風呂の場所は裏庭の、無造作に切り出された丸太が置かれている辺りを片付けてその付近に作ることになった。
中庭ではさすがにスペースが足りず、前庭では通行人の視線が気になるし、陽だまり亭の入り口のそばに風呂場があるのはやはり躊躇われるので却下した。
結果、裏庭だ。
今は氷保存箱を仮に置いてあるくらいで、普段は俺が工作する時にチラッと訪れるくらいの場所だ。
かつては密造石窯があったりしたのだが……悪しき記憶だ、封印しよう。
「中庭に出る廊下にドアを作って、裏庭に出られるようにしてくれるか?」
「そうッスね。お風呂上がりにぐるっと回るのはよくないッスからね」
厨房から中庭へ出る廊下の途中に、裏庭へのドアを取り付けてもらう。
こうすれば、居住スペースと風呂場の距離が近くなる。
まぁ、外風呂なんで田舎の爺さんの家的な雰囲気は否めないがな。
「一応、風呂場から裏庭へも出られるようにしておいてくれ」
何があるか分からないので、動線は確保しておく。
ただし鍵は内側、風呂場からかけられるようにしておく。覗き防止のためだ。
風呂場となる小屋を建て、その周りには高い塀を作っておく。
これで覗きは防げるだろう。
「で、俺だけこっそり通れる隠し通路を……」
「ウーマロ。完成した設計図はすべてボクに提出するようにね。厳重にチェックするから」
俺の背後に赤い髪の悪魔が立っていた。
「エステラ、いつからそこに!?」
「君が悪巧みを始めた頃からだよ」
くそぅ!
誰にもバレないようにウーマロと二人きりで密談していたというのに!
「どうやってここまでたどり着いた?」
「ここは陽だまり亭の、いつもの君の特等席じゃないか。普通に歩いてきたよ」
くっ!
密談にのめり込み過ぎて周りが見えていなかった!
迂闊っ!
十五時を過ぎ、店内の客も少し減ってきた。
だから気付けなかったのだ。
店がごった返していたら、エステラは人とぶつかりそうになって、「あ、ごめんね。ボク、人よりクッション性に乏しいからぶつかったら痛いよね」とかいう会話も発生したはずなのに!
……で、席が空いたら、ついついいつもの席に座っちゃうんだよな、俺。
「あの、オイラ、ちゃんとしたお風呂を作るッスからね? マグダたんが覗き被害に遭わないためにも!」
「うんうん。ウーマロなら信用できそうだね」
「そうか? こんなあからさまに視線を逸らしてる男だぞ?」
試しに、俺も思いっきり視線を逸らしていいことを言ってみる。
「エステラ。覗きなんてしちゃダメだよな!」
「目を見て言ってごらんよ?」
ほら見ろ!
視線を逸らして発せられた言葉には信頼感など皆無ではないか!
「ウーマロのはいつもの病気だからいいんだよ」
「贔屓だ! 俺が純情ボーイな可能性だってあるのに!」
「あはは。ないない」
さらっと否定しやがって。
「これが設計図かい?」
「まだ仮のッスけどね。まずはヤシロさんと話を詰めて、その後で店長さんやマグダたんの意見を聞こうと思ってるッス。……と、エステラさんに伝えてほしいッス」
「あぁ、大丈夫だよウーマロ、ちゃんと聞こえてるから、そのまま話してて」
一切顔を見ずに会話するエステラとウーマロ。
お前らは熟年の仮面夫婦か。
「一応最初に要望を聞いたんだがな、『お風呂に馴染みがないので、よく分からないです』だとよ」
「そうだね。使ってみてから、『あ、意外と不便』って思うところが出てくるんだよね、こういうのって」
作らせておいて「ここがイマイチ~」とか言うのだろう。嫌な客だな、まったく。先に言えっつー話だ。
ま、それが出来る素人なんていないんだけどな。
「なので、最初にある程度形を決めて見せてやるんだよ」
「もっとも、『じゃあそれで』と言われる可能性が高いッスから、今の段階でしっかりと作り込んでおくつもりッスけどね」
「じゃあ、ボクの意見も参考にしてくれるかい?」
「なんで割り込んでくるんだよ?」
「だって、ボクは高確率で使わせてもらうことになると思うから」
「自分家に帰って入れ」
「ジネットちゃんと一緒に入る予定だからね」
「バカヤロウ! ジネットと一緒に入るのは俺だ!」
「それを全力で阻止するのがボクだよ」
ちっ!
貴様にそんな権限があるのか!?
ありそうだな、ちきしょう!
「ん? 二つも作るのかい? それに、こっち……大きくない?」
設計図を見て、エステラが眉を寄せる。
こちらを向いた目に言ってやる。
「どーせお前らは、みんなと一緒に入ったりしたいんだろ?」
小さい方は普段使いで、デカい方は『みんなで入る用』だ。
大浴場ってヤツだな。
ざっと五~六人くらいで入れそうなサイズだ。
「それは素敵過ぎるね! 是非実現してほしいところだよ!」
そんなデカい風呂は、水を入れたり沸かしたりするのがすっげぇ大変なんだろうが、そこら辺は『一緒に入りたいヤツ』に手伝わせればいい。
重い水運びも、獣人族なら楽々だろ?
薪割りも、きっと進んでやってくれるだろう。
「モーマットんとこのため池の水、使えると思うか?」
「大丈夫だよ。ちょうど先日水路の水質調査を行ったんだけど、あのため池の水は飲んでも平気なくらいにキレイなんだ。メダカが泳いでたから水汲みの際は気を付けてあげてほしいけれどね」
そりゃまた、随分とキレイなんだな。
なら、水汲みは比較的楽かもな。
いざとなれば井戸の水を使ってもいいのだが……井戸水は無限ではないからなぁ。
汲みに行くことになるだろう。
豪雪期の間は、雪をかき集めて沸かすって手もあるし。
「エステラんとこの風呂って、五右衛門風呂なのか?」
「昔はそうだったんだけど、お父様が病に倒れてから改装したんだ」
五右衛門風呂が通じたことにちょっと驚いた。
五右衛門風呂は浴槽の底の部分が鉄で出来ており、その下で薪を焚いて湯を沸かすタイプのお風呂だ。
長州風呂と呼ばれた、浴槽全体が鋳物の鉄製ではないため、浴槽に触れて大火傷という事故は減る。
もっとも、風呂の底は直火で熱せられた鉄なので、木の板を沈めてそこに乗るのだが。
五右衛門風呂は構造上あまり大きくできないから窮屈なんだよなぁ。
あと、底や壁に触れない方がいいからって縮こまって入らなければいけない。
あまりリラックス出来るとは、俺は思えなかった。
病に倒れた前領主を入れるなら、あまり適しているとは言えないだろうな。
「二つの風呂釜があってね。一つの風呂釜でお湯を沸かすんだよ。それを、大きな浴槽へ移して、水で薄めて浸かるんだ」
これなら、浸かる浴槽は熱くならないので足を伸ばして浴槽に体を預けることも出来る。
ぬるくなれば沸いた湯を足し、熱ければ浴室に置いてある水瓶から水を足す。
湯加減を入る者が調節できるので入浴中に薪を監視している必要はない。
随分といい風呂を持ってんじゃねぇか。
「ただ、同じスペースに浴槽を二つ作ったからさ、狭いんだよね、ウチのお風呂」
もともとは五右衛門風呂があった浴室に二つの浴槽を詰め込んだ影響で狭いのか。
それは仕方ない部分もあるか。
「こっちは新築だからな。好きなだけ広くできる」
「ボク、一回でいいから足を伸ばしてお風呂に浸かってみたかったんだよね」
もうすでに入る気満々のエステラ。
自分家の風呂を改装しろよ、なら。
「ただ、五右衛門風呂だと風呂の位置が高くなるだろ?」
五右衛門風呂はその性質上、どうしても風呂の位置が高くなる。
風呂釜の下に、薪を燃やすスペースが必要になるからだ。
そして、その薪を燃やすのは風呂の外になる。
「俺の理想としては、廊下からフラットに行ける浴槽で、外に出て湯を沸かす必要がない風呂なんだよな」
外に出て湯を沸かすとなると、きっとジネットが買って出るだろう。
あいつの苦労を増やすような風呂は容認できない。
かといって、俺が毎回風呂焚き係をやらされるのも敵わない。
なにせ、間もなくやってくる豪雪期は、外にいるだけで凍えてしまうような寒さなのだ。長時間薪の番をさせられるなんて冗談じゃない。
「というわけで、鉄砲風呂を作ろうと思う」
「てっぽうぶろ?」
風呂釜の下で火を熾して風呂釜を温める五右衛門風呂に対し、鉄砲風呂は浴槽の中に鉄製の筒を設置して、その中で火を熾すのだ。
鉄の筒の中で火を焚けば鉄は熱くなり、その鉄に触れた水はやがてお湯になる。
煙突を室外に出しておけば換気の心配もそこまでしなくていい。
それにこれなら風呂釜の底を鉄にする必要がないので尻を火傷する心配も無い。
まぁ、さらに安全性を高めるために、エステラのところと同じく二層式の風呂にするつもりだがな。
鉄砲風呂でガンガンに湯を沸かして、その水を浴槽に張って、薄めて入浴する。
これなら、湯がぬるくなろうとわざわざ外に出て窯に薪をくべる必要がない。
小窓でも作っておいて、その先に薪を積んでおけばいくらでも追い焚きが出来るって寸法だ。
「へぇ、いいなぁ、それ」
「うまくいくかはまだ分からんがな」
「いや、たぶん出来ると思うッス。ここに煙突を作って、で、ここに小窓で、この辺をこんな風に囲ってやれば湿気対策にもなって……」
ウーマロのエンジンがかかり、あれやこれやとアイデアを設計図に書き込んでいく。
エステラはちんぷんかんぷんな顔をしているし、俺でもちょっとついていけないレベルの話が紛れ込んでくる。
それでも、ウーマロは物凄く楽しそうだ。
話を聞いている限り、いい風呂になりそうな予感がする。
「くはぁ~! やっぱりヤシロさんとする仕事はいい刺激になるッス! 嫌なこと全部忘れたッスゥウ!」
お前は年中ハッピー野郎じゃねぇか。
嫌なことなんかあるのか?
「それで、大浴場の方なんだけどさ」
ここで、もう一つ趣向を凝らしてみる。
「半露天みたいに出来ないか?」
「半露天ッスか?」
「あぁ。森側の壁と、天井を少しだけ開けてさ、風呂に入りながら外の景色を眺められるようにするんだ」
「いや、でもそんなことしたら……」
「考えても見ろよ。猛暑期が終わったら豪雪期だぜ? 深い森に雪が降って、一面銀世界だ。凍えるようなその景色をさ、あったかい風呂に浸かりながら眺めるんだよ。火照った体に、視界には真っ白な雪。湯船に盆を浮かべて熱燗なんかをくいっとやりながら、そんな幻想的な景色を眺めるなんて風流だと思わないか?」
「それ、すごく素敵だね! うん、いいよ、それ!」
どうにも風呂好きらしいエステラが食いついた。
ここにノーマがいれば、きっと一も二もなく賛同してくれたであろう。
風流。
大浴場には、そういう赴きも必要だと、俺は思うのだ。
「でな、ウーマロ。物は相談なんだが……」
幻想的な大浴場の風景に思いを馳せるエステラの目を盗んで、ウーマロに別件の仕事を依頼する。
「二階の廊下に一つ窓を追加してくれないか? 家主と領主にバレないようにこっそりと」
「やっぱり二階から覗く気なんッスね!?」
「ばっか! たまたま見えちゃうだけだろうが!」
「そんな腹づもりだったのかい、ヤシロ!?」
外部の人間が覗くのは犯罪だが、内部の人間ならいいじゃないか!
もう身内みたいなものなのだから!
「ウーマロ。屋根と壁を当初より強固に作っておいてくれるかい?」
「もとよりそのつもりッス」
視線も合わせず、意思の疎通を図る大工と領主。
……ちっ。
でもまぁ、そんな風呂が出来るなら、覗きくらいは我慢してやるか。
長く使って、愛用して……老朽化したら壁くらい壊れるかもしれないしな。
うん、是非とも愛用しよう!
こうして、『陽だまり亭大浴場計画』がスタートし、『陽だまり亭大欲情計画』は頓挫したのだった。
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