「いいかお前ら!」
突然やって来たイノシシ顔の男ゾルタルは、こちらが歓迎もしていないのに居座るつもり満々で、誰も望んでいないご高説を高らかとおっぱじめる。
「俺様はな、四十二区の領主様直々に勅命を受けて動いているんだ! お前らみたいな最底辺のゴミクズどもには意見する権利も考える余地もねぇ! お前らの取るべき行動はただ一つ! 俺様に言われた通りに今すぐここを出て行くことだけだ! 分かったらさっさと消えろ、目障りだからなっ!」
ブヒィー!
――と、盛大な鼻息を漏らし、言ってやった感満載のドヤ顔である。
…………わぁ、恥ずかしい。
そもそもなに、『俺様』って?
自分をそこまで高く見積もるヤツ初めて見たんですけど。
自分を高く評価したいなら、せめて見栄えくらいもうちょっとマシにして来いよ。
食いたいものを食って、飲みたい酒を飲んで、やりたくない運動を避け続けた結果ですと言わんばかりの醜い体をしてんじゃねぇか。
詐欺師や交渉人も含め、『商売人』ってのは見た目が八割だぜ?
お前みたいなタイプは、日本じゃ通用しねぇな。
デカい体にデカい声で、高圧的な態度……それでゴリ押しするだけの戦法じゃ、精々こんな女子供にしか通用しねぇよな。
たぶん、エステラやベルティーナ相手なら尻尾を巻いて逃げ帰るしかないレベルの小物だ。
とはいえ……
ロレッタやその弟妹たちには大いに効果があるようで、みんな怯えた表情を浮かべている。
唯一気丈に振る舞っているロレッタでさえ、唇が微かに震えている。
はぁ…………やれやれ。
なんだっけか……『ヤシロさんと敵対関係になる方には、お気の毒』……だっけ?
今回も、そんな風に思うのかよ、ジネット。
チラリと横顔を窺うとバッチリ目が合った。
なんだよ。完全に頼りにしてんじゃねぇかよ。
困った時のヤシロさん。……そんな目で見んな。今はただ、たまたま利害関係が一致しているだけだからな。
俺を善人だなんて勘違いすんなよ。……いや、まぁ、勘違いするのはそっちの勝手だってのが俺のよく使う言葉ではあるが……あぁ、まぁ、ともかく、なんだ…………なんつうの? 不安げな? 泣きそうな? 「なんとかしてあげたいけれどわたしにはそんな力がなくて、それがもどかしくて悔しくて……でもヤシロさんなら……」みたいな? ……まぁ、つまり、そんな目で見んな。
「なにボーっと突っ立ってんだ!? さっさと消えろつってんだろうが! 聞こえねぇのか!?」
「あ、あたしたちは……っ!」
「なんだぁ、こらぁ!?」
「……ひゅぐっ!?」
果敢にも反論を試みたロレッタであったが、ゾルタルの発した奇声によってその言葉は掻き消された。
「何遍も言わせんなよ。な? これは領主様が許したことなんだよ。分かったら消えろ。お前ら全部だ! 今すぐ消えろ! 分かったな? なぁっ!?」
耳元で怒鳴られ、ロレッタが鼻を押さえる。
……耳じゃないんだ。押さえるの。
うるさいより臭いが勝ってんのか……うわぁ、こいつと会話したくねぇ…………
けどまぁ、傍観しててもしゃあないか……
そう、仕方がない。
なので、俺は肘をピンと伸ばしてまっすぐ挙手する。
「は~い、先生。質問でぇ~す」
気の抜けたような声を出したおかげで、ここら一帯を覆っていた重苦しい空気がゆるっと緩和された。
ロレッタは目を丸くして俺の顔を見てくるし、弟妹たちは身を寄せつつも、縮こまっていた首を伸ばして俺を窺っている。
隣にいるジネットに至ってはぽかんとした表情で口をまんまるく開けている。
誰も動かず、言葉一つも漏らさない時間が過ぎていく。
……腕、上げてるのって結構しんどいんだけどなぁ…………
そして、たっぷりと間があいた後、猫背を丸めてロレッタに迫っていたゾルタルが、ゆっくりとこちらを振り返り、あからさまにイラついた目をギラリと光らせた。
「なんだ、お前は?」
「しっつもんでぇ~す!」
そっちが脅し一辺倒で来るのなら、俺はこの感じで行こうじゃないか。
柳に風作戦だ。
「なんなんだよ、お前は!? 邪魔すんのかっ!?」
ゾルタルが俺に向かってドタドタと短い足を懸命に動かして接近してくる。
そのまま頭突きでもされんじゃねぇかってくらいに顔を近付けて俺を睨んだまま、首を「かっくん!」と上、下、上と動かした。所謂「ガンをくれる」というやつだ。
なんだか、ゾルタルの頭に深い剃り込みの入ったリーゼントを幻視しそうになる。
なんつーか、『キアイ』入って『バリバリ』だな。『マブイ』『タレ』でも連れて『ブイブイ』言わせればいい。
けれど、俺は落ち着いて、冷静に、間の抜けた声で、ガンをくれる瞳を見つめつつ、もう一度言う。
「質問があるんですけど?」
「………………チィッ!」
いまだかつて、こんなに汚い舌打ちを俺は聞いたことがない。歯ぎしりみたいな周波数の舌打ちだ。
で、ロレッタの気持ちがよく分かったよ。……口が臭い。吐き出された息とか、殺人事件の凶器として提出されても納得しそうなレベルだ。
「なんだよ、質問質問うっせぇな!? さっさとしろよ、質問!」
あ、予告しとく。
この勝負俺の勝ち。
自分の要求を全撤廃してこちらの要求をのむようなヤツは舌戦には勝てない。
全撤廃の理由が「面倒くさいから」なんて馬鹿げた思考停止だったなら、その確率は100%だ。
「さっきの、『分かったらお前ら全員消えろ』的な発言において、『お前ら』の中に俺たちは入ってるんですかぁ~?」
言いながら、自分とジネットを交互に指さす。
「入ってるに決まってんだろ!?」
「決まってる? いつから?」
「いつからでもいいだろうが!」
「いつまで?」
「はぁ!?」
「決定された事案というのは、今後恒常的に新しい価値観と比較され検討されていくものであり、であるなら、今現在決まっている事柄であってもいつしかその効力は薄らいでいくと思われるのですが、その点いかがお考えですか?」
「訳分かんねぇこと言ってんじゃねぇよ!」
「『訳分かんない』じゃなくて、『理解できない』じゃないの?」
「ケンカ売ってんのか!?」
「そんなメニューはなかったかなぁ……」
「あぁーーーーーーあっ、ムカつく! 俺様が消えろつったら消えりゃあいいんだよ! 分かったら今すぐ消えろ!」
「分かんなかったらいていいってこと?」
「てめぇっ!」
額に青筋を立てたゾルタルが俺の胸ぐらを乱暴に掴む。
あ~ぁ、手出しちゃった。
「はい、そこまで!」
両手を上げて声を張る。
突然のことにゾルタルの動きが止まる。
殴ろうとしていたのか、拳を握っていやがった。
「ついさっきまで、俺たちは部外者だった。この地区の住民でもなければ、こいつらの親族でもない。ただの知り合いに過ぎなかったんだが……」
もし本当に、四十二区の領主様とやらがこのスラムの立ち退き云々に前向きで、ロレッタたちに立ち退きを要求しているのだとした場合、部外者がしゃしゃり出てそれを妨害するのはマズいだろう。
おそらく、日本で言うところの威力業務妨害とか公務執行妨害的なものに引っかかるはずだ。
なにせ、部外者だからな。
そこの住人でもない赤の他人が、わざわざ自分から紛争地に出向いて「横暴を許すな!」「土地を守れ!」なんて叫んでもそんな言葉は響かない。
「いや、お前関係ないじゃん」の一言で終了だ。さっきまでの俺には発言権どころか、この一連のいざこざに参加する資格すらなかった。
「……だが、たった今当事者になった」
ゾルタルは俺に危害を加えた。
ならば、これはもう立派な正当防衛だ。
そして、その危害を加えた理由が『スラムの立ち退きに関する質問をしたことによる逆切れ』であるのなら、俺が堂々と「そのスラム立ち退き計画はおかしいんじゃないか」と、表立って説明を要求できるというものだ。
なにせ、俺はその『スラム立ち退き計画』が原因で危害を加えられたんだからな。
そのくだらない計画を全否定してやる。
領主が黒幕?
だとすりゃ、その領主ごとまとめてぶっ潰してやるよ。
これも是非覚えておいてもらいたい事柄なのだが……
『ケンカ売ってんのか?』と口にするヤツほど……テメェが誰にケンカを売っているのかを理解していない。
この馬鹿イノシシのようにな。
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