「一つ、ヤベェ店があってなぁ」
牧場の柵に体を預けて、モーガンが高い雲を見上げる。
「もう二十年も前になるがよ、ウチに洟っ垂れの小僧が見習いで入ってきたんだよ。けど、そいつは牛飼いになるつもりはなかった」
「飲食店か?」
「あぁ。牛のすべてを知り尽くして、一番美味い牛肉を食わせる店を持ちたいって息巻いてやがった。飯屋なら飯屋に弟子入りしろって、オレぁ叩き出してやったんだが、あいつはしぶとかった。食らいついて食らいついて、ついにオレを認めさせやがった」
「で? 仕込んでやったのか?」
「おぉよ! 徹底的に叩き込んでやったさ。十年も経つ頃にゃ、そこらの牛飼いには負けない一人前の牛飼いの面ぁしてやがった」
「そんな店主の店なら、美味い肉が食えそうだな」
「あぁ、美味かったぜぇ! オレぁ飲む時はそいつの店って決めてたんだ。決めてたんだがな……」
と、モーガンは声のトーンと視線を落とす。
「バカヤロウだよなぁ……あんな事故で……あんな綺麗な嫁さんとチビたちを遺してよぉ…………一人で逝っちまいやがって」
「あ、あの……っ、モーガンさん」
目頭を揉むように押さえるモーガンに、ジネットが尋ねる。
「その人って、トムソンさん……ですか?」
「なんだ、嬢ちゃんはボーモを知ってるのか?」
「数度、お会いした程度ですけれど」
どうやら、モーガンの元で修行していたのは、あのガゼル姉弟の父親だったらしい。
ボーモ・トムソンは、ここで修業をしていたのか。
「ボーモにはもったいねぇ、器量のいい嫁さんだったんだが……さすがに十年仕込みの技術はマネ出来ねぇ。いくら一緒にいたとしても、技術ってのは個人の腕に宿るものだからよ」
大黒柱を失ったトムソン厨房は、その味と顧客を失った。
「昨日、相談されたよ……もう、店を畳むつもりだってな」
「えっ!?」
「なんでも、チビたちがなぁ、自分たちの意志で店を盛り立てようってしてるみたいでなぁ……それが、キツかったんだろうなぁ」
「家族みんなで力を合わせるのが……ですか?」
「そうじゃねぇよ、嬢ちゃん。……あんな小さな子供たちが自ら動かなきゃならねぇって思っちまうほどに、追い詰められている様を見せちまっていたってことがキツイんだよ。親ってのは、子供の前ではなんでもないような顔をしていたいもんなのさ」
「…………」
きゅっと、ジネットが胸の前で手を重ねて、握る。
ジネットにも覚えがあるのだろう。
どんなにつらくても、心配をかけまいと笑顔を絶やさない母親の姿に。ベルティーナは、そういうところで強がるタイプだしな。
「ドーナツを教えてくれる約束を取り付けてきたって言ってたそうなんだが……もしかして?」
「はい。お子さんたちにお願いされまして、それで……」
「それには感謝してたぜ。けどな、あそこでドーナツってヤツは作れねぇよ。ノウハウ以前に、設備が整ってねぇ」
肉を切って焼くだけの店なら、鉄板くらいしかないのかもしれない。
売り上げを支える程度にドーナツを売ろうと考えれば、相応のフライヤーが必要になる。
設備への投資も必要になるし、店の改造も必要だ。
旦那の遺した店ってのに思い入れがあれば、それも難しいかもしれないな。
「だから、潔く店を畳んで、家族三人慎ましく生きていける仕事を探すってよ」
「……でも、それでみなさんは、幸せになれるんでしょうか?」
きっと、トムソン厨房の家族の思いは一つなのだろう。
みんな、店を辞めたいなんて思っていないはずだ。
けれど、経営ってのはそんな甘いものじゃない。下手にしがみつけば借金が嵩み、立ちゆかなくなる。
「オレも力になってやりたいと思ったんだが……こればっかりはなぁ……まぁ、ウチでよければ雇ってやるつもりだ。ただなぁ、そうなると、新しい店を見つけるまで酒が飲めないのがなぁ……」
未練がましく、アゴヒゲをザリザリと撫でるモーガン。
思い入れのある店がなくなるのは、やっぱ寂しいよな。
それは理解できる。出来るが、……な~んでエステラとジネットが俺をじぃ~っと見てやがるのかが理解できない。
あのな、ドーナツで優位性を持たせて店を延命させることが出来なくなったんだぞ?
それに、モーガンも言ってただろ? 肉を切って焼くだけの単純な食い物ゆえに、それ関係の飲食店は食い合っているって。
そこで一店舗だけに肩入れしたら、他の店が不満を抱くだろうが。
そもそも、十年かけて身に付けたような技術でもっていた店だ。その技術を俺たちが一朝一夕で教えるなんて不可能だ。
まぁ、解決策がないでもないんだが……
「モーガン。ステーキだの串焼きだのをメインに扱っている飲食店はどれくらいあるんだ?」
「専門的にってことになると……七軒だな」
「トムソン厨房以外にあと六軒か。そこの経営状況は?」
「一軒が強くてな、そこだけいつも客で溢れ返ってんだ。店に入れないことなんかしょっちゅうだぜ」
その一店舗が、技術的にずば抜けているのだろう。
同じ肉を食うなら美味いところがいい。だからその店に客が集まる。集まり過ぎのようだけどな。
「他の店も、客の入りはそこそこいいな。硬ぇのが食いたきゃココ、脂ぎっとりが食いたきゃココってな具合で、うまく住み分けてるぜ」
「人によって、好みの焼き加減は千差万別だらな」
「あぁ。俺なんかは、ほとんど火を通さねぇでまだ肉が真っ赤っかの半生で食うのが好きなんだ。脂の甘みがたまんねぇんだよな。それを辛口の酒でぐいっ……とな」
つまり、肉の焼き方にうるさい酒飲みは多いということだ。
んじゃあ、あの店を作れば流行るだろう。
「モーガン。お前はさっきトムソン厨房の力になってやりたい……そう言ってたよな?」
「ヤシロさん!」
「ストップ、ジネット! そんな嬉しそうな顔で近付いてくるな!」
今にも飛びつきそうなジネットを制止する。
そこで飛びつかれたら俺が努力しなきゃいけない羽目になる。あくまで俺は提案だけだ。
「努力するのはモーガンだ。俺じゃない」
「オレに何をやらせようってんだ?」
「肉の知識を教えてやってくれ。少しずつでもいい。どこの身が柔らかくて、どこが脂が乗っていて、どこがあっさりしているか。それを切り分けるにはどうナイフを使えばいいか、肉の熟成や処理の仕方なんかをな」
「そりゃかまわねぇが……時間がかかるぜ? それに、解体はこっちでやってるから教えられるが、焼き方になるとオレぁ専門外だ」
「焼き方は教えなくていい」
「いいのか?」
「あぁ。肉を焼くのは客だからな」
「はぁ!?」
焼き加減にうるさい客が多いなら、自分で焼かせればいいじゃない。
「焼肉屋にしちまえばいいんだよ」
ちょっと店の内装を変えなきゃいけなくなるから要相談だが……セロンのところで七輪を作ってもらえば、そこまでの大改造は必要ないだろう。
ウーマロに排煙の煙突と、七輪を組み込めるテーブルを作ってもらえばなんとかなる。
煙突はノーマか。
「ちょっと待て、若いの! 客が厨房で働くのか? そりゃいくらなんでも客に頼り過ぎだろう。客は金を払って飯を食いに行ってんだ。なんで仕事の手伝いなんか……」
「違う違う。焼きながら食うんだよ」
「厨房でか? 座って飲ませろよ!」
「ん~……」
そうだよなぁ。
この街、ホットプレートとか簡易コンロとかないもんなぁ。
七輪だってなかったんだ。みんなで囲んで飯を食うなんて発想がないんだろうな。
「あっ、そうだ。森とか行くと焚き火をするだろう? 火を囲んで肉焼いたりするじゃねぇか。あんな感じだ」
「はんっ! 森の中で獣の肉を食うなんざ、そんな狩猟みてぇな野蛮な飯、オレぁ食いたかねぇな!」
うわぁ……確執が根深ぁ~い。
「まぁいいから、一回やってみようぜ。それで、トムソン厨房の女将がやる気になるなら手伝ってやれ。そうじゃないなら、仕事の斡旋でもしてやるんだな」
「ん……まぁ、本人の意思を聞かねぇことにはなぁ。オレらが勝手に騒いでも意味ねぇもんな」
「じゃ、熟成された美味しい肉をちょこ~っと提供してくれ」
「はぁ!?」
「人助け人助け。好きだろう、そういうの?」
「馬鹿言え! オレぁ別に……」
「十年も師弟関係を続けてきた男の家族だ。もう、ファミリーみたいなものだろう?」
「ん?」と顔を覗き込むと、モーガンは鼻と眉の間にシワを寄せて盛大に舌を鳴らした。
「……ちぃ! 狩猟の言ってた通りだ! テメェと絡むとこっちが損を被るな!」
どんな話をしてたんだよ?
仲違いしている連中が妙なところで共感を得てんじゃねぇよ。
「分かったよ。とびきり美味い肉を用意してやる。テメェが腰を抜かすほどのな!」
「んじゃあ、俺たちは一旦陽だまり亭に戻って準備をしてくる。五時間ほどでいいかな? トムソン厨房に行くから約束を取り付けといてくれ。軽く説得も頼むな、聞く耳持ってくれるように」
「人使いが荒いな、テメェは……分かったよ。やっといてやる」
「あと、ちょこ~っと用意してほしいものがあるんだけど~」
可愛らしいおねだり顔で見上げると、モーガンは突発的にインフルエンザにかかったかのような青ざめた顔で身をすくめた。ぶるっと体を震わせる。
寒気とか、酷いヤツだ。まったく。搾取しちゃうぞ☆
モーガンの牧場から下準備のための食材を少々拝借して、俺たちは陽だまり亭へと引き返した。
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