「あの、ヤシロさん。先ほどから気になっていたんですが……」
せっせと食堂の掃除をしていたジネットが、作業の手を止めて俺のもとへやって来る。
そんなジネットが今着ているシャツには――
『 陽だまり亭・本店
安いっ! 美味いっ! 可愛いっ!
野菜炒め 20Rb~ !!
四十二区にて絶賛営業中!!
年中無休
来なきゃ損っ! 友人・家族を誘って是非お越しくださいっ!! 』
という文字が縫いつけられている。
端切れを文字の形に切って、一個一個を縫いつけたものだ。
というか、エステラに貸してやったヤツの別バージョンだ。
昨日、エステラが帰った後、ジネットが物凄く羨ましそうにしていて……それはもう、こっちが引くくらいに羨ましそうにしていて……料理とか片付けが手につかないくらいに羨ましそうにしていて……それはもはや無言の催促と言うべき羨ましがりようで……根負けした俺が作ってやったのだ。
朝のうちにジネットの服を一つもらって、そこへ文字を縫いつけた。
その際、「え……わたしの服で作るんですか……」と、ジネットが悲しそうな表情を見せていたが……いや、その方がサイズ合うし、俺もそんなに服を持っているわけではないからな。
あと、……もう、匂い嗅がれるのとか、勘弁してほしいしな。
そんなわけで、ジネットは先ほどからずっと、陽だまり亭の宣伝入りシャツを着ているのだ。
……聞きたいことがあるのはこっちの方だぞ。
何がそこまで嬉しいんだ。制服の方が絶対可愛いのに。
今日だけという約束で、本日のジネットは宣伝シャツで過ごすらしい。
明日からは、仕事中は制服を着て、プライベート時に宣伝シャツを着るのだとか。……いや、プライベートでもちょっとどうかと思うけどな。
「で、なんだっけ?」
「あの、ヤシロさんはさっきから何をなさっているんですか? 度々外へ行かれているようですが?」
「拾い食いでもしたんッスか?」
誰が拾い食いで腹を壊してるか。
これだから想像力の乏しいヤツは……そんなだからつるぺたに走るのだ。大きさ、形、弾力、圧力による形状変化などの無限の可能性を秘める巨乳ではなく、「つる」と「ぺた」しかない貧乳に走るのは情報処理能力の欠如を如実に表していると言っても過言ではないだろう。
「裏庭にいいものを作ったんだよ。今日はそれの試運転をしているんだ」
あまりに雨が続き、客足は遠のくわ、雨で仕事を休んでいる農家を回ることも出来ないわで、俺は盛大に時間を持て余していた。
そこで、何か工作でもしようとジネットの許可を得て物置を物色していたところ……とても『イイモノ』を発見したのだ。
そいつの名は……耐火煉瓦。
千二百度の高温にも耐えられる優れものだ。
そのレンガを使って、俺は窯を作ったのだ。
パンでも焼こうかと思ってな。
米が手に入り、毎日美味しいご飯が食べられるようになった。
……と、なると、今度はパンが食べたくなるのが人間だ。
この街のパンはさほど美味くないくせに高い。
黒パンは鈍器に分類されそうな硬さだし、白パンはカッスカスな上に70Rbもするのだ。
正直、やってられない。
で、あるならば、作ってしまうより他はないだろう。
そこにあるもので我慢できないならば、それはもう、自分で生み出すしかないのだ。
イースト菌が手に入らなかったので、とりあえずは自然発酵のパンを作ることにした。
日本にいる頃に作り方を教わったことがある。熱湯消毒した器に小麦粉と水と塩を入れ、26℃前後で24時間かけてじっくり発酵させるやり方なのだが、これが難しくて日本では散々失敗したものだ。だが、こちらでは一発で成功した。現在は発酵も完了し、石窯の中で焼いている状態だ。やはり、人間追い詰められると真価を発揮するものなのだな。
あんな石みたいな黒パンは食いたくない! という強い思いが食の神にでも伝わったのだろう。
今から試食が楽しみだ。
うまくいけば、パンをパン屋より安く提供できるかもしれない。
それに、ちゃんとした石窯を作れば、ピザのようなものを作ることも出来るだろう。
これは、ちょっとした一大ムーブメントを巻き起こしてしまうかもしれない。
物置に保管されていたレンガだが、数がさほどなかったので、今回は小規模な、お試し版のような石窯を作ったのだ。
この窯を利用してもっと大量の耐火煉瓦を作るのも有りだろう。
もしかしたら、『デリバリーピザ・陽だまり亭』としてリニューアルする日が来るかもしれんな。
とにかく、今はパンの焼き上がりを確認するのが先だ。
朝からパンの仕込みや石窯の火入れなど、じっくりと時間をかけて準備してきたのだ。
絶対うまくいっている。
今日、四十二区に、いや、この街、オールブルームに新たなる歴史が刻まれるのだ。
「お前たちを歴史の証人にしてやるよ」
「……なんか、嫌な予感しかしないんッスけど……なに仕出かす気ッスか?」
「マグダ、疲れたろ? 今日はもう部屋で休んでいいぞ」
「わぁっ! 超楽しみッス! ヤシロさんのやることって、凡人には考えもつかないことばっかりッスから! わー楽しみーッス!」
まったく。場の空気の読めないヤツだ。
まぁ、いい。俺の特製のパンを見て驚天動地するがいいさ。
「んじゃ、ちょっと行ってくるな」
俺は傘を手に、食堂のドアを開ける。
と……ドアの前にエステラがいた。
昨日俺が貸した服を目の前で広げて、顔を近付けている。
「…………嗅ぐのか?」
「ぅわあっ!? ヤ、ヤシロ!?」
あまりにも思いがけなさ過ぎる遭遇で、思わず聞いちゃったよ。
いや、これは聞いちゃうだろう、誰だって。
「お前の特殊な性癖に口出しをするつもりはないが、本人の目の前ではやめてくれ」
「バ、バカかい、君は!? だ、だだ、誰が匂いなんか嗅ぐもんかっ!」
お前だ、お前。この匂い嗅ぎ妖怪め。
「ボクは、服の汚れが綺麗に落ちているかを確認していたんだよ。ホントだよ!」
まぁ、そういうことにしといてやろう。
「ホントだからねっ!」
「分かったっつの」
「どうだかなぁ……」
なんで俺が責められてんだよ……
「それで、どこかに行くのかい?」
「裏庭だ」
「…………拾い食いでもしたのかい?」
……こいつらは、まったく。どいつもこいつも。
「いいから中に入って待ってろ。今いいもの見せてやるから」
「……『いいもの』? なんだかすごく嫌な予感がするんだけど?」
「お前ら、俺をどんな人間だと思ってんだよ?」
失敬な。
まったくもって失敬な連中だ。
「ボクも一緒に行くよ」
「いや、雨降ってんだから中入ってろよ」
「大丈夫だよ、傘があるし」
「すぐ戻るから、中入ってろって」
俺はエステラを無視して裏庭へと向かう。
「ちょっと、待ってってば…………ぅわあっ!?」
俺のすぐ後ろで、水の跳ねる音がした。
振り返ると……
「……冷たい」
エステラがぬかるみに足を取られて、水溜まりに尻もちをついていた。
「…………中入って、着替えとけ。な?」
「……うん。そうする」
肩を落とし力なく言うと、エステラは食堂へと入っていった。
「あ、エステラさん。いらっしゃ……どうしたんですか、その格好!?」
そんな、ジネットの素っ頓狂な声が聞こえ、ドアが閉まる。
エステラがどん臭いのか、ぬかるむ地面が悪いのか……足元がぬかるむって、危険だよなぁ。せめて店の前だけでもアスファルトとかに出来ないもんかねぇ。
水はけが悪く、粘土のように粘り、すべる泥に足を取られつつ、俺は裏庭へとやって来た。
以前、椅子を直す際に使用した薪が置かれている付近に簡易的な壁と屋根を設け、雨風を凌いでいる。気分は飯盒炊爨ってところか。
近付くと、小麦の焼けるいい香りがしていた。
じんわりと、温められた空気が肌に触れる。
俺は、火傷に気を付けつつ、窯を蓋する鉄の扉を開いた。
石窯の中には、整然と並べられた、まん丸いパンがいい具合に焼けていた。
その中から一つを手に取り、熱々のパンを一口、口へと放り込む。
………………うん! 美味いっ!
ベーキングパウダーがないから、日本で売ってるようなふわっふわのパンではないものの、ちゃんと発酵しているし、小麦の甘みもしっかりと感じることが出来る。
ちゃんと美味い。そんな感想を抱くようなパンだ。
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