「そなたの言いたいことは概ね分かった」
麻婆豆腐を完食し、ドニスがゆっくりと頷く。
「温故知新……だったか。いいものを見させてもらった」
「味も悪くないだろう?」
「うむ。この歳になってなお、新しい物に出会えるというのは、幸せなことだな」
その新しい物には、少しの懐かしさと、ずっと夢を見続けていまだ手に出来ていない思いが混ざっている。
「今すぐに結婚というわけにはいかないだろうが、しばらくは見守ってやってもいいんじゃないかと、俺は思うぞ」
ドニスの言う通り、リベカもフィルマンもまだ若い。リベカは幼いくらいだ。
しばらくは、大人たちの見守る世界で自由に生きさせてやればいいと思う。
「それならば、反対する理由もないだろう?」
探せばあるのかもしれない。
だが、ドニスはそれをしない。
なぜなら、ドニス自身がそうなることを願っているからだ。
だが、手放しで認めるわけにはいかなかった。
だから試した。フィルマンの本気を。
そして、フィルマンは堂々と自分の言葉でドニスに思いをぶつけた。……最後はちょっとヘタレちまったが。
あのスピーチは、俺ですら大したもんだと思ったほどだ。
身内であるドニスには、嬉しいものだったんじゃないだろうか。
「……仮承認、だな」
思いは伝わった。
だが、実力はまだまだ。そんな判断なのだろう。
「ヤシぴっぴの言う通り、当面は様子見だ。おのれの口で言ったのだ。二人とも、見事に証明してみせよ。自身の仕事を全う出来ると。二人でいることがプラスになるということを」
「「はいっ」なのじゃ」
思わず、なのかもしれないが、フィルマンとリベカは揃って潔い返事をした。
ここからが、ようやくスタートか。
納得させるのに、一体どれだけの時間がかかるんだろうな。
ドニスが手強いのは、ここからかもしれないぞ。
気張れよ、フィルマン。
と、なんとなく場が丸く収まりそうな雰囲気になったころ――
「一つ、よろしいでしょうか」
バーサが静かな声で言う。
まっすぐ前方を見つめるその瞳には決意のようなものが見て取れる。覚悟、と言うべきか。
「バーサか。どうしたのだ」
ドニスはバーサと面識がある。
麹工場と領主のやりとりはこの二人で行っていたのだ。
「領主様、私のようなものが直接ご意見する無礼、お許しください」
「よい。此度のことはそなたらにとっても重大なこと。なんでも言ってくれ」
そんな会話に、なんとなく予感めいたものを感じていた。
バーサが何を言おうとしているのか……
一度深く頭を下げ、バーサは神妙な顔で口を開く。
「亜人についてのお考えを伺いとうございます」
空気がピンと張り詰めた。
ドニスはそのことに関して、何も言及していない。
このまま有耶無耶にしてしまえば、とりあえず今日のところは平和に幕引きが出来たかもしれない。
だが、リベカとフィルマンが結婚ということになれば、有耶無耶なままでは済まされない。
バーサのヤツ、相当思い切ったことをしたな。
リベカの将来を脅かす不安を完全に取り去ろうとしている。それで、自分が糾弾されることになろうとも……最悪の場合、破談の原因を自ら作り出すことになろうとも。
そして、その責任を全部背負うつもりで、今バーサは口を開いている。
ホント。母親代わりなんだな、こいつは。あの姉妹の。
「先ほど、領主様も口にされたアゲハチョウ人族の悲劇……貴族様と亜人の婚姻には不幸がつきまといます。世間の目もございましょう。二十四区領主であり、『BU』の重鎮でもあられるドニス・ドナーティ様が、身内に亜人を置くということ――その意味は決して軽いものではないはずです」
亜人は貴族になれない。
実力のあるギルド長であっても、それは変わらない。
あのメドラでさえ貴族にはなれていない。このオールブルームへの貢献は他の追随を許さないほどに大きいだろうに。
貢献度で言えば、ウーマロだって爵位を下賜されてもいいくらいだ。下水の有用性が王族にまで届けば、そうなってもおかしくはない。……だが、そうはならない。
なぜなら、メドラやウーマロが獣人族だからだ。
そんな『常識』が根付くこの街の、特に同調圧力の強い『BU』に属する二十四区。そこの古い世代の人間。ドニス・ドナーティという人物は、亜人を受け入れ難い存在であると、世間はそう思うだろう。
だが……
「ワシの跡取りが惚れたのは、亜人などという者ではない。ただの、獣人族だ」
マーゥルが、しっかりと仕事をしてくれていた。
「そなたは知らぬかもしれんが、貴族の中でも獣人族を気に入ってそばに置く者がおるのだ。ワシはそれを素晴らしいと……いや、羨ましいと思った」
「羨ましい……ですか?」
「ワシのように、古くから街を見つめ続けておるとな、どうしても過去と現在を比較して物事を考えてしまうのだ。これはもはや呪縛だ……その呪縛から逃れられた者がいる。それは、羨むに足ることだ」
ドニスの立場では、マーゥルのように興味の赴くままに行動することは難しいのだろう。
そういう点で言えば、ルシアはかなり頑張っている方なのかもしれない。まぁ、あいつは元が変わり者だからな。
それを羨ましいと思ってしまうのもまた、分かる気がする。
マーゥルの手紙は、そんなドニスの背中をほんの少しだけ押したのだろう。
やりたいと思ったことが、やるべきだと分かったのならば、今が足を踏み出す時だと。
「ワシも長らく、亜人などという呼び名をどうにかしたいと思っておった身でな……まぁ、なかなか難しい問題ではあったのだが……」
ゆっくりと、ドニスの視線が俺へと向けられる。
「旧知の者に教えてもらったのだ、『面白い男が、この街に素敵な贈り物をくれた』と」
それは、俺に向けられた言葉。
打算のない、素直な称賛。
「たかが呼び名――だが、その『たかが』を生み出すことが、ワシらには出来なかった。何十年も。それを、その男はやってのけた」
その贈り物というのは、『獣人族』という呼び名のことなのだろう。
思いつきで適当に言い始めたことなのだが……
「私も、『獣人族』という呼び名を高く評価しております。魔獣除けの壁に次ぐ偉大な発明であると」
バーサは微笑むこともなく、静かな佇まいでそんなことを言う。
魔獣除けの壁って、外壁に使われてるヤツだよな? それのおかげでこの街は魔獣の襲撃から守られている。
そんな大層なもんと肩を並べるようなことじゃないと思うんだけどな、呼び名くらい。
「確かに、貴族の中にはワシとは異なる考えの者もおるだろう。何かにつけて口を出してくる連中も、おるやもしれん」
『亜人を嫁に迎えた』と、関係のない連中がドニスを攻撃することがあるかもしれない。いや、きっとあるのだろう。直接間接を問わず。
勢いのある四十二区の領主に不当な圧力を掛けてくるような連中だからな。
「だが、それだけのことだ」
それは、ともすれば区を破綻させるほどの制裁を加えられかねないことであり、権力から突き落とされかねないことでもあり、攻撃できる材料を与えればどこまでも食らいついてくる貪欲な連中にその隙を与えるということになる。
だが、それでも、ドニスは泰然と構えている。
「それだけのことだ」と、言ってのける。
「ワシが何よりも望んでおるのは、この二十四区に住む者すべての幸せだ。そこには当然、我が跡取りも、その跡取りが惚れ込んだ一人の獣人族も、そして、そんな彼女を大切に思うそなたらも含まれておる」
「領主様……」
「外野がいかに騒ごうと、その者たちの幸せに比べれば、そんなものは些末なことだ」
「……お言葉、ありがたく…………」
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