「……モーマットさん」
俺の隣で、ジネットが掠れた声を漏らす。
見ると…………ボロボロと泣いていやがった。
……なぜ泣く?
お前には関係のない話だろうに……
モーマットの自滅は、まさにモーマットの考えなしが原因だ。自業自得というヤツだ。
騙される方が悪い。
今もまた、俺の持論が正しいと証明されたわけだ。
それよりも危惧すべきは、その牙が陽だまり亭に向かないかということだ。
仕入れ値を安くしておいて、売値を値上げする。そうすれば利益は一気に倍増だからな。
俺がそんな危惧をしていると、ふとエステラと目が合った。
……なんだよ? 俺に何か言いたいことでもあるのか?
睨み返すと、エステラはすっと視線を逸らした。
ジネットの泣き顔を見たくないとばかりに、体ごと背を向けやがった。
「あ、あのっ!」
突然、ジネットが声を発する。
……このバカ。
今は口を挟むべき時じゃないだろ!
俺は、この次の展開を想像して頭が痛くなった。
そしておそらく、俺の思った通りの展開になるのだ。
すなわち、ジネットがモーマットに助け船を出し、そこに付け込まれて食堂が不利益を被る。そして、ジネットはそれを躊躇うことなく受け入れるのだろう。「それでモーマットさんが救われるのなら」と。
ところがどっこいだ。アッスントは食堂にも農家にも負担を強いるだろう。契約を交わした後では変更も出来ず、負荷の大きくなったまま、貧乏人はどんどん搾取されていくのだ。
「農家のみなさんの生活が傾くと、野菜の質も落ちると思います!」
一丁前に、正論でアッスントを説得するつもりらしい。……まぁ、無駄だろうが。
「ほぅ……それで?」
モーマットからジネットへと体の向きを変え、アッスントは軽く腕を組む。
聞く体勢……というより、言論武装といった感じだな。「受けて立つ」と顔に書いてあるようだ。
「ですので、買取料金をもう少し高くしてあげていただけませんか?」
「しかしそれでは、当ギルドが不利益を被ってしまいます。我々も、ボランティアではありませんのでね、それは難しいかと」
「で、でも、これまでは1キロ1Rbでやってこられたじゃないですか!」
「我々ギルドも、今は厳しい状況に置かれておりましてねぇ」
ギルドは厳しい状況に、ね……
「おい、エステラ」
俺は、そっぽを向くエステラに近付き、小声で話しかける。
「今の発言は『精霊の審判』にかけられないのか?」
『ギルドも今は厳しい』という発言だ。
これは、さっきアッスントがモーマットにした脅しと同じように活用できるのではないかと思ったのだが。
「無理だろうね」
端的な言葉で否定された。
「『厳しい』というのは、個々人の主観による判断が大きい。どんなに裕福でも『この程度では厳しいのだ』と言い張ってしまえば、それは嘘ではなくなってしまう」
「屁理屈がまかり通るのかよ?」
「判断のしようがないものは裁かれない」
杜撰だな、『精霊の審判』ってのは。
「ってことはだ。絶対にあり得ないことで嘘丸出しだが、俺がお前を『愛している』と言っても『精霊の審判』では裁けないってことだよな?」
「……たとえに悪意しか感じられないんだけど……まぁ、そうだろうね。君がボクのことを『愛している』と強く主張し続ければ、状況証拠がそれを否定しても、『精霊の審判』は『君がボクを愛している』と判断するだろうね…………なんだかこの会話、すごく恥ずかしいね……」
エステラが頬を薄く染める。
おぉ、こうして見ると女子に見えるから不思議だ。……まぁ、女子なんだけども。
「それより、いいのかい? 放っておくと、我らがジネット姫はとんでもない契約を押しつけられてしまうよ」
おぉっと、そうだった。
あいつから目を放すと、あり得ない契約にホイホイ合意してしまうに違いない。
まったく、世話の焼ける店主だ。
「で、でもでも、モーマットさんはとても優しい方で、いつもわたしによくしてくださって……!」
まるで見当違いな主張を始めている。
優しさとかいい人とか、そんなもんが金になるかよ。
商人を説得するには、金を動かすか、動かせなくするか、そのどちらかしかないんだよ。
「ですので、なんとかモーマットさんの負担が減るように、お願いします!」
「いやぁ、素晴らしい。さすがは陽だまり亭さんです」
アッスントが乾いた拍手を贈る。
「分かりました。あなたがそこまでおっしゃるのでしたら、10キロ1Rbのところを5キロ1Rbへと戻すことも検討いたしましょう」
「本当ですか!? よかったですね、モーマットさん!」
パッと表情を輝かせて、ジネットはモーマットに微笑みかける。
モーマットも、「あ、あぁ」と、よく分からないままにぎこちない笑みを浮かべている。
……こいつらダメだ。
『5キロ1Rbに戻して』って……戻ってねぇじゃん。
しかも、『検討する』つってるだけじゃねぇか。『検討した結果、10キロ1Rbで』ってことになるに決まってんだろ。
「その代わり、我々が被る不利益を、陽だまり亭さんの方で補填していただくことになりますが……よろしいですか?」
「そういうことでしたら、よろこ…………もがっ!?」
慌ててジネットの口を塞いだ。
……こいつ、今、何言おうとした? マジ怖ぇわ、この天然。
「ん~! もごもご! もごもごもがもご!」
ジネットが何かを喚いている。
えぇい、しゃべるな。手のひらを柔らかい感触が行ったり来たりして気持ちいいだろうが! うっかりときめいちゃったらどうしてくれるんだ! ……しばらく手は洗わないでおこう。
俺はジネットに顔を近付け、耳元で言う。
「いいから黙れ。これから俺がいいと言うまでは一言もしゃべるな」
「んん~ん?」
「何言ってんのか分からんが、言う通りにしろ。食堂がなくなってもいいのか?」
『食堂がなくなる』
その言葉がジネットに突き刺さったようで、ジネットは急に大人しくなった。
見ると、泣き出しそうな顔をしている。
「お、おい、バカ、泣くなよ?」
俺が言うと、ジネットの瞳に涙が浮かび始め、今にも零れ落ちそうになる。
「そ、そうならないように、俺がなんとかしてやるから! だから、言うこと聞いて黙ってろ! いいな!?」
強く言うと、ジネットは俺の顔をジッと見つめた後、こくりと頷いた。
涙は、ギリギリ零れなかった。
ジネットの口から手を放す。と、「すはぁ~」と、ジネットは大きく息を吸った。
「しゃべるなよ」
俺が言うと、改めてジネットは頷く。
さて……、と。
………………なんでなんとかしてやるなんて言っちゃったんだろ……
あれかな? 自分が不利益被るのが目に見えてたからか?
いや、違うな。きっとこれは金になるからだ。
うん。俺の思惑通りに行けば、クソみたいな行商ギルドにひと泡吹かせてやれる。
だから俺は動いたのだ。……まだ『精霊の審判』のルールは完全に把握していないけれど……まぁ、この程度の小者なら練習相手にはもってこいか。
とはいえ、少し不安だな……
ちらりと、エステラを見つめる。
あいつなら、俺のサポートくらい出来そうか……
「エステラ、ちょっと手伝ってくれ」
手招きすると、エステラは素直に応じ、俺の前まで歩いてくる。……近い近い近い! 近寄り過ぎだ!
エステラは、俺に体をぶつけるくらいに接近し、耳元でぼそりと呟いた。
「ジネットちゃんを泣かせたな?」
「な、涙は零れてないから、セーフだろ?」
「…………なんとか出来るんだろうね?」
「お前が協力してくれりゃあな」
「…………うまくいったら、今回の一件は水に流してあげるよ」
「そりゃどうも。つか、お前何様?」
「女友達様さ」
あぁ、そういや中学の頃も女友達様は幅を利かせてたなぁ。
「ちょっと! あんまりミヨちゃんに話しかけないでくれる?」「ミヨちゃん、迷惑してると思うから!」「ミヨちゃんと話したかったら、私を通してからにしてよね!」……って、お前は何様だ!? 俺が話したいのはミヨちゃんであって、おまえらガーディアンどもじゃねぇ!
…………はぁはぁ、いかん。初恋相手のミヨちゃんのガーディアンどもを思い出してムカムカしてしまった。
女友達様は、どこの世界でも厄介なもんだな。
「もししくじるようなら……刺すからね?」
エステラが刃渡り20センチほどの、凶器としか呼びようのないナイフをちらつかせる。
……さすがに、日本の女友達様は、ここまではしなかったけどな。
刺されたくないので頑張ることにする。
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