弟たちと陽だまり亭に戻った後、俺は妹たちのもとへと向かった。
弟たちのことはロレッタが「任せてくださいです! これでも姉ですので!」と引き受けてくれたのだ。任せておくことにする。
とにかく、屋台が一つになってしまった以上、売れる方で稼いでおかないと…………
「………………えっ?」
大通りに来て、俺は目を疑った。
屋台の周りに、人がいないのだ。
昨日の風景とは打って変わって、重苦しい、居心地の悪い空気が広がっている。
……これは、七号店の時と同じ空気だ。
俺は堪らず駆け寄り、妹たちに声をかける。
「おい、大丈夫か?」
「あ……………………おにぃ……ちゃ……」
俺の顔を見て、妹の一人が泣き出してしまった。
そいつを抱き寄せ、背中をぽんぽんと叩いてやる。
そうしながらも、比較的落ち着いている妹に話を聞く。
「何があった?」
「……分かんない…………なんでか、誰も買ってくれなくなって…………」
「いつからだ?」
「今日は…………最初から……」
どういうことだ……
昨日はあんなに行列が出来ていたってのに。
屋台の周りには、遠巻きにこちらを窺っている者が何人もいた。
子供の手をしっかりと握り、屋台に近付かせないようにしている親までいる。
何があった?
何かがあったはずだ……
「おいっ!」
原因は何かと思考を巡らせていると、不意に耳障りなノイズが聞こえてきた。
見ると、カマキリを哺乳類にしたような、痩せた男がへらへらと笑いながらこちらに近付いてくるところだった。
「誰に許可取ってここに店出してんだよ?」
出で立ちが昭和のチンピラだ。
胸元を大きく開けさせ、ガニマタでよたよたと歩く。
首をカックンカックンさせながらガンを飛ばし続けている。
「見て分かんねぇのか? 領主の許可だよ」
屋台の屋根には額縁が取り付けてあり、そこに、エステラ直筆の出店許可証が提示されている。
「はっ! 嘘吐けよ!」
「これが偽物に見えるのか?」
「偽物とか本物とかどうでもいいんだよ」
どうでもいいだと?
こいつは何を言ってるんだ?
いざとなったら、ナイフで応戦もあり得るなと、俺が身構えた時……
「スラムの人間に領主が許可なんか出すわけねぇだろうがっ!」
そのカマキリ男はバカデカい声でそう叫びやがった。
その瞬間、辺りを覆っていた居心地の悪い空気が一変した。
「あぁ、やっぱりそうなんだ……」という、納得の空気に……
「…………テメェか?」
「あん?」
「……いや、テメェみたいな三下が、こんな策略を練るわけがねぇよな」
「はぁっ!? ケンカ売ってんのか、コラ!?」
騒がしいだけのバカに時間を割いている暇はない。
敵の対応が早過ぎる。
俺たちが店を始めたのは昨日の朝だ。
それから一日、ずっとこの場所で店を出し続けた。閉店したのは夕方、人がいなくなる時間だ。
昨日の朝、俺たちの店を見つけ、様子を窺い、情報を集めて協議し、対策を打ち立て、実行に移す……それだけで一週間はかかってもおかしくはない。
ましてや、対策を講じ、効果が発揮するまでの時間が短過ぎる。
昨日の夕方までは、ここにいる一般人たちは普通にポップコーンを食べていた。
夜のうちに噂が広まったってのか?
そんなバカな。
こんな、コンビニも二十四時間営業の居酒屋も、まして街灯すらない街で、夜中に誰が噂話なんかするってんだ。
……いや。ヤツらがどんな方法を取ったかなんて、今はどうでもいい。
実際に悪評は広まり、こうして商売に影響が出ている。
こいつをどうひっくり返すか……それを考えなければ…………
「お……お兄ちゃん……」
真っ青な顔をして、妹たちが俺にしがみついてくる。
……なんで、こいつらがこんな思いをしなければいけないんだ…………
「おいおい、なんとか言えよ!? 聞こえてんのかよ!?」
「うるせぇぞ」
耳元でがなるカマキリ男に少し理性が切れかけた。
思わず、威嚇の視線を向けてしまった。
カマキリ男は俺に睨まれて息をのみ、体を半歩引いた。
口先だけの三下なら、この程度だろう。
相手にするだけ時間の無駄だ。
怒りに任せてぶっ飛ばしてやりたいが……そんなことをしたらさらなる悪評が立ってしまう。
それこそが、『ヤツら』の狙いなんだろうけどな………………行商ギルドめ。
「今日はもう店じまいだ。片付けてくれ」
「え…………う、うん」
妹たちの頭を撫で、優しく声をかける。
一度陽だまり亭へ戻り協議し直そう。
俺の読みが甘かった。
ここまで露骨に悪意を向けてくるとは考えていなかったのだ。
…………しっかりしろよ、俺。
よし。
落ち込んでても仕方ない。
とにかく帰ろう。
……と、気持ちを切り替えようとしたところで、バカがまた余計なことをしやがった。
「テっ、テメェら! 逃げんじゃねぇよ!」
「きゃあっ!?」
カマキリ男が、近くにいた妹の頭を掴みやがったのだ。
恐怖に怯えた妹は、必死にその手を振り解き、パニックになって屋台を飛び越えた。
「あっ!」
その声を発したのが誰かは分からない。群衆の中の誰かだ。
ただ、その声をきっかけに、そこにいた者の視線が妹へと集中してしまった。
三角巾が脱げて、あらわになった……ハムスターの耳に。
「ほら見やがれ! やっぱりスラムの住人じゃねぇか! こんなもんで隠したって無駄なんだよ、無駄ァ!」
「…………………………っ」
その時、俺は何も考えていなかった。
ただ、細胞に刻まれた、本能以前の、もっと原始的な思考によって体が動いていた。
すなわち――
――敵は殺せ。
自分でも驚くような滑らかな動作で、俺はナイフを取り出し、ためらうことなくカマキリ男の首に刃を走らせた。
頸動脈を一閃。
これで、うるさいノイズは一生聞こえなくなる…………はずだった。
「……領内での理由なき殺生は死罪ですよ、オオバヤシロ」
突如――そんな言葉がぴったりくるほど突然の出来事だった。
俺の目の前にナタリアが出現していた。
鋭い視線が眼鏡越しに俺を見つめている。
俺の振り上げたナイフは、ナタリアのナイフに絡め取られ、俺の手からは消えていた。
ナタリアの右手に二つのナイフが握られている。
そして、左手には……
「…………ぐ…………ぐる……じ…………ぃ……っ」
口角から泡を吹いてバカみたいに口を開けているカマキリ男の首が握られていた。
気管を的確に潰している。アレは苦しいぞ。
「領主の許可を得た店を襲撃することは、領主に盾突くことと同意。つまり……私のお嬢様の顔に泥を塗ることと同義、イコォォォォール、死っ!」
いやいやいやいや!
飛躍し過ぎだろう!?
「……冗談はさておき」
笑えない冗談だなぁ……
ナタリアはゴミでも見るような視線をカマキリ男に向けて、平坦な声で言う。
「貴様には聞きたいことがあります。領主の館まで来てもらいます。拒否権はありません」
「…………ば…………ばい…………わがり……まじ…………」
そこでようやくカマキリ男が解放され、鈍い音と共に地面へと落下する。
ぴくぴくと痙攣しているが、生きてはいるようだ。きっと、死ぬギリギリのラインを心得ているのだろう。
「皆も聞きなさい」
そして、ナタリアは、カマキリ男を握っていた左手を純白のハンケチーフで拭きながら、遠巻きにこちらを窺っている群衆に声を向けた。
「この店は、正式に領主代行が許可なさったものです。好むと好まざるとにかかわらず、不当な扱いを行う者はこの私、ナタリア・オーウェンが許しません!」
ナタリアの声が止むと、辺りは水を打ったような静けさに包まれた。
四十二区のメインストリート、毎日多くの人で賑わうこの大通りがだ。
「……これで客が戻るとは思えませんが……少なくとも、露骨な破壊工作はなくなるでしょう」
「すまない。助かった」
「あなた自身も、短絡的な行動は控えなさい……そちらの無垢な瞳に、血生臭い光景を刻み込みたくはないでしょう」
俺の背後で身を寄せ合う妹たち。
そうだな。もう少しで、取り返しのつかないことをするところだった。
「以後、気を付ける」
「そう願います」
事務的に言って、ナタリアはカマキリ男を担ぎ上げる。
……自分で運ぶんだ。部下とかいないのかよ。
「……あとのことは、自分でなんとかなさいませ」
それだけ言うと、こちらの返事も聞かずに歩き出してしまった。
あぁ。分かってるよ。
絶対成功させてやる。
こんなことくらいで諦められるかよ。
ただ一つ、あのカマキリ男に伝言できなかったのが悔やまれるな。
まぁ、今度会った時にでも直接言ってやるか。
行商ギルドの連中よ。
お前らは、『叩き潰しても心が痛まないリスト』から――
『何がなんでもぶっ潰してやるリスト』に変更されたってな。
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