そして、太陽が天辺に昇る頃……
「ドーナツ、おいひぃれふぅ~!」
ようやく料理から解放されたジネットが、ドーナツを頬張ってわっしょいわっしょいしている。
「……店長が、幸せそうにわっしょいわっしょいしている」
「ホントですねぇ。これは、かなりわっしょいわっしょいしてるですね」
「えっ、え!? わっしょいわっしょいってなんですか!? どういう状況なんでしょうか?」
それは俺らがずっと前から聞きたいと思ってたことだよ。
今はちょうどランチのピークなのだが、陽だまり亭の客には新しいもの好きが多いようで――
「ピーナッツバターホットケーキを一つ!」
「こっちは、ピーナッツドーナツを!」
――こんな有り様なのだ。
ジネットが腕を振るわなくてもいいものばかりが注文されるので、珍しくピーク時にジネットが休憩をしているというわけだ。
もっとも、たまにソラマメの天ぷらが注文されるので、ちょいちょい厨房へ戻ったりはしているのだが。
「はふぅ……四十二区は獣人族が多くて楽しいなぁ……」
「今日は貸し切りにしないから、大人しくしとけよ」
プレーンドーナツにピーナッツバターをこれでもかと塗って頬張っているルシア。……すげぇ甘そう。
「これだけ多くの人に情報が広まってしまっては、貸し切りにして追い出すわけにもいかないだろうね」
ハニーローストピーナッツをカリコリと食べつつ、エステラが客たちの顔を眺めている。
今から、「今日は貸し切りです、お前ら出ていけ。ドーナツも売らない」とか言うと、確実にルシアが悪者になるからな。
今日のところは大人しくしていてもらおう。
もっとも、三十五区の領主が食堂にいると、他の客が委縮してしまうだろう。
だから、せめてもの抵抗にと一番奥の座席に座らせている。
さらにルシアは、持参したという疑似触角を頭に装着している。結婚式のパレードの時に作ったアレだ。
何があると思って持ってきたのかは知らんが…………いや、おそらく、ミリィに会えた時のポイント稼ぎのつもりだったんだろうけどな、どうせ。
そのおかげか、はたまた、俺やエステラがあまり気を遣っていない様子を見てなのか、客たちはルシア相手に委縮するようなこともなく、普段通りに食事を楽しんでいる。
「この街の者はいいな。領主になる以前から考えても、これほど気軽な空間に身を置いたことはなかったぞ。バレていないからという理由とはいえ、少し楽しい気分だ」
「まぁ、ボクが領主だってことは、みんな知ってるはずなんですけどねぇ」
まったくもって、四十二区の領主に対する敬いの心は見て取れない。
もっとも、そうなるように働きかけたのは他ならないエステラなのだが。
本望なくせに、悪ぶっちゃってまぁ。
「ドーナツ。絶対流行るね」
エステラが漏らしたそんな言葉は、少々の警告を含んでいた。
陽だまり亭は食堂だ。
ドーナツばかりが売れるという状況は看過しにくい。
ジネットも料理をしたいだろうし……やっぱりほどほどの人気が理想だな。
「じゃあ、また各店舗に教えてやるか。ケーキの時みたいに」
「はい! あたし覚えたい! 教えて、ヤシロ!」
突然、背後からにゅっとパウラの顔が伸びてきた。
俺の肩にアゴを載せるような格好で、俺の背中に縋りついている。
「お・ね・が・い~」
「どこで覚えた、そんな如何わしいおねだり……」
甘えんじゃねぇよ。顔がにやけるだろうが…………にやにや。
……って!? なんか四方八方から冷たい視線食らいまくってるんですけど!?
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
……なんだろう。無言が痛い。心臓に悪い。
「パウラ……今度教えてやるから、とりあえず離れてくれるかな?」
「やったぁ~! お色気作戦、大成功~!」
いや……これはある種の脅迫だぞ。
「美味しいよね、ドーナツ!」
もうすでに食べたようで、その味を思い出してはにんまりと出来るくらいにはドーナツを知っているらしい。
「来る前にネフェリー誘ったんだけどさ、なんか忙しかったみたいなんだよねぇ」
イマドキ女子同士気が合うのか、パウラとネフェリーはよく二人で出かけているらしい。話題スポットに二人で行ったりしているみたいだ。
まぁ、二人揃って陽だまり亭に来ることがほとんどだけどな。話題スポットって、他にはあんまりないもんな。
「ネフェリーがね、『食べに行きたいのに、今日は養鶏場ミーティングがあるのよ~!』って泣いてたよ」
「あいつ、運営にまで口出してんのか?」
両親、健在だろうに。
まぁ、他の誰よりもタマゴ愛の強いヤツだからな。
「明日食べに来るって」
「じゃあ、パーシーも明日来るな」
「うふふ。きっとそうですね」
ジネットが笑い、つられてパウラも笑う。
それにしても、引っかかるところがある。
パウラの先ほどの口ぶりでは、さも「陽だまり亭にドーナツ食べに行こうよ」と誘いに行ったようではないか。
しかし、ドーナツは今日の朝、初めて陽だまり亭に誕生したのだ。
ジネットもベルティーナも、エステラやルシアでさえも知らなかった食い物だから、パウラやネフェリーが知っていることがおかしい。
「どこでドーナツの情報を得たんだよ?」
「あぁ、それならハム摩呂がさ、『陽だまり亭の、新メニューやー!』って、大通り走り回ってたよ」
「……あいつ、殻剥きに参加してなかったっけ? いつ大通りなんか行ったんだよ」
宣伝してこいなんて言ってないのに……どうりで客の入りがいいはずだ。
ロレッタ弟妹は、ほんと宣伝の天才だな。
「ますます、貸し切りは不可能になったね」
「散々宣伝しといて、『食わせません』じゃ、あとで何されるか分からんよな」
エステラがからかうような笑みを向けてくるが、こっちは苦笑いしか返せなかった。
まぁ、今日はコーヒーでも飲んで、大人しくしておくか。対『BU』の対策も練らなきゃいけないしな。
「……店長。ドーナツのおかわり、いる?」
「ありがとうございます、マグダさん」
ジネットに代わり、現場を仕切るマグダがドーナツを持ってやって来る。
ジネットは手を伸ばしかけるが、少しだけ戸惑いを見せる。
「どうしましょう。食べたいんですけど、一人で一個は、ちょっと無理かもしれません……」
「じゃあ、ボクと半分こしないかい?」
「わぁ! いいですね、それ!」
「『仲良し食べ』だね」
嬉しそうに笑顔を交わし、ドーナツを綺麗に二等分して分け合うジネットとエステラ。
騙されるなジネット! エステラは『店長試食用ドーナツ』を強奪して、ドーナツの代金をケチるつもりなんだ!
「……節約術?」
「違うよ、マグダ!? なんなら払おうか、半分!?」
「い、いえ! 大丈夫ですよ、エステラさん! ここはわたしが持ちますから!」
うむうむ。
マグダは俺的な考え方を身に付けてきたな。
ジネットの腕前と俺の商売法……そのどちらもマスターすれば、お前はきっと、オールブルーム随一の飲食店を生み出せるぞ。
「マグダ。……お願いだから、これ以上ヤシロに似ないでね」
エステラが失礼なことを言う。
マグダの両肩に手を置いて、瞳をまっすぐ見つめて、切実な思いをぶつけている。
真剣そのものだな、お前のその目。
「…………心に留めておく」
そしてマグダも、明確な否定はしないんだな……
ちょっと「なりたくないなぁ」みたいな思いがあるんだろう。
「おい、マグダ! しゃべってないで厨房戻ってくれよ!」
「アタシらだけじゃ回しきれないさね!」
「……む、部下が呼んでいる。では、失礼」
上司風をびゅんびゅん吹かせながら、マグダが厨房へと小走りで戻っていく。
デリアとノーマは、朝からの流れでなんとなく手伝いをしてくれている。……の、だが。ノーマ…………本当にいいのか、仕事?
「ふふふ……。本当に愉快だ。引っ越してこようかな」
「おい、そこの領主」
とんでもない発言してんじゃねぇよ。
領主が勝手に引っ越しなんか出来るわけないだろう。
「それで、何か対策は考えたのか、カタクチイワシよ?」
「こっちは豆の処理でそれどころじゃなかったよ」
正直、豆の使用法を考えるので精一杯だった。
というか、情報が少な過ぎる。
昨日は、これ以上豆をもらいたくないからとさっさと退散してしまったが、もっと粘って現地を調査しておくべきだったのかもしれない。
とっかかりがなさ過ぎる。
何より、あの多数決制度。――あれのせいで七人もいた領主の特徴が、誰一人として、まるで記憶に残っていない。
そんな状態じゃ、何を話し合っていいのかすら浮かんでこない。
何かとっかかりがあれば……『BU』を突き崩すための作戦だって…………
「英雄様! 領主様!」
と、そこへ血相を変えたセロンとウェンディが駆け込んできた。二人揃って真っ青な顔をしている。
乱れる呼吸もそのままに、二人は揃って頭を下げる。
「「申し訳ありませんでした!」」
食堂内の空気が固まり、セロンたちの悲痛な息遣いだけが耳に届く。
そんな二人の危機迫る様子を見て、何かが動き出す――そんな雰囲気を、俺は感じていた。
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