俺は胸を張って、一年間世話になった陽だまり亭に敬意を表するくらいのつもりで、勢いよくドアを開いた。
「ここで、ヤシロさんの登場です!」
「……え?」
ドアを開けると、ジネットがいた。
ドアに向かって両腕を伸ばして、「どーぞ!」みたいなポーズで固まっている。
「……………………え?」
ジネットも、俺と同じセリフを口にして、二人して固まる。
……なに、してんの?
「……何を、されているんですか?」
いや、それはこっちのセリフだし……今、お前、スゲェ面白い格好で固まってるぞ?
つか、「ヤシロさんの登場」?
なんだ、予言マジックか?
それとも……
ジネットに釘付けだった視線を外し、室内を見渡す。
壁に、何かが書かれた紙が貼ってある…………えっと…………『ここは華やかな飾りつけに』? 『ここは控えめに』……そして、『ソレイユの絵』……あちらこちらに指示の記された紙が貼られていた。
カウンターにはランプが置かれている。
そして、テーブルの位置が大きく変更されて、中央が広く開けられている。そんな開けたスペースの中央に、机が四つくっつけて置かれている。
その机の上には、ふわふわとした円筒状の物が…………ケーキの、スポンジ?
そして、そのケーキのスポンジの横には未使用の細いローソクが一本置かれていた。
……これって…………もしかしなくても、アレ、だよな?
「ジネット」
「ひゃいっ!」
なんだか知らんが、ガチガチに緊張しているようだ。
顔に思いっきり「マズいところを見られてしまったぁ……っ!(汗)」と書いてある。
「お前、なんで知ってるんだ?」
「……へ?」
「今日が、俺の誕生日だって」
「えっ!? そうなんですかっ!?」
腕を伸ばした状態で固まっていたジネットが突然動き始め、両手で口を押さえ軽く跳びはね、パンと手を叩いて「そうだ、準備を……」と呟いて厨房に向かおうとしたところで、「あぁ、その前に片付けを……っ」と振り返り、「でも、まだリハーサルが……」と頭を抱えて「あぁ、でもでも、ヤシロさんの前では出来ませんし…………あ、そうです、誕生日っ! こうしてはいられませんっ!」とまた厨房へ行きかけて、「あぁ、でも! いや、でも!」と、頭を抱えてしまった。
いや、いいから落ち着け。
「知ってたわけじゃないのか?」
「はい…………たった今知りました。すみません、勉強不足で…………あぁ、自分の誕生日はお祝いしていただいたのに……どうしてそこまで気が回らなかったのでしょう…………懺悔します」
「あ、いや、あとにしてくれるか」
床に膝をついて天に向かって組んだ手を突き出すジネットを、とりあえず止める。
しかし、ケーキにローソクに『飾りつけ』に「ヤシロさんの登場です」だろ?
誕生日パーティーでなければ、これは一体なんの催しなんだ?
「あぁ……わたしのせいで、折角の計画が…………みなさんに合わせる顔がないです…………」
みなさんに、ということは、どうも他の連中と何かを企んでいたようだ……こいつ、自分が次々に情報を漏らしてること、気付いていないのだろう。
「それで、これはなんなんだよ?」
「いえ、あの…………」
「はふぅ……」とため息を吐いて、ジネットは観念したようにぽそぽそと話し始めた。
「明日は、ヤシロさんが陽だまり亭にやって来て、ちょうど一年ですので……」
「え……?」
「あ、あのですね、ちなみに、陽だまり亭の従業員になっていただいたのは明後日でして、どちらを記念日にするかですごく悩んだんですが、みなさんの意見を伺うと、『やっぱり出会った時の方がいいんじゃないか』と……そういう意見の方が若干多かったもので……わたしも、その方がいいのではないかと…………」
「……」
「そ、それであの、ご迷惑かとも思ったのですが、どうしてもお祝いをしたくて……それに、その……もし、これがヤシロさんの元気の足しに、少しでもなってくれればとか……そんなことを、思いまして……」
しどろもどろになりながら、ジネットは懸命に言葉を吐き出していく。
きっと、これまで頑張って秘密にしていたのだろう。
俺にバレないように、必死に隠して……バカだなぁ。お前は隠し事とか、策略とか、そういう人を欺くようなことには向いてないってのに……ほら見ろ、これまでずっと無理して、我慢してたから止まらなくなっちゃってるだろ?
ずっと胸にしまい込んでいたものが、しまい込んで苦しいと思っていた言葉たちがどんどん溢れ出してくる。罪悪感がなくなるまで、それは止まらないぞ。
そうして、ジネットの歯止めがいよいよ効かなくなり…………
「あ、あの……差し出がましいことだとは分かっていたのですが…………ヤシロさんには、いつも笑っていてほしいと……あぁ、ここに来てよかったなって、そう思っていてほしいと、そんなことを思っていまして…………いつか、……いつかヤシロさんは、現れた時と同じようにフラッといなくなってしまうのではないかと……そう思うと、とても怖くて……でも、ヤシロさんにはヤシロさんの思いや事情があって……それは、わたしなんかが口出ししていいことではないですから……でも、それでも…………出来ることなら……わたしは…………ずっと…………一緒に……ヤシロさんと……一緒に……いたいと………………」
ジネットの鼻が、「ぐすっ」っと音を鳴らす。
「……仕方ないと、何度自分に言い聞かせても……不安で…………不安で……でも、わたしがそんな有り様だから、ヤシロさんには余計なご心配をおかけしてしまって……なのにわたしは……ヤシロさんが優しくしてくださることを…………嬉しく、思っていたりして……ヤシロさんが、あ、あんなに……悩んで……苦しんでいるとも…………知らずに…………わたしが、甘えてしまったばっかりに…………あんな……いっぱい食べよう大会の時のように…………無理を、させてしまって…………」
寂しがり屋モードが急に終息したのは、そんなことを思っていたからだったのか。
……あと、大食い大会くらい、そのまま言ってもいいんじゃないか?
「わたし…………ずっと……ずっとヤシロさんに甘えてばかりでした……お店のことも……教会のことも…………みんな、ヤシロさんに頼って……そうしていただけるのが、まるで当たり前かのように…………ヤシロさんが、優しいから……っ、わたしは……その優しさに…………甘えて…………ヤシロさんのことを……何も…………考え………………一昨日の夜も……出来ることならもっと……っ……けれどそれはわたしが口にしていい言葉ではないから…………それでも……それでもぉっ!」
ギュッと閉じられたまぶたに押し出され、大粒の涙がジネットの頬を伝う。
祈るように手を組んで、震える声で、力なく囁く――
「……わたしは……ヤシロさんと一緒にいたいと…………ずっと、そばにいられたら……どんなに、幸せだろうって…………ただ……それだけで…………っ」
これは、懺悔なのだろう。
きっと、ジネットは今、罪悪感でいっぱいなのだ。
まったく…………バカだよな。
「…………っ」
唇をキュッと噛みしめて、ジネットは小さく震えている。
未来を見つめているはずの瞳が、間もなく訪れるであろう未来を怖がって、まぶたを閉じてしまっているのだ。
本当に、バカだよな……俺は。
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