「それじゃ、そろそろ行くか」
「そうだね。席順は適当でいいかな?」
「は、はい。私はどこでも構いません」
「みりぃも、それでいいよ」
エステラが一番に乗り込み、まだ少し緊張の残るウェンディとミリィを先に馬車に乗せる。
俺は最後に乗ってドアを閉める係だ。
「では、陽だまり亭をお願いしますね」
「……任せて」
「あたしたち二人がいれば無敵ですっ!」
「あとから、デリアさんとウーマロさんがお手伝いに来てくださいますので」
「……うむ。こき使う」
「先輩の風格を見せつけてやるですっ!」
「いえ……そうではなくて……」
昨晩、遠出の約束をしたこともあってか、マグダもロレッタも気合い十分、店を守りきるつもり満々だ。やる気が満ち満ちている。
マグダが指示を出せば、デリアとウーマロもちゃんと機能するだろう。
店は任せても大丈夫だな。
ジネットは少し戸惑い気味だが。
大丈夫大丈夫。デリアは細かいことは気にしないし、ウーマロには何をしたって許される。他ならぬ俺が決めた陽だまり亭絶対ルールだ。
少し後ろ髪を引かれ気味なジネットを馬車に押し込んで、最後にもう一度マグダとロレッタに向き直る。
「二人とも、頼んだぞ」
「……頼まれた」
「どーんと任せるです!」
並んで立つ二人の頭にそれぞれ手を載せる。
同時に撫でてやると、マグダは満足そうに目を細め、ロレッタは慣れていないのか目を白黒させていた。
「じゃあ、行ってくる」
「あ、あのっ!」
馬車に乗ろうと振り返ると同時にロレッタが声を上げた。
姿勢をそのままに視線を向けると、ロレッタがなんだかもじもじしていた。
呼び止めておきつつも何かを躊躇う素振りを見せる。
「…………で、出来るだけ、その……」
照れくさそうに俯いて、上目遣いでこんなおねだりをしてくる。
「……なるべく早く帰ってきてくれると、嬉しい……です」
ロレッタにしては珍しい、控えめで正直なアピールだ。
ジネットに見せたら三十五区行きを中止させかねない破壊力だな、これは。
もう一度ロレッタたちへと向き直り、さっきよりもしっかりした手つきで頭を撫でてやる。
「善処する」
「はいです…………ありがとです」
「…………むふー!」
晴れやかな二人の笑顔を見て、俺は馬車へと乗り込んだ。
「お父さんだね、もはや」
「やめてくれ。まだそんな甲斐性はねぇよ」
あんなデカい子供は俺の手に余りまくる。
エステラが御者に合図を出し、馬車がゆっくりと動き出す。
御者はルシアのところのお抱えだそうだ。安全運転で頼みたいもんだな。
動き出した馬車の中で、改めて三十五区へと向かうメンバーの顔を眺める。
ジネットは少し緊張気味ながらも落ち着いた表情を浮かべている。周りへ配慮できるくらいの余裕はあるようで、ガチガチに緊張しているウェンディとミリィに声をかけてやっている。
エステラは落ち着いた面持ちでそんなジネットを見つめている。時にフォローを入れたり、笑みを見せたりして車内の緊張を解そうとしているようだ。
ウェンディは、突然の呼び出しに緊張しっぱなしだ。それがルシアに呼び出されたことによるものなのか、またルシアに触角をぷにぷにされるかもしれない恐怖から来るものなのかは知らんが……まぁ、前者だろうな。
そしてミリィは、緊張と期待の混在した表情を見せている。花園に行けるわくわくと、自分を招待したのが三十五区の領主だということへの緊張が混ざり合って複雑な感情が渦巻いているようだ。嬉しそうであり泣きそうでもある。
座席は、進行方向に向いた窓側がエステラ。その隣に俺。
向かい側の窓側にウェンディ。真ん中にミリィ。そして一番ドア側にジネットが乗っている。
「エステラ」
この中では一番落ち着いているように見えるエステラに声をかける。
体を近付け、そっと耳打ちする。
「……大丈夫か?」
エステラは、割とメンタルが弱い。その弱点を自覚しているから、領主になる踏ん切りをなかなかつけられなかったのだ。
周りが分かりやすく緊張しているせいで、こいつは無理をして落ち着いた素振りを見せているのではないか。と、そう思ったのだ。
顔を覗き込むと、エステラは目を丸くして少し驚いたような表情を見せた。
「驚いたな」
それだけ言うと、エステラは口角を持ち上げ、どこか意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「いつから君は、そんなに優しい男になったんだい?」
心配はいらない……ってことを、遠回しに言っているのだろう。
うっせ。俺はいつだって優しいだろうが。
「緊張はしているよ。けど、怖くはない」
拳を握り、それを俺の胸にトンと当てる。
「ボクは一人じゃないからね」
拳が触れている部分が微かに温かい。
頼られているのだとよく分かる。
……そんなに期待されても困るんだが…………まぁ、不安がないならその方がいい。
「でも」
ふわっと腰を持ち上げ、今度はエステラが俺の耳元に唇を近付ける。
そして囁くような声で――
「ありがとね」
――と、呟いた。
……えぇい、耳がこそばゆいわ。
不服を訴えようとエステラを睨むと、にんまりとした、上機嫌丸出しの笑みを向けられた。
何がそんなに嬉しいんだか。
とりあえず心配はないようだ。
「あの、ヤシロさん」
エステラとの密談とも呼べない会話を終えると、斜向かいの席からジネットが俺に視線を寄越してきた。わずかに不安の見え隠れする表情だ。
「大丈夫ですか?」
あぁ、そうか。
ジネットには気付かれるのか。
実のところ、俺も緊張しているのだ。
他人の心配をしている方が、多少は緊張が紛れるかと思ってエステラに話を振ってみたのだが……もしかしたら、この中で一番平常心を保っているのはジネットかもしれないな。周りの人間のことがよく見えている。
「正直に言えば、今回の呼び出しがどういう内容なのか見当がつかないんだ。おそらく、かつて『亜種』と呼ばれた者に会わせるつもりなんだろうが……」
そうでなければ、ルシアがわざわざ今回のような機会を作る意味がない。
俺たちの目的――セロンとウェンディの結婚式のことを知った上で、ルシアは俺たちを呼びつけた。
「会わせたい人物がいる」と。
その人物は、虫人族と人間の結婚に関して『何か』を抱えた人物に違いない。
まぁ、だいたい想像はつくが……
おそらく、人間と結婚した……『していた』かもしれんが……虫人族なのだろう。
その人物に、一体どんな事柄を突きつけられるのか……不安がないといえば嘘になる。
俺がやろうとしていることを、ルシアはエゴだと言った。
それでも、そのエゴを貫こうとする俺に会わせたい人物。俺を止める気なのか、後押しする気なのか……はたまた、背負うには重過ぎる課題でも寄越してくるつもりなのか……
割と気軽に動き始めた今回の計画だったが……このオールブルームの成り立ちに関わるような面倒くさい事柄に足を突っ込んでしまったようだ。
アッスントの忠告通りになっちまったな。
「本音を言うぞ――」
俺は、その場にいるメンバーに、嘘偽りない、正直な気持ちをぶっちゃける。
「この街に巣食う、差別意識や種族間のぎくしゃくした摩擦をどうこう出来るとは思っていない。いや、むしろ絶対に出来ないと確信している。俺たちに出来ることなんざ、たかが知れてるんだ」
そんな根深い感情を、ぽっと出の俺が数日やそこらでどうこう出来るわけがないのだ。
日本でだって無理だ。
他所者の…………もとい、他所からやって来た俺には荷が重過ぎる。
……いや、ほら。俺が自分のことを『他所者』って表現すると、いろんなヤツが微妙な顔をするからさ……ジネットなんか泣きそうな顔をしやがる。だから自重したまでだ。
そんなわけで、もうそろそろ他所者ではなくなりつつあるのかもしれない俺なりに手を尽くしたところで、この街の数百年に及ぶ歴史をひっくり返すなんてことは不可能なのだ。
けれど、他所者でなくなりつつあるんだからよ……そのまま放置ってのも、気分悪いじゃねぇか。
「だから、『多少はマシになったな』くらいのところまでは持っていく」
きっと、差別意識ってのはなくならない。
ずっと、世代が変わっても、心の奥底にくすぶり続けるのだろう。
人間である以上、それは仕方のないことだ。
貴族や王族が存在するこの街でなら、尚のことな。
だが、その差別意識ってヤツを『くだらないこと』に変えてやるくらいは、もしかしたら出来るかもしれない。
お互いに別の人種として、すべてを理解し合えないまでも、一緒になって楽しめるってとこくらいには持っていけるんじゃないだろうか。
「お前は○○人族だから仲良くしない!」なんて言葉が、「もったいなくて吐けない」状態にすることくらいなら……
くだらねぇことやってないで、一緒に楽しもうぜ。
そういう空気を作り出すことくらいなら……俺たちなら、出来るんじゃないかと、俺は思うんだ。
「それでも――」
背筋を伸ばし、まっすぐに俺を見つめ、ジネットが澄み渡る声で言う。
「そうすることで、楽しいと思える人が、今よりも、ほんの少しでも増えるのなら……それは素晴らしいことだと、わたしは思います」
言葉を区切りながら、一言一言をはっきりと言葉にしていく。
まだまだ、自信というどっしりとした安定感はないものの……発せられた言葉はまるでベルティーナの口からもたらされるその声音のように凛とした響きを持っていた。
「やろう。ボクたちに出来ることを。全力で」
ぽんと、俺の肩に手が置かれる。
エステラの手は、少し温かく感じた。興奮して熱でも上げているのかもしれない。
「ぁ……ぁの…………もし……みりぃにも、なにか……できることがあったら……」
とても控えめな協力者が、一生懸命な眼差しで俺を見つめている。
そうだな。ミリィには、きっと力を借りることになるだろう。
「頼りにしてるぞ」
「ぁはっ、ぅん!」
ミリィの照れ笑いの隣で、ウェンディはまた少し泣きそうな表情を浮かべていた。
嬉しげに……静かに……微かな笑みを浮かべて。
「しっかりしろよウェンディ」
完全に巻き込まれたような感じではあるが……もともとの発端はお前たちなんだ。
「お前らの結婚式が成功すれば、この街に笑顔が溢れることになるんだぞ。泣いてる暇はないからな」
「…………はい」
こくりと頷いて、細い指で目尻を拭う。
そして、しっかりとした口調で、ウェンディは言う。
「頑張ります」
何を頑張ればいいのか、きっとウェンディにも分かっていないのだろう。
だが、その心持ちが大切なのだ。
何を頑張ればいいのか。それは、追々見つけりゃいい。
敵は、目に見えない厄介なヤツだ。
だからこそ……
「へっ……、な、なんですか? わたしの顔、何か変ですか?」
「いや」
そばにいて、一緒に頑張ってくれる仲間がいるってことを、忘れないようにしなきゃな。
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