれ。
「どっちにしても、なんとかコンタクトが取りたいところだよね」
「会いには行けないんかぃ?」
「『BU』は構造上、人の出入りに敏感なんだ。潜り込むのは無理だろうね」
「じゃあさ、ノーマが行けばいいんじゃねぇか? あたいらと違って、顔を知られてないだろ?」
「ナイス、デリア! そうよ! ノーマとかネフェリーとかあたしが行けばいいんじゃない!」
パウラが手を鳴らして尻尾を揺らす。
「あたし、こういう時っていっつもあんま役に立ててないからさ、なんだってするよ」
「まぁ、アタシもやぶさかではないさね」
「パウラとノーマの二人じゃ心配だろうから、私も付いていってあげるね」
「「ネフェリー、どういう意味よ」さね」
面の割れていない使者に伝言を……か。
あまりいい作戦とは言えない。その理由はエステラが語ってくれた。
「外周区から来た人間が領主に面会するとなると、やっぱり目立つし、そういう『怪しい行為』をするだけで、今はトレーシーさんたちに迷惑がかかってしまうんだ」
「そんなもんなの?」
「そんなもんなんだよね、残念ながら」
「貴族というのは、ネフェリーさんたちが思っている以上に、陰湿で粘着質なんですわよ」
自身も貴族であるイメルダの言葉は、これ以上もない説得力を持ってネフェリーたちを黙らせた。
「ってことはさぁ、八方塞がりってわけか?」
ドーナツを咥えて、デリアが不機嫌そうに言う。
こういう、絡め取られるような感じは大嫌いなんだろうな、デリアは。
だが、こういうやり方がよく効くんだ、いやらしいほどに。
「ほなら、運を天に任せるしかあらへんのかいなぁ」
なんて言葉を発しつつ、レジーナは俺を見てくる。
それはそれは大変挑発的な視線で、さながら「で? どんな解決策隠し持っとんねんや?」と問いかけてくるような目だった。
しょうがない。教えてやろう。
「とりあえず、トレーシーに手紙を出せないか検討してみるよ」
そう言うと、エステラが分かりやすく眉間にしわを寄せる。
「出せば届くだろうけど、出したことを悟られた段階で、トレーシーさんは領主会談から外されかねないんだよ?」
「だから、バレないようにするんだよ」
「どうやってさ? どこを通ったってきっとバレるよ?」
『BU』の連中は、外部からの手紙や人間の行き来に目を光らせているのだろう。
どこを経由させようと、『BU』に入った時点で怪しまれる。最悪、検問と称して中を見られる可能性もある。非常事態だと位置づけて、領主連名で検問を義務づければそれも可能だ。
「『BU』にさえ入ってしまえば検問は回避できる。連中、出入りには目を光らせるだろうが、『BU』内の移動には無頓着になっているだろうからな」
「だから、その『BU』に入るのが難しいんだって……」
「あるだろうが、検問に引っかからない抜け道が」
言いながら、俺はニュータウンの方向を指さす。
それにいち早く感づいたのはノーマで、そばにいたロレッタの肩を叩く。
肩を叩かれたロレッタが「あっ!」と声を上げる。
エステラだってそこそこ利用したことがあるくせに、すっかりその存在を忘れてしまっている。
「とどけ~る1号を使えば、監視の目はくぐり抜けられるだろ?」
「あっ! そうか!」
ようやくその存在を思い出し、エステラが手を打つ。
あれは、マーゥルの館に直通で手紙を届けられる。
しかも、マーゥルの指示により、敷地内に入らなければ外から見つかることはない位置に建ててある。
こういうことを見越して建てる場所をちょっとズラすように言ったのだとしたら、あのオバサン、大したもんだ。
「とにかく、マーゥルに協力を仰ごう」
「そうだね。トレーシーさんとマーゥルさんは以前より懇意にしていたというし……こういう状況になって、トレーシーさんがミスター・エーリンの姉であるマーゥルさんのところへ相談に赴くのは不自然じゃないよね」
「呼びつけるのが難しくても、マーゥルから手紙を出してもらうくらいは出来るんじゃないかと思うんだ。ゲラーシーのヤツは、マーゥルを『僻地に追いやられた力のないお飾りの貴族』だと思っているらしいからな」
まぁ、その辺を確認するためにも一度手紙を書いてみようと思う。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!