「…………ヤシロ……」
俯いたデリアが、ぼそりと呟く。
小さな声なのに、いやにはっきりと鼓膜に届いた。
……あ、俺、死んだ。
「…………い、いきなり…………変なこと、するなよ……な」
「…………へ?」
なんだか、様子がおかしい……
オメロの話では、『そういう』行為をすると、デリアに瞬殺されてもおかしくないということだったはずで、俺がやったクマ耳もふもふは『そういう』行為に該当するはずで、故に俺は瞬殺される以外に道はないはすだったのだが…………
「…………ヤシロだから、特別に、許すけどさ…………こ、今回だけ、だからな」
俯いて、手を後ろで組み、腰をひねるように肩を揺すっている。
そして、顔ははっきりと分かるくらいに真っ赤に染まっていた。
え………………ええええええええええっ!?
「ポ、ポップコーン、美味しかったし! そ、それでだからな!」
なにその、ツンデレ丸出しの言い訳。
俺、いつフラグ立ててたの?
「お、親方……」
デリアの足元に転がっている毛の塊――オメロが意識を取り戻し、デリアを見上げる。
「ひょっとして、親方はこの兄ちゃんのことが好――」
デリアの右足がオメロの腹部にめり込んだ。地鳴りのような音が響き、微かに大地が揺れた。
オメロは再び意識を失ったようだ。……ホント、地雷踏み過ぎだろ、お前。
「そ、そうだ、ヤシロっ!」
話題を変えるように、デリアが大きな声を出す。
とてもいいことを思いついた――デリアの顔にはそんな言葉がぎっしりと書き込まれているようだった。
「トラ人族の娘が怪我しちまって、人手が足りてないんだよな?」
いや、まぁ……マグダが怪我をしたおかげで狩りは休みを余儀なくされているが、人手が足りないということはない。
店ならジネット一人で切り盛りできるし、俺やエステラが手伝うことも出来るし……
「川漁が出来ない間、あたいが店を手伝ってやろうか?」
……………………えぇ…………
「な、なんだよぉ! 嫌なのかよぉ!?」
「いや……嫌というか……」
断言するが、デリアに接客業は無理だ。
こいつなら、平気で客を殴る。
いや、その前に、デリアを怖がって客が寄りつかなくなるかもしれない。
……それは困る。
「お、お金はいらないぞ!」
「いや、お前お金がないと困るんだろ?」
「これがあればいい!」
そう言って、ハニーポップコーンの袋を両手で突き出す。
……ポップコーンで支払い?
「一日頑張って働いたら、仕事終わりにこれを一人前くれればいい! あたいは、寝る前に甘い物を食べられればそれでいいんだ!」
確かに、破格の条件だ。
接客業が無理でも、薪割りや荷物の運搬など、力仕事を頼むのもいいだろう。
…………ふむ。
とはいえ。
「たぶん、給金なしはウチの店長が許可しないだろう」
「あたいがいらないって言ってんだぞ?」
「それでも、聞かないのがウチの店長なんだよ」
自分が貧乏なくせに他人に対しては律儀に筋を通そうとする。そういうヤツなのだ。
「だから、給金は格安にして、昼夕の飯と仕事終わりのポップコーンってことでどうだ?」
「そんなにいいのかっ!? やる! やらせてくれ!」
デリアは興奮が抑えきれず、俺の両手を握り上下にぶんぶんと振る。……肩がっ、外れるっ!
「はっ!? ご、ごめん!」
苦悶に歪む俺の顔を見て、デリアは手を離す。
くるりと反転して俺に背を向ける。
そして、繋いでいた手をジッと見つめて頬をぽっと染める。
…………いやいや、そんな乙女チックなことじゃなくて、こっちは傷害事件一歩手前だったんだが?
「…………これで、ヤシロと一緒にいられる」
何をそんなに気に入ってくれたのかは知らんが、まぁ、好感を持たれているのは悪いことではない。いろいろ融通が利くようになるしな。
まぁ、もっとも。それをこれ見よがしに振りかざして交渉カードにするのはいただけないが。
なので、今の発言は聞こえなかったことにしておく。
「それじゃあ、一度陽だまり亭に来てくれ。ジネット――店長に話してみるから」
「うん! 分かった! 今から行こう!」
「今から? いいのか、オメロの泳ぎの特訓は?」
チラリと視線を向けると、オメロが「なに余計なこと言ってんだよ!? いいから今すぐ連れて行けよ!」と必死な形相で念を送りつけてきていた。
…………断っちゃおうかなぁ、バイト。
「オメロはどうせ何をやっても泳げないから、別にいいんだ」
「えっ!?」
驚愕の発言に声を漏らしたのはオメロだった。
……完全に見捨てられてるな……つか、ならなぜこんな川のコンディションが最悪な日にトレーニングを…………まぁ暇だったんだろうな。
「じゃあ、行くか」
「あぁ!」
俺が歩き出すと、デリアがそれについてくる。
きっと今頃、オメロは歓喜の表情を浮かべていることだろう。
「あ……っ」
数歩歩いたところで、デリアが声を上げる。
振り返ると、デリアは赤い顔をして自分の耳を押さえていた。
「一つだけ……約束、してほしいことがある」
少し照れくさそうに、逃げる視線を懸命に俺に固定して、デリアが口を開く。
「ひ、人前で耳を触るのは…………な、無しだからな」
……人前じゃなきゃいいのかよ。
クマ耳はおっぱいと同等なんだよな?
「分かった。もう触らねぇよ」
どうせなら、おっぱいの方が楽しいしな。
かと言っておっぱいを触らせてくれとも言えん……あぁ、無常。世の中は世知辛いものだ。
「絶対だぞ!」
「分かったよ」
「絶対に絶対だぞ!」
「はいはい」
「本当に絶対だからな!」
「あんまりしつこいと両方いっぺんにモフモフするぞ!?」
「――っ! もうっ! エッチだな、ヤシロはっ!」
こういう会話の後、女子が「ぺしぃっ!」って肩を叩いたりする……なんてのは、男子なら誰もが憧れる行為だろう。だが、その相手がデリアならどうなるのか……
解――骨が粉砕したかと思うような激痛にのたうち回ることになる。
痛い。
痛いなんてものじゃないほどに痛い。
俺の骨密度がほんの少しでも低かったら粉砕されていたことだろう。
教訓。
セクハラはほどほどに。
それから、カルシウムは摂取しといた方が身のためだ。
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