そして、小一時間の時が過ぎ……
「これがナンとピザだ」
陽だまり亭のテーブルにナンとピザが並べられた。
どちらもトマトソースだが、ピザにはチーズとバジルが載っているので風味も随分変わるだろう。
「美味しそうです、ヤシロさん!」
「手掴みで、そのまま齧りついてくれ」
「いただきますッス!」
「では、ご相伴にあずからせていただきます」
ウーマロとベルティーナが早速手を伸ばす。……遠慮を知らんヤツは火傷でもしろ。上前歯の裏っ側のでこぼこした付近をな。
「んっ! んっまいッスね、これっ!?」
「こちらの『ぴざ』というものは癖になりそうな味ですね」
ナンもピザも口に合ったようで何よりだ。
「……美味しい」
一口食べて、ジネットが大きな目をキラキラさせて俺を見つめてくる。
「すごく美味しいです、ヤシロさん! これ、陽だまり亭のメニューへ加えたいです!」
「いや~……それはベルティーナさんの判断を仰がないことには……」
チラリと視線を向けると、もっちもっちと咀嚼中のベルティーナと目が合った。
「小麦を使用した生地を石窯で焼くものは、それ以外の材料や製法、形状に関わらず等しく『パン』と定義されます」
ってことは、つまり。
「これはどちらも『パン』ですね。残念ながら、許可するわけにはいきません。本当に残念なのですがっ!」
さらに二切れのピザを両手で掴み、もっちもっちもっちもっちと盛大にピザを咀嚼する。
あぁ……今のうちに食っておこうってことなんだな。
「だ、そうだ」
「うぅ……残念です」
だが、ヒントはもらった。
『小麦を使用した生地を石窯で焼くもの』が『パン』と定義されるのだ。
ならば、これはどうだ!
俺は、もう一品、作っておいた料理をテーブルに載せる。
円形の平べったい形状で、原材料は小麦粉に卵、だし汁。具にはキャベツと薄切りの肉が入っている。甘辛いソースの再現に手間取ったが、なんとか近しい味になったと思う。
そう、この料理の名前は『お好み焼き』!
石窯で焼いていないこいつなら、『パン』と定義されることはないはずだ。
「こ、これはっ! 濃厚なソースが食材と絡み合いなんとも言えないハーモニーを奏で、その奥からふわっと香ってくる出汁の風味が飽きの来ない味を演出していますっ!」
さっそく一切れぺろりと平らげたベルティーナが大袈裟なリアクションを見せる。
お前はどこの美食家だ。
「ほ、本当です! 口に入れた瞬間、ソースの甘辛さとキャベツのしゃきしゃきした食感が、こう……口の中でわっしょいわっしょいしていますっ!」
お前の感想はいつもそれだな、ジネットよ。
口の中でわっしょいわっしょいするって、どんな状況なんだよ?
「どうだ、マグダ?」
「……ヤシロは、いい嫁になる」
「いや、なんねぇけどな」
無表情で黙々と食べ続けていたマグダは、俺に向かって親指をグッと突き出す。
「うん……これなら確かにパンには該当しないだろうね」
エステラは味よりもその作り方に興味を持っているようだ。
「本当に君は、抜け道を探すのがうまいよね」
「たまには褒めてくれよ。これでも頭使ってんだぞ」
「褒めてるさ。大したものだと思うよ」
「そりゃどうも」
「キャー、素敵! 惚れちゃう! ぶちゅーっ!」くらい言ってくれてもいいんだぜ?
ま、絶対言わないだろうけどな。
「で、どうだ?」
そして俺は、食堂の隅でピザを頬張るヤップロック一家に視線を向ける。
「美味しいよ、お兄ちゃん!」
「おいちぃー!」
子供たちは気に入ったようだ。
「本当に……ありがとうございます。こんなに、美味しいものをいただいて……」
「密造パンだからな。証拠隠滅に協力してもらって感謝してるくらいだ」
「ははは……まさか私が、そんな大それたことに加担する日が来るとは……人生というのは分からないものですね」
バカモノ。
そんなもん、分かっちまったらつまんねぇだろうが。
「……感謝します」
「ん?」
「先ほどの言葉……とても痛かったです。ですが…………心に響きました」
「やめろ。そんなつもりで言ったんじゃねぇよ」
ムカついたから怒鳴り散らしただけだ。
「それでも、あの言葉が私を……私たち家族を変えてくれたんです。絶望的な状況は変わりませんが……なんとか、家族で手を取り合って頑張ってみます」
そして、ヤップロックはウエラーへと視線を向ける。
「私には、こんなに素晴らしい妻と、子供たちがいますから」
「あなた……」
「お前、手伝ってくれるね」
「はい。もちろんです」
俺の目の前でイチャコラすんな。爆発させるぞ。
「それで、あの……」
俺の背後からジネットが顔を覗かせる。
「どんなことでお悩みなんですか? よろしければ聞かせていただけませんか?」
あぁ…………聞いちゃったよ。
折角人が苦労して遠ざけてたってのに……
「実は……」
ほら、語り出しちゃった。
これでもう無関係ではなくなるんだからな。
よくて他人事だ。辛うじて無視できるレベルだ。
これ以上は踏み込みたくないもんだな。
「私たちは、トウモロコシ農家をやっておりまして……」
「トウモロコシ、ですか?」
「……マグダ、トウモロコシ、好き」
「四十二区では珍しいんじゃないかな? あまり聞かないけれど」
気付くと、マグダとエステラもそばに来ていた。
……つか、ベルティーナ。お前は来ないのかよ?
迷える子羊の悩みを聞かなくていいのか? 物凄い勢いでお好み焼きを食べてる場合なのか?
「四十二区では、ウチだけかもしれませんね……買い手が一ヶ所しかありませんでしたから」
「買い手って、行商ギルドか?」
「あ、はい。それはもちろんなんですが、行商ギルドがウチのトウモロコシを売っていた先が四十二区にある養鶏場だけなんです」
…………ん?
「ウチのトウモロコシは粒が硬く、人間はもちろん、動物もあまり好んで食べません。唯一定期的に購入してくれていたのが養鶏場だったんですが…………」
ヤップロックが重い……とても重いため息を漏らす。
「数週間前に突然、『トウモロコシはもう必要ない』と通告されまして……」
「……ヤシロさん。あの……これって」
やめろジネット。今、俺に話しかけるな。
どういうわけか、今、物凄く心臓が痛いんだから。
「トウモロコシしかなかったウチの農園は、収入の当てを完全に失ってしまったんです。もともとその日食べるものを辛うじて買えるという程度の慎ましい生活でしたので、蓄えなどあるわけもなく……これからどうやって生きていけばいいのか…………目の前が真っ暗になる思いでした」
あぁ、目の前が真っ暗になることってあるよねぇ。例えば、今とか。
「けれど、もう一度頑張ってみます。もしかしたら、どこかにウチのトウモロコシを必要としてくれる場所があるかもしれない。それを、地道に探します」
ヤップロックは、直角に腰を折り深々と頭を下げた。
「今日いただいた食事の味は一生忘れません。あなたのおかげで生きる希望を見出せました。ありがとうございました」
……ごめんね。
お前らの生きる希望を奪い去ったのも、俺なんだよね。
「……ヤシロさん」
「……ヤシロ」
ジネットとマグダが何かを訴えかけるような瞳でこちらを見つめてくる。
視線を逸らすと、ジトッとした目で俺を見つめるエステラと目が合った。
「何か、彼らに言いたいことは?」
……あぁ。
チェックメイトか。
まったく、運不運はままならない。
俺に付き纏っている不運は、いつか大きな運となって返ってくるのだろうか……
「い、いやぁ、奇遇だなぁ。実は今、ちょうどトウモロコシの安定的な仕入先を探していたところなんだよねぇ~、いや、マジで、奇遇奇遇」
「ほ、本当ですかっ!?」
ヤップロックが物凄い勢いで飛びついてくる。
「ぜ、是非! 是非ともウチのトウモロコシを使ってください! いや、その前にまず見に来てください! ウチのトウモロコシが使いものになるかどうか! そうだ! 今からウチへいらっしゃいませんか!?」
とんとん拍子で話が進んでいくこの恐怖……
ジェットコースターって、「ちょっとタンマ」が出来ないから嫌いだったんだよなぁ。
マジで、タンマしてくんないかなぁ……
「お代はいくらでも結構です! どうせ、一度誰からも必要ないと言われた食物です。このままではゴミになってしまうんです。格安でも破格でもお譲りしますよ!」
はは……まさにゴミ回収ギルドに相応しい案件だ。
「それでは、みなさんで見に行きましょう!」
とても乗り気なジネットとマグダ。
エステラも満足そうに微笑んでいる。
俺だけが沈んだ気持ちでいるのだろう。
トウモロコシ……トウモロコシねぇ……
「ジネット」
ふいに、ベルティーナの声がして、俺たちは一斉に振り返る。
そこには、頬をパンパンに膨らませたベルティーナがいた。
「私は店番をしておきましょう。みなさんで行ってくるといいですよ」
「あ、オイラも、また留守番してるッス!」
……お前らは食いたいだけだろうが。
こうして、俺たちは大雨の中、また出かけることになってしまった。
今度はトウモロコシ農家だそうだ。
ゴミ回収ギルドにとってはこれが初めて……望まない食材を買い取るための出動となってしまった。
水溜まりに足を突っ込み、水しぶきが飛ぶも、最早そんなものは気にならなくなっていた。足元はぬかるみ、踏み出す足に絡むようにまとわりついてくる。
そんな光景を眺めながら、俺は歩を進める。
泥に足を取られて身動きが取れなくならなきゃいいけどな、なんてことを考えながら……
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