異世界詐欺師のなんちゃって経営術

分割版π(パイ)
宮地拓海
宮地拓海

9話 エンブレム -2-

公開日時: 2020年10月8日(木) 20:01
文字数:2,290

 ……客が来ねぇ。

 

 教会から帰ってきたのが九時頃で、開店が十時。これは、俺の腕時計で調べた時間なのだが……この世界も一日二十四時間で回っているようだ。

 で、現在が……十六時。その間、客は一人も来なかった。

 

 由々しき事態だ。

 というか、一体どんな層がこの店に来るというのだろうか?

 どうせ、ジネットの知り合いが気を利かせてたま~に顔を出すくらいが関の山だろう。

 宣伝とかもしてないだろうし、知名度が絶対的に足りていないのだ。

 店の前まで来ればいい匂いが漂っているので入ってくれる可能性はあるにはあるが……こんな辺鄙なところまで足を運ぶヤツなんかいるのか?

 この食堂の前を通ったヤツすらいない。人通りが絶望的に少ないのだ。

 

 ……立地条件が最悪だ。

 

 あまりに人が来なさ過ぎて、俺は椅子と机以外にもう一つ工作をしてしまった。

 エステラからもらった許可証に押されていた領主のエンブレム。双頭の鷲と蛇が描かれたその文様を、キレーに模写して、反転させて、余った木片に刻み込んだ。工具箱の中にミノや彫刻刀まで入っていたので活用させてもらった。

 そんなわけで……

 

「ジネット、使っていい紙はないか?」

「はい、ありますよ」

 

 ジネットにもらった品質の悪い紙に、以前服屋で購入したインクを使って判を押していく。

 うん。大きさも見た目もそっくりだ。

 

 っていうか、服屋がインクを売ってくれたんだから、使いさしを売るのはギルド的にOKなはずだ。

 大通りに店を構えている商人がギルドの規約に違反するとも思えないしな。

 使用済みは中古として販売可能……と。それを活用すれば、食堂で何かしら売れるかもしれない。もちろん、行商ギルドを介さずにだ。

 

「あの、ヤシロさん。これは……?」

 

 ジネットが、紙に押された判を見て俺に尋ねてくる。

 

「よく出来ているだろう?」

 

 手先の器用さには自信がある。

 親方に教わった技術をベースに、実務経験が活かされている。……いや、ほら、『バッタモン』とか『海賊版』とか、結構ボロい商売だし? ちなみに、縫製も超得意だ。カバンだろうが毛皮だろうが……『そっくり』に作る自信がある。

 

「あの……領主様のエンブレムを悪用するのは、重罪で……」

「領主のエンブレムを悪用なんかしねぇよ」

「なら、いいのですが……」

 

 思いっきり疑いの眼差しで見られている。

 うすうす勘付かれ始めたかな、俺の本性に。…………ないな。このノーテンキ天然娘に限って。『勘付く』って言葉すら知らないんじゃないかと疑うレベルだ。

 

 そうして、出来上がったエンブレム入りの紙を胸ポケットにしまい…………胸ポケットがねぇ。

 

「ジネット、布と針と糸ないか?」

「ありますよ」

 

 なんつうか、物はあるんだな、ここ。

 

 俺は暇を持て余し、服に胸ポケットを取り付けた。

 胸ポケットは非常に重要で役立つものなのだ。

 ペンも入るし紙も入る。ハンケチーフを差せばエレガントに見えるしな。

 

 そんなわけで、エンブレム入りの紙を、エンブレムがうまい具合に見えるように胸ポケットへとしまっておく。

 

 ……にしても、暇だ。

 

 空が赤く染まる頃、ようやく最初のお客が訪れた。

 人のよさそうな婆さんで、ジネットを見るとにっこりと相好を崩す。ジネットはジネットで、婆さんを見るや、カウンターから飛び出し抱きつきに行っていたし、まぁ顔見知りなのだろう。

 その婆さんも経済的余裕があるわけではないようで、一杯1Rbのお茶を飲んで帰っていった。

 ジネットの応援と、世間話をしに来たようだ。

 

 ……利益にならねぇ。

 

 次に訪れたのは、不精髭のひょろ長い男だ。身長が2メートルくらいはありそうだった。ただ、体重は俺と同じか、下手したら俺より軽いかもしれないと思えるほど、ひょろひょろだった。

 ……で、こいつが怪しい。非常に怪しい。

 ニヤニヤとした笑みを浮かべて来店したひょろ男(仮名)は、カウンター奥に座る俺を見るなり、一瞬表情を強張らせた。普段は誰もいない食堂に先客がいたことに驚いたのだろうか。……いいや、あれは「マズいな」という目だ。

 俺が興味なさげにそっぽを向いていると、ひょろ男は気を持ち直したのか入口近くの席に腰を下ろした。

 それを見て、ジネットがとてとてと近寄っていく。

 

「いらっしゃいませ。ようこそ、陽だまり亭へ」

「椅子、直したの?」

「はい。ヤシ…………あ、いえ。直しました」

 

 ジネットには、椅子を直したのが俺であることは言わないように言いつけてある。

 今日一日は、俺は店の関係者ではないという前提で食堂にいるのだ。

 理由は……まぁ、このひょろ男で分かるだろう。

 

「ご注文はお決まりですか?」

「じゃあ、クズ野菜の炒め物をもらおうか」

「かしこまりました。少々お待ち下さい」

 

 ジネットがお辞儀をして、厨房へと消える。

 それを視線で追っていたひょろ男は、もう一度俺へ視線を向ける。

 俺はそれに気付かないフリをして無視をする。

 

 やがて料理が運ばれてくると、ひょろ男は俺を気にしながらも飯を食い始めた。

 チラチラと俺を窺うひょろ男。日本なら、この時点で通報されてもおかしくないほどの挙動不審さだ。

 

 それじゃあ、そろそろかな。

 

 ひょろ男の皿がほとんど空になった頃合いを見計らって、俺は席を立つ。

 ジネットに「それじゃあ」とだけ言って食堂の外に出る。その時のひょろ男の嬉しそうな顔といったら……これでもう間違いないな。

 ひょろ男は、食い逃げをするつもりだ。

 

 外で待つこと十数分。

 食堂の中は静まり返っている。……ジネットのヤツ、また厨房に引っ込みやがったな。人の気配がしない。

 まぁ、ひょろ男はそれを待っているのだろうが。

 

 案の定、中が静まり返ってしばらくすると、食堂のドアが静かに開いた。

 出てきたのは、ひょろ男だ。

 

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