イメルダとハビエルが帰ってから数時間。
空はすっかり赤く染まり、本日の営業時間も、残すところあとわずかとなった。
朝の賑やかな食事以降、客足はまばらで……とはいえ、当初に比べれば増えた方なのだが……やはり、改善しなければいけないとつくづく思った。
「ヤシロさん、お茶でもいかがですか?」
「ん? あぁ、サンキュウ」
頭を抱える俺に、ジネットがお茶を勧めてくれる。
マグダとロレッタは、現在屋台への応援に向かっていていない。
店にいても客が来ないのでは仕方がないのだ。
相変わらず、陽だまり亭の収入の大半が屋台による収入である以上、今はそちらで頑張ってもらうしかない。
陽だまり亭・本店は、俺たち二人だけでも回ってしまうほど暇なのだ。
「客が来ないな……」
「でも、以前より随分と増えましたよ」
「……『以前より』、ねぇ……」
その『以前』が、俺がここに来た当初のことを指しているのなら、それはそうだろう。あの頃は日に二人も客がいればいい方だったのだから。
「ヤシロさんも彫刻を始めてみたらどうですか?」
「彫刻?」
「はい。ベッコさんに教えてもらって、何かお店を盛り上げるようなものを作ってくださると、わたしはとても嬉しいです」
「…………無茶ぶりにもほどがあるわ」
「そうですか? ヤシロさんなら、なんだってやってしまいそうな気がしますけど」
まぁ、その気になれば出来なくはないのだろうが……手先の器用さには自信があるからな。
だが、今はそんなことをしている時ではない。
あぁ、ちなみにベッコは、ここに来て早々『新しい物が作れそうな予感でござる!』と、自宅へ戻っていった。
……まさか、トイレに入っているイメルダを彫ったりはしないよな?
まぁ、そんなわけで二人きりだ。
ジネットは厨房に戻らず、ずっと俺の向かいに座っている。
おそらく、俺を気遣ってくれているのだろう。
ジネットは、気が付くといつも、とてもさりげなく、俺の一番近くにいてくれる。
そんなことに気が付いても、「ありがとう」なんて礼を言うのは……ちょっと違う気がする。
なので、俺は特に何も言わない。
きっとジネットも何も期待などしていないだろう。
この間隔が、俺とジネットの距離なのだ。
それは、少しだけ……心地のいい距離感だと、そう思う。
なんとなく頭を悩ませていた毒気を抜かれたような気がして、不意に無駄話がしたくなった。
なんでもいい。他愛のない話がしてみたい、そんな気分なのだ。
折角の機会なので、ずっと聞きたかったことを聞いてみることにした。
「ジネット、お前さぁ」
「はい、なんですか?」
「どこかに出かけたいとか、そういう欲はないのか?」
「外に、ですか?」
こてん、と首を傾げ、ジネットは大きな瞳をこちらに向ける。
「お前は、ずっとここにいて、ずっと働いているだろ? 息抜きとか、ちゃんとしてんのか?」
こいつは以前、四十二区の外に出かける俺を羨ましそうに見ていたことがある。
それはそうだろう。早朝から寄付のために厨房に入り、日中は一日中食堂内にこもり、店が終われば掃除をして早々と就寝だ。
その間に家事までこなしているのだから、外に遊びに行っている時間などないだろう。
こいつは、それで満足なのか?
「わたしは、このお店でいろんな方にお会いできるのが嬉しいですし、楽しいですよ」
嬉しくて、楽しくて…………それで、満足しているのか?
ジッと、ジネットの顔を見つめる。
嘘は吐いていないだろう。
だが、無理はしていそうだ。
いつか、店を休みにしてパーッと遊びに行けばいい。……と、そうは思うのだが、ジネットのことだから店を休みにはしたくないのだろう。
じゃあ、店番を誰かに頼んで…………というわけにもいかない。陽だまり亭の料理は、ジネットだからこそ出せる味なのだ。
店番を頼むにしても、作り置きのものを提供するしか方法はない。
そいつは、店を開けているとは言えない。
屋台と同じだ。
いつか、こいつに、たっぷりと息抜きをさせてやりたいものだな。
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