ヤシロが、私を忘れちゃう……
「コケー!」
ウチの子たちが、私のため息を消してくれる。
やっぱり鶏舎はいいな。落ち着く。
嫌なことも全部忘れられちゃう…………嫌なこと……じゃない! 大切なこと!
「ダメよ、私。目を背けちゃ」
自分の頬を打って、気合いを入れる。
まだ、ヤシロが私を忘れちゃうって決まったわけじゃない。
むしろ、私の方から「忘れさせてやるもんか!」ってくらいに働きかけないと。
……でも、レジーナは普段通り生活してろって言うし…………
「コケー!」
また、ため息を誤魔化してもらっちゃった。
本当に、みんないい子。元気に育ってくれて、卵もたくさん産んでくれて。
この前産まれたヒヨコなんか、もう世界一ってくらいに可愛くて。
それもこれも、みんなヤシロのおかげ。
生まれて数年で卵を産まなくなり、たくさんのニワトリを屠畜しなければいけなかった頃は本当につらかった。毎日心が張り裂けそうで……私、あの頃よく泣いてたな。
そんな時、ヤシロに出会った。
「屠畜する予定のニワトリを百羽、俺に貸してくれ」――そう言って、閉ざされたと思っていたニワトリたちの未来を切り開いてくれた。
今では、みんな元気に卵を産むようになってくれて……
「私も、よく笑うようになったって、言われるようになったのよね……ふふ」
けど、よく笑うようになったのは、ニワトリのことだけが理由じゃない…………なんちゃってっ! きゃー! もう! 何考えてるの私!?
なんでヤシロの笑顔が浮かんでくるのよ、もう! もうもう! もう、やだー!
「………………やだ、な」
記憶の中のヤシロは、どれも笑顔だ。
ちょっとひねくれてて、あくどい顔もするけれど、不敵だったり、無敵だったりする笑顔を、いつも見せてくれる。……その、す、素敵だったりする笑顔も。
だから……やだ。
「ヤシロが私を忘れちゃうなんて…………やだ」
あの笑顔が見られなくなるなんて……
今までの笑顔が、全部なかったことになるなんて……
そんなの、やだ……
「コケー!」
「コケーコケー!」
突然ニワトリが騒ぎ出した。
え? 私、そんなにため息吐いてないよ?
「ぅおっ!? なんだよ! 威嚇すんな、ニワトリ!」
……えっ!?
耳に馴染んだ声に振り返ると、鶏舎の入り口にヤシロがいた。
「よぉ。今日も仕事頑張ってるな」
「ヤシロッ」
ヤシロを見ると、自然と顔が笑顔になっちゃう。
まるで、発酵飼料を入れたバケツを見た時のニワトリたちみたいに。
「どうしたの? 卵が必要になった?」
「あぁ、いや。なんとなくな……」
なんとなく?
「今、何してるのかなぁ~って」
――っ!?
え、それって……
「私に……会いに、来てくれたの?」
「あぁ、まぁ。仕事忙しいか?」
「ううん! 平気! 今日の仕事は全部終わってるから!」
すごい!
すごいすごい!
嬉しい!
心が勝手に騒ぎ出して、頭がどんどん浮かれていく。
……けど、待って。
「ヤシロ……その…………大丈夫、なの?」
ヤシロは今、厄介な寄生型魔草っていうものに寄生されている。
下手に記憶を刺激すると体力を奪われて、気絶しちゃうかもしれない。
私が一人で浮かれて、ヤシロの負担になるなんて、絶対あっちゃいけない。
嬉しいけど。
会いに来てくれてすごく嬉しいけど! だからこそ、私はヤシロの癒しになってあげなくちゃ。
「どこかでお茶とか飲む? 陽だまり亭でもいいけど」
「いや。大丈夫だから、ここにいさせてくれ」
――っ!
…………く、ぅう……なんてきゅんとする言葉を……
いてほしいよ。いつだって、いつまでだって。
「じゃあ、ここでお話しよっか」
「あぁ。そうだな」
鶏舎で男の子と二人きりでお話。
……ふふ。他の娘だったら、「ムードがない」って言うかな?
けど残念でした。
私にとっては、鶏舎で男の子とおしゃべりするのは、夢だったから。
私の仕事を理解してくれてるって証拠だしね。
「そういや俺、鶏舎をちゃんと見たことなかったよなぁ。養鶏場の入り口で用事済ませてたし」
「そうね。事務所がそこにあるからね」
事務所には大抵両親がいて、卵の取引なんかは全部そこでやっちゃう。
当然、ヤシロたちとの取引も事務所か、入り口で済ませちゃう。行商ギルドとかと同じ。
もっとも、「ヤシロが来たら絶対私を呼んで」とは、言ってあるけどね。
ほら、顔見知りだし? 私がいた方が話がまとまりやすいし?
そういうことよ。
「実は、最初に来た時の鶏舎のにおいが強烈でなぁ」
「あぁ、昔は酷かったかもね。特に慣れてない人には」
鶏糞はにおいがキツイ。
お米を食べさせていた時は本当に臭くて、私でも体調によって我慢できないことがあったくらい。
けど、最近は全然平気。においが気にならなくなっていた。
もちろん、私が慣れたとかいうんじゃなくて…………それも、ヤシロのおかげ。
「ニワトリたちのエサを、ヤシロの言ってた発酵飼料に変えてから、においが随分マシになったんだよね」
「足元も、落ち葉と腐葉土を敷いてあるんだな」
「うん。そうしたら、あのキツイにおい、ほとんどしなくなっちゃった」
発酵させることで糞のキツイにおいは緩和され、さらに、土を変えたことで気にならなくなった。
今では、この中に丸一日入っていても平気なくらい。
慣れてない人でも抵抗なく入れるほどにおいは少ない。
「においの原因は腐敗したたんぱく質だからな。それを発酵させてやればいいんだ。腐敗と発酵は、生ごみとパンくらいの差があるからな」
ニワトリが卵を産まなくなった時に、ヤシロが教えてくれたエサ。
そこに混ぜている米ぬかが、クズ野菜や魚のアラを発酵させてくれるんだって。
卵は産むようになるし、においはなくなるし。本当にすごい。
ヤシロに出会えて、本当によかった。
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