「ダ~リ~ン!」
こちらに駆けてくるメドラ越しに見ると、幻想的な炎の灯りが地獄の業火に見える。
これを錯視と言う。……言わねぇよ。
「秘蔵のお肉が今届いたよ」
「もうか?」
「はははっ! ウチの若いのが張り切ってね」
四十一区まで戻って、大量の肉を準備して、その大量の肉を荷車に乗せてえっちらおっちら引きながら戻ってきたのか。この短時間に。
やっぱ、獣人族に対抗するなんてのは無謀なんだよなぁ。
よくいい勝負になったもんだよ、区民運動会。
「魔獣の肉は、みんなエステラのところの給仕長に渡しておいたから、うまくやってくれるはずさ」
「そっか。ありがとな」
「なぁに。アタシがやりたくて勝手にやったことだよ。楽しい運動会に参加させてもらった礼さ」
楽しい運動会、ね。
「確かに、メドラが参戦したことでスリルは満点になったよ」
「あははははっ! 褒め言葉だと受け取っておくよ」
「おう。すっげぇ褒めてるよ」
メドラが豪快に笑う。
貴族も恐れる狩猟ギルドの大ボス、メドラ・ロッセル。
よくもまぁ、そんな大物とこんなに気楽な仲になれたもんだ。
「それから、もう一つだ」
「ん、何がだい?」
「ありがとうな」
何がとは言わずに礼だけを述べる。
それでメドラには十分だったようで、世間のイメージからはかけ離れた、少女のような照れ顔を見せた。
「まぁ……アレはその…………もうちょっと先の、お楽しみ、ってことで……ね」
メドラ自身も少し戸惑いを感じていたようだ。
俺と一泊二日で外の森で特訓をするって状況に。
強く欲したはずのものでも、いざ目の前にぽ~んと現れたら尻込みしてしまうなんてことはよくある。
けど、今回はきっと俺に気を遣ってくれたのに違いない。
ルシアの『ハム摩呂たんの嫁になる!』発言に触発されてちょっと暴走していたのかもしれないが、その『流れ』に違和感を覚えていたのだろう。
だからこそ、自分からその機会を潰してくれたのだ。
そういう潔いことをされるとだな、こっちも「別にそこまで心底嫌がっていたわけじゃないんだけどなぁ」なんてあるはずもない良心が微かに、極僅かに、計測不可能なレベルの範囲内で、疼いたりもするわけだ。
だから。
「じゃあ、今回の賭けはドロー。またいつか再戦だな」
そんなことを言ってしまうわけだ。あとで後悔することになるんだろうなってことを重々理解した上で、な。……あ~ぁだ。
「ふふっ」
俯いていたメドラが口元を緩め、そして俺を見てにっこりと微笑む。
「だからダーリンが、大好きさ!」
言った後でちょっと照れたのか、俺の肩をぺしりと叩いて逃げていった。
……『ぺしり』じゃねぇよ、今の……『ぐしゃぼぎぃ!』だよ…………絶対肩の骨粉砕されたろ、今の……
本当に照れからの行動か? 殺意なかった? 殺意なくてこれ? 凶悪だな、メドラ……
「……肩が、痛い……」
「乙女に『大好き』と言っていただいた代償ですわ。我慢なさいまし」
「えぇ……どこにいたの、乙女? 見逃しちゃったよ、俺」
「ホント、君には頭が下がるよ」
「エステラ。下がってんのはお前の目尻だよ。……俺の不幸がそんなに面白いか?」
「面白いか面白くないかで言えば、とても愉快だよ」
にゃろう……
「けど。頭が下がるって言うのも本当さ」
じんじんと痛む俺の肩に手を乗せて、エステラがグラウンドの方へとアゴをくいっと動かす。
見ろってことらしい。
「一年前の今頃、誰が予想し得たと思う? 外周区や『BU』の領主たちと、主要ギルドの幹部、おまけにマーゥルさんみたいな大物貴族やシラハさんみたいな重鎮までもが四十二区の、それもこんな辺鄙な場所に一堂に会するなんてことをさ」
確かに、この狭い場所に濃ゆい連中がよくもまぁこんなに大勢集まったもんだ。
「全員、意外と暇人だったってだけだろう。去年はその情報がなかった。それだけだ」
「あはは。領主やギルド長が口には出来ない言葉だよ、『暇だ』なんて」
いや。俺はお前の『暇だ~』って言葉を聞いたことが何度もあるが。
あと『もうやる気出ない~』ってのと。
「あと、これは一人の友人として言いたいことなんだけど。マーシャがあんなにはしゃいでいる姿は久しぶりに見たよ。一応感謝しておくよ」
「いや、マーシャはだいたいいつもあんな感じだろうが」
俺の知る限り、マーシャはいっつもにこにこふわふわして、オールウェイズ大はしゃぎだ。
「いいや。彼女はあれで結構ナイーブなところがあるからね。……それを悟られないように空元気を出している時も多々あったしね」
以前、人魚はあまり人間に関わらないという話を聞いたことがあった。
そんな中でマーシャは例外で、人間や陸地に興味を抱いて、そして実際に実行してみせるバイタリティを持ち合わせている。
それは、もしかしたら異端に映るかもしれないことであり……人魚の中では微妙な立ち位置になることもあるのかもしれない。まぁ、憶測でしかないが。
だから、エステラは時折マーシャに接触していたのかもしれない。『海魚が欲しい』という建前で、年齢と立場的に上であったマーシャに甘えるという形で。
エステラも、周りからの声に思うところがあっても面と向かって反論できないポジションにいたからな。シンパシーみたいなものを感じていた……かもしれない。全部憶測だ。
けどまぁ、「あり得ない」とは言えないくらいの確率で『ないこともない話』ではあるな。
「別に一人増えようが二人増えようが準備する苦労は変わらねぇんだし、参加したきゃすりゃいいんじゃねぇの」
「……ふふ。そういう対応が、きっと居心地いいんだろうね。ま、あの照れ屋でへそ曲がりな人魚は、そういう素直な感情をストレートに表現しないから想像するしかないんだけどね」
そう言って、水槽に入りながら芋煮を頬張るマーシャに苦笑を向けるエステラ。
ぜ~んぜん気付いていない風にマーシャがはしゃいでいる。が、ここでの会話、全部聞こえてんだろ? きっと今ごろ背中がむずむずしてんじゃねぇの?
きっとこの後、エステラはマーシャのそばを通った際に抱きつかれるだろうな。
「えへへ。なんか、ガラにもないこと言っちゃったかな?」
ぽりぽりと頬をかき、大会委員長という重責から解き放たれたフラットな『エステラ』としての笑みを俺に向ける。
「大会が無事に終わってほっとしたのと、嬉しかったのと、そんな感じで口が滑ったんだよ、きっと。あんまり気にしないで」
「そうだな。今日なら俺も、人に優しく出来そうだしな」
「へぇ、ヤシロがかい? それはすごいね。なら、毎日運動会を開催した方がいいかもね」
「残念だな。今日は『精霊の審判』禁止なんでなんでも言いたい放題なんだよ」
誰が他人に優しくなどしてやるか。
お前らの方こそ俺を敬って親切にしやがれってんだ。どんだけ疲れたと思ってんだよ、今日。まったく……
「それじゃ、ボクはお腹が限界だからカレーをいただいてくるよ」
「ワタクシは魔獣のお肉のバーベキューが楽しみですわ」
そうして、腹を空かせた『淑女』が二人、腹の虫で輪唱しながら去っていった。
淑女って、なにかね?
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