「来ちゃった、私は」
そこに立っていたのは、三十五区の領主に仕える給仕長――ギルベルタだった。
不穏な予感は的中……ってことか。
「ルシアから、何か伝言でも預かってきているのか?」
「いいや、と否定する、私は」
ドアを押さえるジネットの前を通り、ギルベルタは店内へと入ってくる。
そして、俺たちが座っているテーブルのそばまで来ると、俺をジッと見下ろしてきた。
そして、ゆっくりと口を開く。
薄く色づいた唇が形を変えて、言葉を紡ぎ出す。
「あーそーぼー」
「お前、何しに来たの!?」
丸一日潰す覚悟で往復するようなすっげぇ遠いところから、そんなことを言うためにやって来たってのか!?
「友達だから、私は、おっぱいの人の。そして、言った、おっぱいの人は、『遊びに来い』と」
「いや、だからって、昨日の今日で……つか、よく休みをもらえたな、給仕長」
「………………?」
「ん?」
ギルベルタがゆっくりと首を動かし、「こてん」と傾ける。
……こいつ、まさか。
「とっていないが、私は?」
「無断欠勤っ!?」
なにしてんの!?
給仕長だよね!?
なんかいろいろ仕事あるよね!? つか、お前がいないと給仕たちが仕事できないんじゃないのかよ!?
なのに、無断欠勤!?
「だ、大丈夫なのかい……その、ルシアさんの護衛、とかさ?」
エステラが、極限まで引き攣った顔でギルベルタに尋ねる。
そうだよ! たしか、ルシアの護衛もお前の仕事だったよな!?
「さぁ? 分からない、私には。初めてだから、このようなことは。明日になれば分かる、大丈夫だったかどうかは」
「それで『大丈夫じゃなかった』ってなった時、シャレにならんだろうが……」
「けれど、何よりも大切にするべき、友達は」
……この娘…………これ、マジで言ってんだもんな。
融通って言葉知ってる? 利かないなんてレベルじゃないよな、お前は。
融通を全否定してやがる。
「カレーが食いたい」って言ったら、「カレー」だけ持って「ライス」を無視しそうなタイプだ。
もしくは「該当するものが多数あったのですべて持ってきた」とか言って、カレーうどんとかドライカレーとかカレーせんべいまでひっくるめて、「カレー」と名の付くものを片っ端から持ってくるか、そういう面倒くさいことをしそうなタイプだ。
「絶対ルシア怒るぞ……」
「そして、その怒りの矛先はヤシロに……」
怖いこと言うんじゃねぇよ、エステラ。80%以上の確率で実現しそうなんだから、せめて口には出さないでくれ。
「…………迷惑かけたか、私は?」
俺たちの狼狽ぶりを見て、ギルベルタがしゅんとうな垂れる。
あぁ、もう……本当に両極端なヤツなんだから……
「迷惑かけたのはルシアにだ。今回はしょうがないが、次からはルシアに一言相談してからにしろよ。ルシアのことも大切だろ?」
「もちろん」
そこは淀みなく、きっぱりと肯定するんだな。
忠誠心みたいなものは、あるにはあるんだな。
「今も、ルシア様の身を案じている、私は。今日は二十五区、十五区の領主様との会談がある日だから、ルシア様は」
「なんて重要な日に無断欠勤しちゃってんの、お前!?」
格上の区の領主との会談がある日に給仕長が行方不明って……さすがにルシアが不憫になってきた。
まぁ……三十五区レベルになれば、こういう不測の事態に備えて、何かしらの対策は打ってあると思う…………思いたい………………思わせてほしい。でないと、胃に穴が開きそうだ……
「…………嬉しかった、私は…………初めて出来て、友達が…………少し、はしゃぎ過ぎた………………帰る」
「あぁ、待て待て!」
そんな、肩をすとーんと落とした寂しげな感じでとぼとぼ歩くんじゃねぇよ。拾って帰りたくなるだろうが。
「エステラ。ルシアのところ、現在どんな感じになってると思う?」
「まぁ、慌ててはいるだろうけど……ルシアさんは抜かりのない人だから、何かしらの対策を取って、問題なく仕事をこなすだろうね」
「私に万が一のことがあった場合は、代わりに陣頭指揮を執る、副給仕長が」
副給仕長なんてのがいるのか?
なら、問題ないか。
「ただ、人間、副給仕長は」
…………なんだろう。それだけのことなのに、すごく大問題な気がしてしまうのは……
「ルシアさん……荒れそうだね」
「はは……目に見えるようだ」
ルシアは獣人族を差別しない代わりに、とてつもなく贔屓をする。
お気に入りのギルベルタがいないと、とてつもなく不機嫌になることだろう。
……副給仕長をはじめ、給仕のみんな。なんか、すまん。
「帰ったら、ちゃんと謝るんだぞ」
「そうしたら、遊んでくれるか、おっぱいの人は、私と?」
「あぁ。もう来ちまったもんはしょうがねぇからな。会談はいつからなんだ?」
「もう始まっている」
「おぉう……」
なんだろう、この、完全に手遅れだと逆に開き直れちゃう感じは……
もう、いっそのこと今日一日は思いっきりギルベルタと遊んでやって、今後こういうことが起こらないようにと注意してやるのがいいんじゃないかと思えてきた。
「明日、俺も一緒に謝ってやるよ。……俺の言い方にも原因がないこともないしな」
相手が普通の思考回路をしていれば、俺の言動に罪は一切ないんだがな。
「……優しいな、おっぱいの人は」
「あと、そのおっぱいの人ってのやめろ」
「被るからか?」
と、ジネットを指さして言う、ギルベルタ。
「被りませんよ!? わ、わたしも、やめてくださいね!?」
「ヤシロと、ジネットだ」
「おっぱいのヤシロと、ジネットのおっぱい」
「お前ワザとやってねぇか?」
「ヤシロと、ジネット……だけでいいのか、呼び方は?」
「だけだ。それが、友達の呼び方だ」
「分かった。次からそう呼ぶ、私は」
心なしか嬉しそうな表情を浮かべて、ギルベルタは小さく首肯する。
素直過ぎるギルベルタには、呼称を教えるのも一苦労だ。
「……ヤシロ」
と、マグダが俺の服をちょいちょいと引っ張る。
「……感情の読みにくい相手。絡みにくい」
うんうん。お前が言うな?
どっちかっていうと、ギルベルタの方がまだ表情筋動いてるからな?
マグダの感情を的確に読み取れるのは俺くらいなもんだからな。
「そこのネコの人」
「……マグダはトラ人族。訂正を要求する」
「要求を受け入れ、速やかに謝罪する、私は。トラの人」
「……許す。…………で、なに?」
「感情が読みにくいな、あなたは」
お前が言うなリターンズ。
お前ら二人とも、自分を顧みるってことしないのか?
「あの、ヤシロさん。どうされるおつもりですか?」
ジネットが不安そうな表情で俺を見つめてくる。
こいつがこういうことを言う時は「どうか、寛大な処置を」とお願いしたい時だ。
……俺が寛大でも、ギルベルタの場合はいろいろ厄介なんだがな。
「エステラ」
「分かってる。ナタリアに言って、ルシアさんに手紙を送っておくよ。早馬を使って、すぐに届くよう手配する」
さすが、他人の苦労を背負い込む天才だ。
問題児が巻き起こした不祥事の収め方を心得ている。
「わざわざ遠いところを来てくれたんだ。すぐに追い返すのは忍びない。ヤシロが責任を持って、四十二区を案内してあげるといいよ」
寛大な領主をアピールしつつ、面倒ごとを丸投げしやがったな。
まぁ……結局そうなるんだろうなと、薄々は感じていたけどな。
「行き届いた対応、心より感謝する、私は」
「なぁに、大したことじゃないよ。気にしないでいいよ」
「寛大だな、おっぱいの人」
「ボクをその呼び方で呼ぶのはやめてもらおうか!?」
「アンチおっぱいの人?」
「アンチじゃないよ!? むしろウェルカムだけども! とにかくエステラでいいから!」
どうしても「おっぱいの人」を残したいのかお前は。
普通に名前で呼べっつの。
「これで解決した、すべての問題は」
「「「「いやいやいや……」」」」
俺とエステラとマグダにロレッタが一斉にツッコミを入れる。
ジネットも困り顔で苦笑を漏らす始末だ。
時刻は昼前。
こりゃ、今日明日は波乱を覚悟した方がよさそうだな。と、窓の外の快晴を見上げて、俺は思った。
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