「取り引き?」
胡散臭そうに、サル女を見つめる。
訝しんでますよと、精一杯に伝わるように。
こうやって警戒されたり拒絶される方が、持ちかけた側は必死になるものなのだ。
「なんとしてでも成立させてやる」と。
逆にほいほい食いついたりすりゃ、「なんか裏があるな」と警戒されることになる。
「あぁ、そうだ。悪いようにはしねぇからさ」
しきりに出入り口の方を気にしながら、声を潜めて訴えかけてくるサル女。
しかし、見事に食いついてくれたもんだ。
スパイ相手には一週間から一ヶ月くらいかけてじっくりとやるこの戦術。警戒心を解くのはそう簡単ではない。
サル女がスパイのように訓練されたものではないとはいえ、あまりにも食いつきが早い。
サル女の軟化に作用したのは、おそらくヤップロックだろう。
捕らえられた罪人というのは、大抵が後悔と不安を体内に溜め込むものだ。「ヘマをしちまった」「なんであの時……」と。
そして、牢屋の柵越しに自分を見てくる裁く側の人間に対しては怒りと反発心を滾らせる。「誰がテメェの思い通りになってやるものか」「今に見てやがれ、絶対に出し抜いてやるからな」と。
そんな不安と怒り、静と動の負の感情が体内に溜まっていくと、そいつの心はパンパンに膨れあがる。冷静な判断が出来なくなり、とにかく逃げ出したいという感情が膨れあがっていく。
そんなに膨らんだ感情を抱え込んでいる時に、最も触れられたくない部分を突かれたら……膨れあがった感情は破裂してしまう。
このサル女の場合は、守るべき誰か。そいつをきちんと守れているのかという詰問だ。
おそらく自覚があるのだろうな。自分のやり方ではその大切な誰かを守りきることは難しいと。もしくは、今現在、守りきれていないと自覚しているのかもしれない。
だが、それを他人に、それも初めて会ったような、こちらの都合を何も知らないヤツに知った風な顔で説教をされれば、その反発は殺意にも似た凶暴性をもって吐き出される。
図星だからこそ許せない。
そんな爆発を起こしたおかげで、このサル女は溜め込んだ感情を幾分吐き出すことが出来た。それは、普段の冷静さを呼び戻す呼び水となる。
パンパンだった心の中に、わずかに隙間が出来た。その空いたスペースを活用しない手はない。使うのであれば……どうやってここを抜け出すのか、その算段をする。牢屋に入れられた人間のほとんどがそう考えるだろう。……まっとうに刑期を終えて円満に出て行こうと考えるヤツでもない限りは。
「あんたも、こっち側の人間なんだろ?」
その質問は、ある種の願いを含んでいた。
『こっち側』――すなわち、反体制側。ともすれば、下手を打って牢屋に入れられかねない生活を送るアウトローサイド。
まぁ、どっちかっていうと、そっち側かもな。
「誤魔化したって無駄だぜ。顔を見りゃ分かんだからさ、お仲間は」
ほほぅ。
俺の顔には悪人要素がにじみ出しているってわけか。うん、いい目をしている。
……と、褒めてやりたいところだが、まぁ俺が撒いたエサに食いついただけなんだろうけどな、実際は。
俺が不服そうにここへ入ってきたこと。
その後、真面目に監視もしないでさっさと眠りはじめたこと。
そして、こいつの死角となる出入り口付近で行った一人芝居。それらを見ていれば、大抵のヤツはこう思う。「あ、こいつはダメなヤツだ」と。
そして、悪党ならこう思う。――「こいつは与しやすいぞ」と。
金の匂いでもチラ付かせれば食いついてくるだろう……と、そう思われそうなタイプのダメ人間を装ったのだが、まんまと術中にハマってくれたわけだ。さすが俺だ。演技力がハンパない。…………地が出てそう見えたわけじゃないぞ? 演技だからな? アカデミー賞ものの。
「なぁ、いいだろう? 悪いようにはしないからさ」
長い前髪の向こうから鋭い瞳が俺を見つめている。
痩せているせいで迫力を増しているサル女の顔つきは、真正面から見るとそれはそれで美人に見えた。もう少し整えればもっと光るだろうと思わせる逸材だ。
「アーシの頼みを聞いてくれたら、あんたの望む物をくれてやるからさ……」
言いながら、サル女は腰に巻きつけていた黒い上着の袖をほどく。
フードの付いたパーカーのような形状の上着が床に落ち、細い体が一層引き立って見える。
そして、ちらりと……ベッドの方へと視線を向ける。
「アーシをここから出してくれりゃ、あんたに……」
まさか、こいつ……
「あの毛布をやる!」
「いらんわ、ボケっ!」
なんで意味ありげに腰に巻いた上着を取った!? あぁそうかい、毛布がなくなると寒いから上着を羽織ろうってことかよ!
紛らわしいことをするんじゃない!
「なんでだよ!? あんた、さっき欲しがってたじゃねぇか!」
「お前が脱獄したら、俺がここで見張ってる必要なくなるだろうが!」
「じゃあ持って帰ればいい」
「家にはあるんだよ、毛布くらい!」
「じゃあなんで欲しがったんだよ!?」
「今この場で使いたかったから!」
「じゃああの毛布をやる!」
「だから! 理解しろよ、前後の話を総合的に考えて!」
「毛布が欲しいのか欲しくないのかどっちだ!?」
「いらぁーん!」
「『精霊の……』ぉ!」
「やってもいいけど、そしたらただじゃおかねぇからな、コンチクショウ!」
精霊神がよほどのアホでもない限り、俺の発言は嘘とは見做されない。
空腹時に言った「飯食いたい」が、満腹時に『嘘』と見做されないように、時と状況によって発言の内容が変わることは許容されている。
「眠たい」くらいは誰だって言うからな。
「くそっ! あんたなら話が通じると思ったのに! がっかりだ!」
上着を羽織り、フードをかぶって、背中を向ける。
怒っているのか、尻尾がビーンっと立っている。
はぁ……
思ってた以上に学がないな、こいつは。
……こんなアホの娘相手に意気込んでいたのか、俺は………………恥ずかしい。
けどまぁ、話してみた感じ素直そうなヤツではあるか。
ちょっとだけデリアに通じるところがある。
「お前が捕まって、もう丸一日は過ぎた頃合いか?」
俺を無視する背中に問いかける。
返事はないが構わず続ける。
「心配になるよな、……待たせている誰かのことが」
ゆっくりと、サル女の顔がこちらを振り返る。
俺を射殺そうとでもするかのような鋭い視線を伴って。
「ちゃんと飯が食えてるといいな。まだ小さいんだろ?」
顔に続いて、体までもが完全にこちらへと向き直る。
「お前の娘…………って年齢じゃねぇから……」
微かな反応。
それを見て俺は確信する。性別は女だ。
「お前の、妹か」
「テメェ……」
大股で素早く近付き、乱暴に牢屋の柵を掴む。
鈍い音がして牢屋の中に反響する。
やかましい残響を無視して、サル女はドスの利いた恐ろしい声で俺に詰め寄る。
「どこで調べた? 誰が話しやがった!? あの貴族も知ってんのか!? ……あいつに手を出しやがったら、殺すぞ。何がなんでもここを抜け出して、テメェら全員、まとめてぶっ殺してやるからな!」
二人しかいない地下の牢屋にサル女の絶叫が響く。
ビンゴだ。
分かりやすいヤツで助かった。随分と時間を短縮できた。
「誰にも聞いちゃいねぇよ」
「嘘だ!」
「『精霊の審判』をかけてみろよ」
「『精霊の審判』っ!」
おぉう!? なんの躊躇いもなく!? ……怖いわぁ、こいつ。
だが、こいつの情報を誰かから聞いたなんてことはない。
なにせ、誰もそんな情報を持ってはいないのだから。
「……なんで、カエルにならねぇんだよ……?」
俺の体を包んでいた光が消えて、サル女は驚愕の表情を見せる。
久しぶりに喰らったが……やっぱおっかねぇな『精霊の審判』は。
「誰もお前の妹のことなんか知らねぇからな、聞きようがないんだよ」
「じゃあなんで!? ……はっ!? 妹に会ったのか?」
会ってねぇよ。
今初めて確信したんだっつの。
「俺に情報を与えたヤツがいるとすれば、それはお前だ」
「アーシは何もしゃべってない!」
「あぁ、しゃべってない。だが、物語ってはいたな、お前の顔と、態度が」
「顔と……態度…………?」
理解できないという風に眉根を寄せる。
サル女の顔に浮かんでいるのは、これまでで最大級の警戒心。
あぁ、もういいんだ。好きなだけ警戒するといい。
一度会話さえ出来れば、あとはどうとでもなる。もう演技をする必要もない。
あとは、いつものやり方で――テメェの懐を強引に開かせてやるまでだ。
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