「嬉しいです!」
「……は?」
顔を上げると、店員は握り拳を二つ揃えてアゴに添え、身悶えるように体を揺すっていた。
目がキラキラと輝いて、頬が上気している。
…………え?
「わたし、ずっと一人でこのお店をやってきたんですが、どうにもお客さんの入りが悪くて……誰か力を貸してくれる方はいないでしょうかと思い悩んでいたところなんです!」
「は、はぁ……」
店員は、両手で俺の手を掴み、鼻息荒く急接近してくる。
「これって、運命かもしれませんね!」
「いや、それは、ちょっと大袈裟なんじゃ……」
「いいえ! 精霊神アルヴィ様のお導きに違いありません! あぁ、毎日ご奉仕していてよかった……やっぱり、アルヴィ様はわたしたちを見ていてくださったのですね!」
いや~……たぶんだけどな、神様ってそこまで暇じゃないと思うぞ。
「こちらこそ、是非お願いします! 部屋はいくつか空いていますので、お好きなところを使ってください。掃除はまめに行っていますので、すぐにでも使えるはずです」
そんな説明をしながら、俺のカバンを手に取り、奥へと歩いていく。
「何か必要なものがあれば言ってください。お金がないので手に入れられないものがほとんどですが、自作できるものでしたら用意しますので」
しゃべりながら、ずんずんと奥へ進んでいく。
俺を置いて。
「あれ? どうされました?」
俺がカウンター前から動いていないことに気付き、店員は駆け足で戻ってくる。
「いや、いいのか?」
「何がですか?」
「俺を雇うってヤツ」
「はい! ……ただ、お給料は、本当に期待しないでいただきたいのですが……お食事は三食きちんとご提供いたしますので!」
「……お前、一人でここに住んでるんだよな?」
「はい。……数年前までは、お祖父さんと二人で暮らしていたのですが…………」
おぉっと。そんな暗い話は聞きたくないんだ。
要するに、一人暮らしで間違いないんだな?
「……いいのか? 男を、そんなほいほい家に上げたりして」
「え? ………………………………いけませんか?」
こいつマジか!?
マジで危機感がないのか!?
ビッチなのか!? 見かけによらず超遊びまくっているのか!?
もしくは、妖精や精霊の類か!? 穢れを知らな過ぎるのか!?
「あのな……俺は、大きなおっぱいが大好きだ!」
「ふぇえっ!?」
真剣な顔をして……………………俺は何を言っているんだ?
いや、違うんだ。
こいつがあまりに無防備過ぎるので……多少なりとも緊張感を持っておいてもらわないと、俺の理性が……いや、いい距離感を保つことこそが共同生活を円滑に運ぶ上で最も重要なことだと、俺は思うわけだうん。……あんまり無防備過ぎると、イケナイことをしてしまいかねない……そうなると、後々厄介なことになるからな。
「え、えっと……わた、わたしは、その……神に仕える身ですので、その、異性の方と、そ、そういった行為は固く禁じられており……それ故に……」
「あぁ、待ってくれ!」
盛大に慌て出した店員を見て、俺は少しだけ安堵した。
こいつにも、一応危機感というものは存在しているようだ。ただ、物凄く希薄なだけで。
「別にお前をどうこうしようというつもりはない。そこは信じてくれ」
「はい。信じます」
だから、早いんだよ、信用するのが……
「ただ、そういうことを踏まえた上で、もう一度尋ねるぞ」
俺は、真剣な表情で店員に尋ねた。
「俺を雇ってくれるのか?」
「はい。歓迎いたします」
こいつは…………
正真正銘のバカだ。
いやぁ、バカがいてくれて助かった。
これで、この世界での地盤固めがやりやすくなるってもんだ。
…………その間、こいつには、ちょっとだけ世間の厳しさを教えてやらなきゃな。
「分かった。お前の信用を裏切らないように努めるよ」
「はい。よろしくお願いします」
俺が手を差し出すと、店員はなんの躊躇いもなくその手を握った。しかも両手で、包み込むように。……やめてよ、ドキドキするじゃない。
とにかく、俺たちは握手を交わした。握手とはすなわち、契約の証だ。
「俺はオオバ・ヤシロ。文化圏の違いで分かりにくいかもしれんが、オオバが名字でヤシロが名前だ」
雇主となる店主に自己紹介をしておく。
海外に行ったことのない俺は、どうも名前と名字を逆さまにすることに抵抗があってな。俺はオオバ・ヤシロであって、ヤシロ・オオバではない。ワンタイムの関係ならともかく、しばらく世話になる人間には、正式に名乗っておきたかった。
「分かりました。では、『ヤシロさん』とお呼びしますね」
いきなり名前呼び!?
『オオバさん』と呼んでもらおうと思ってオオバが名字だと言ったのだが……こいつ、合コンで人気出る系女子なんじゃないのか? ……あぁ、こういう娘と合コンしたかったなぁ……
そんな俺の悲哀には気付く素振りも見せず、店主は俺の手をにぎにぎしながら笑みを向けてくる。
おぉう! にぎにぎ! なんかにぎにぎしてる!?
「あ、ごめんなさい」
俺が手を見つめていたからだろうか、店主はにぎにぎをやめて手を放した。
「なんだか、ヤシロさんの手が大きくて……つい」
こ、これが、噂に聞いた「わぁ、ヤシロ君って手、大きいねぇ」からのにぎにぎコンボかっ!?
こいつ、やっぱり合コンで人気出る系女子なのか!?
天然っぽいし、やっぱりそうなのか!?
「あ、あのっ、すみませんでした。なんだか、お祖父さんの手に似ていたもので……」
「誰の手がシワシワか!?」
「い、いえ! そういうことではなくてですね……とにかく。不快な思いをさせてしまって、ごめんなさい」
不快だなんてとんでもない!
「この娘手のひらやわらか~い」ってちょっとテンション上がっちゃっただけだ。
……ホント、こんな娘と合コンを……具体的には、王様ゲームとかしたかったな…………
「王様ゲームって知ってるか?」
「え? 王様ですか?」
「あぁ、いや。なんでもない」
あの反応……やっぱりこっちの世界にはないのか……
「あ、あらためまして」
こほんと咳払いをし、店主は姿勢を正した後で深々とお辞儀をした。
「私はジネットと言います。ジネットとお呼びください」
「…………うん。ジネットって呼ぶよ。それ以外の情報も開示されてないし」
「あ、すみません。ジネット・ティナールです。文化圏が違いますので分かりにくいかもしれませんが、ジネットが名前で……」
「あぁ、いやいい! 分かってるから」
つか、それ言ったの俺じゃねぇか。
分かってなかったら、わざわざそんな注釈つけるかってんだ。
……こいつ、やっぱりアホなんじゃないだろうか?
思わず眉を顰めてしまった俺に、ジネットは変わらず太陽のような眩しい笑顔を向けてくる。
歓迎されているのはよく分かった。だが、あまりに無防備過ぎて少し心配になってきた。
これはあれか? 保護欲ってやつか?
まさかな……
とにかく、これで当面の拠点を手に入れたわけだ。
この街のことを調べ、金儲けの種を探し……なんなら、この店を乗っ取ってやるのもいいかもしれん。こいつ……ジネットは、それくらいキツイお灸を据えてやらなければ己の愚かさに気が付かないだろう。授業料としてこの店を手に入れるのも、まぁ悪くないかもしれんな。
視線を向けると、ジネットと目が合った。
その瞬間、ジネットは小さくガッツポーズを作って、嬉しそうにこんなことを言った。
「これからも、パイオツカイデーで頑張りましょうね!」
「ぶふぅーっ!?」
「にゃっ!? お、お客さんっ!? どうしたんですか!? お客さん!?」
蹲る俺の背中を、ジネットがそっと撫でてくれる…………
いかん、こいつと一緒にいるのは相当危険かもしれない…………主に、俺の精神が持たない可能性がある。
笑顔で何言ってんの、こいつ?
……まぁ、100%俺のせいなんだけどな…………
こうして、俺は四十二区のおんぼろ食堂『陽だまり亭』にて、住み込みの従業員となった。
仕事内容は主に……アホな店主へのツッコミ、だな。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!