異世界詐欺師のなんちゃって経営術

分割版π(パイ)
宮地拓海
宮地拓海

【π限定SS】ボクの初めての――

公開日時: 2020年12月19日(土) 20:01
文字数:6,007

 四十二区にケーキが誕生してから、ボクは目が回るような忙しさに翻弄されていた。

 

 サトウダイコンの栽培、砂糖の製造、流通、そして市場の調整。

 それを踏まえた上でのケーキに関するあれやこれや……ホント、死ぬかと思うくらいに忙しい。

 

 ボクはたぶん、この数日で去年一年分と同等以上の仕事をした。

 

「はは……どうしよう、ナタリア。折角のディナーがなんの味もしないよ」

 

 忙し過ぎて味覚がストライキを起こしたらしい。

 口に運ぶ料理がなんの味もしない。

 

「お嬢様。今お召し上がりいただいているのはランチですよ」

「えっ!? 今って夜じゃないの!?」

「正午です」

 

 あれぇ!?

 おかしいなぁ、ボクの体内時計では夕方のはずなんだけど。

 それで、「あ~、今日も徹夜かぁ~」って覚悟してたところなんだけど!?

 

「シャキッとするために、入浴されてきてはいかがですか?」

「そうだね……インクで手が真っ黒だ……」

 

 ナタリアに促され、食事もそこそこにお風呂へ入る。

 空腹は紛らわすことが出来たけれど、満足度はかなり低い。

 

 ……あぁ。ジネットちゃんのご飯が食べたい。

 

 ちゃぷん……と、お湯が音を鳴らす。

 少し熱めのお湯が指先をじんじんとさせる。体に沁み渡ってきて、疲れが湯船の中に溶け出していくようだ。

 

「……あぁ~…………気持ちいい」

 

 なんだか、久しぶりに人心地ついた気分だ。

 ボクは何時間働き続けていたのだろう。

 誰か褒めてくれてもよさそうなものだよ、まったく。

 

 デミリーおじ様の強引さと思い切りにも、アッスントの緻密さと用意周到さにも驚かされた。

 砂糖を扱うって、すごく大変なことなんだなって、身をもって思い知らされた。

 あの二人についていくので精一杯だよ……すっごく鍛えられてる気分だ。

 彼らと対等に遣り合えるようになって、ようやく貴族の端くれになれるんだろうなぁ。

 領主への道はまだまだほど遠い。ボクには荷が勝ち過ぎている。

 

「あぁ……ヘコんできた」

 

 俯けば、お湯の中に口が浸かりぶくぶくと気泡が音を鳴らす。

 

 湯舟には美しい花びらが浮かんでいる。

 ナタリアが気を利かせて浮かべてくれたもので、とてもいい香りがしている。

「お嬢様」と呼んで、ボクを大切にしてくれている。ありがたい存在だ。

 ボク自身は、全然お嬢様っぽい生き方が出来ていないんだけれど。

 

「女の子っぽいって言ったら、やっぱりジネットちゃんだよなぁ」

 

 先日のお誕生日会は、それはもう素晴らしいものだった。

 大勢の者たちが祝福し、そしてその幻想的な光景を見守った。

 息をのむほど美しい夜だった。

 

 闇に揺らめくロウソクの火も。

 嬉しそうに頬を染めるジネットちゃんも。

 あの夜の出来事はみんな特別で、みんな美しかった。

 

「……いいなぁ」

 

 誰にも聞こえないように、お湯の中で呟く。

 ぶくぶくという音にかき消され、そんな呟きは世界に紛れて消える。

 

 羨んでも仕方がない。

 あれはジネットちゃんだからこそ起こった奇跡なのだから。

 

 真摯に、自分の一番大切なものを守り続けたジネットちゃんだからこそ、奇跡が訪れた。

 あの男を、あの男の心を動かせたんだ。

 

「……ボクには、ムリ……だなぁ」

 

 協力者を用意され、現物も提供され、すべてのお膳立てがなされた上でさえ押し寄せる仕事に忙殺されているんだ。ゼロからソレを見つけ出して形にするなんて離れ技、出来っこない。

 ……出来っこないし、やらせることも出来ない。

 

 それだけの無謀を、ヤシロがやってのけた理由は……

 

「ジネットちゃんを、喜ばせたかったんだよね……」

 

 口は悪いし、目つきも悪い。手癖も悪いし、きっと性根だって曲がっているに違いない。

 それでも、純粋に誰かのために行動できる。大切な人のために死力を尽くせる。

 そういう男を、動かすだけの力は、きっとボクにはない。

 

 ジネットちゃんのマネなんて、出来るはずないもんなぁ。

 

「……いいなぁ」

 

 羨望。

 ボクの抱く感情は、まさにそれなのだろう。

 あんなに大々的でなくてもいいから、せめて一言――

 

「よく頑張ったな」

 

 ――そう褒めてほしいよ。

 ま、無理だろうけれど。

 

「さっ! ケーキの販売許可の書類、一気に仕上げちゃおっと!」

 

 勢いをつけて湯船から出る。

 ボクはボクだから、ボクにしか出来ないことをきちんとやろう。

 誰に認められなくとも、誰もが幸せに過ごせる街を作るために。

 

 ボクは、ボク自身がボクを誇れるならそれでいいさ。

 

「……へ? なに、これ?」

 

 浴場を出ると、そこにはオシャレな服が用意されていた。

 いつも執務中に着ている動きやすい服ではなく、少し背伸びしたような、可愛くも落ち着いた衣服。

 おまけに、スカートだ。

 

「……これを着ろって? まったく、ナタリアは何を考えて……」

 

 と、服を持ち上げた時、はらり……と、一枚のカードが舞い落ちた。

 拾い上げて、そこに書かれた文面を読む。

 

 

『本日午後二時。四十二区中央広場に来られたし。 怪盗・イケテール伯爵』

 

 

 ……うん。ヤシロの文字だ。

 えっ!? まさか、脱衣所に入ってきたわけじゃないよね!?

 

 自身の格好を顧みて、思わずタオルを体に当てる。

 ……一糸纏わぬ姿で見るべきじゃなかった。へ、変に、緊張する。

 

「ない、よね。さすがに。きっとナタリアが仕込んだんだ…………なんでボクに黙ってヤシロと結託してんのさ? 誰が主だと思ってるんだよ、まったく」

 

 ヤシロが絡んでいるなら、このオシャレ着も何か意味があるのだろう。

 さっさと服を着て、改めてカードを見る。

 

 ……イケテール伯爵って。

 

 それ以外に情報は記載されていない。

 午後二時……って、今は何時なんだろうか?

 もしかして、もうすでに過ぎていたりして……

 

 気持ち慌てて浴室を出る。

 

「ナタリア。このカードなんだけど――」

「な、なんと!? それは、かの高名なイケテール伯爵からの招待状ではないですか!?」

「……うん、ごめん。ボクは存じ上げないんだけどね、その高名なイケテール伯爵」

「遅刻をしては失礼に当たりますね。執務は我々に任せて、お嬢様はお出かけください」

「え? でも、ケーキの販売許可が……」

「その辺はもうすでに、徹夜で意識が朦朧としていたお嬢様が許可済みです」

「朦朧とした状態で出した許可って、物凄く不安なんだけど!?」

「問題がないことは私が確認済みです。さぁさ、このために仕事を結構無茶なレベルで詰め込んだのですから、あとは息抜きをしてきてください」

「え、待って待って! ボクは息抜きのために殺されかけてたのかい!?」

「では、イケテール伯爵によろしくお伝えください」

「いや、ヤシロだよね? ねぇ!?」

 

 返事ももらえないまま、ボクは屋敷の外へと放り出された。

 なんなんだよ、もぅ……

 

 謎の招待状を手に、ボクは中央広場へ向かう。

 

 あぁ、そういえば。

 ここで待ち合わせをして、ヤシロとケーキを食べに行ったっけなぁ。

 ……ふふ。今となっては、ヤシロがあのケーキに顔をしかめていた理由が分かるよ。あれも悪くなかったけど、比べちゃうとやっぱり、ね。

 

 ……でも、結構楽しみにしてたんだけどなぁ。

 

 不発に終わった初めてのデートを思い返し、ほんの少しだけ胸が痛んだ。

 あれはデートじゃないって、ヤシロは言っていたけれど、でも、……ね。

 

「デートのやり直しなんて、もうすっかり忘れてるんだろうなぁ」

 

 あのケーキだって、ジネットちゃんの誕生日を祝うための視察だったってことだしね。

 結局、全部ジネットちゃんのためだもんな。

 

「ボクに仕掛けてくるのは、こういう悪ふざけだけだもんな。ナタリアとグルになってさ、何やってんだか、まったく」

 

 少々腹立たしく思い、ヤシロが来たらモンクの一つも言ってやろうと思っていたのだけれど……やって来たヤシロは、明らかに不審者のような格好をしていた。

 ……なに、あれ?

 

 立派な口髭を生やした、紳士然とした衣服を身に纏った変質者がいる。

 演出の一環なのだろうけれど、花束を持っている。

 貴族っぽさをアピールしたかったのだろうけれど……あそこまで下手な変装を、ボクは未だかつて見たことがない。

 そんな格好で、こちらを窺うようにチラチラと見てくる。……まったく。

 

「ねぇ、ヤシロ。ボクはいつまでここに立っていればいいのかな?」

「なぬっ!?」

 

「なぬっ!?」じゃないよ、まったく!

 数度言葉を交わし、その胡散臭い口髭を引っぺがす。

 鼻の下のデリケートな皮膚が引っ張られて相当痛かったらしい。

 

「それで、なんの冗談なんだい? ボクを引っかけてからかうつもりだったんじゃないだろうね?」

 

 こっちは、ついさっきまで寝ずに仕事をしていてへろへろなんだ。

 つまらないイタズラだったら承知しないからね。

 

「そうじゃねぇよ!」

 

 懸命に否定するヤシロ。

 けれど、その計画があまりにバカバカし過ぎてめまいがしてくる。

 とりあえず、どんなに胸がなくとも失礼には当たらないから!

 というか、その発言が失礼だから!

 

 シルクハットを取り、スーツを脱いで、いつもの格好に戻ると、ヤシロは何事もなかったかのような声でしゃべり出した。

 

「エステラ」

「ん? なんだい?」

「ごめ~ん! 待ったぁ~?」

「君は、何か悪い物でも食べたのかな?」

 

 一体何がしたいのか、まるで理解が及ばない。

 こんなところで時間を浪費しているくらいなら、館に戻って仕事を終わらせた方が有意義なのではないかとすら思い始めていた。

 

 用があるならさっさと言ってくれればいいのに、

 ……君にも仕事を押しつけるよ? ボクの時間を浪費した罰だとか言って。

 

「もういい! エステラのKYめ!」

「KYってなにさ!?」

「巨乳の『きょ』だ!」

「絶対ウソだ!? カエルにするよ!?」

 

 ボクが巨乳であるわけないじゃないか!

 

 …………

 …………

 …………悪かったな、可能性すらなくて!

 誰が可能性すらないか!?

 

 自分自身に対する謎の憤りを感じていると、ヤシロが髪の毛をガシガシと掻き毟った。

 なんだか、ちょっと不機嫌そうだ。

 なんだよ、もぅ。

 一方的に呼び出しておいて、そんな顔してさ……帰っちゃうよ?

 

「まぁ、とにかく。今さらカッコつけても決まらないし、この空気で恥ずかしがるのも変だし」

「だから、なんなのさ、さっきから」

「ほい」

「…………え?」

 

 目の前に、大きな花束が差し出される。

 赤い花が目立つ、綺麗な花束。

 

 花束から目が離せないでいると、ぶっきらぼうな声が耳に届く。

 

「やる」

 

 やる、って……

 

「…………これ、紳士に変装するための小道具じゃ、ないの?」

「お前へのプレゼントだよ」

「でも……こんな大きな花……………………え、いいの?」

 

 結構値が張りそうだ。

 というか、前にくれた時はもっと小さくて、なんとなく「ボクにはこれくらいがお似合いかなぁ」とか思っていたんだけれど……こんな大きな花束を、もらっていい……の?

 

 恐る恐る視線を向けると、ヤシロはちょっとだけ照れくさそうにしながら、いつもの口調でこう言った。

 

「デートの誘いは花束と一緒にって、お前言ってたろ?」

「デ…………デート……あっ!?」

 

 確かに言った。

 そう、あの日ヤシロは――

 

 

『今度改めてデートに誘わせてもらう! その時は、花束を持って、もっとずっと美味いケーキと紅茶をご馳走してやる! だから、今回のこれはデートじゃないってことにしといてくれ!』

 

 

 ――そう言っていた。

 

 ……落ち込んだボクを慰めるための方便だと、思っていた。

 いや、嘘じゃないにしても、こんな……ちゃんとした感じじゃなくて、もっと有耶無耶になるような、…………いや確かに「本番は期待しているよ」みたいなことは言ったけれど、でもまさか、こんなにちゃんとした、いやそれ以上に素敵な花束を用意してくれるなんて……え、これ、本当にもらっていいの?

 ボクに、だよ、ね?

 

「あの……これ…………」

 

 この花束がボクへの贈り物なのだとしたら、ヤシロは約束をきちんと守ってくれるということになる。

 約束をきちんと守るなら……まだ、完全じゃない……よね?

 

「……覚えてて、くれたんだ…………」

「当たり前だろう。俺を誰だと思ってやがる」

 

 君はヤシロだ。

 ボクの知るオオバヤシロは、大それたことを平気でやってのける男だ。中途半端なことはしない。やるならとことんやる、そういう男だ。

 だから――

 

「あの……さ」

「ん?」

「折角、こんな綺麗な花束があるんだし……その、アレもちゃんとしてほしいな」

「アレ?」

「だから、……デートの、お誘い」

 

 ――ちゃんと、やりきってくれる。……よね?

 

 期待を込めて、ヤシロを見つめる。

 するとヤシロは、きりっとした表情を見せ、ボクに向かってこう言った。

 

「よぉ、ネェちゃん。俺と一緒に、茶ぁしばけへんけ?」

「やり直し」

 

 却下だよ、そんなの!

「ですよねぇ」みたいな顔するくらいなら最初からしなきゃいいじゃないか、もう!

 

 折角こんなに美しい花束があるのに、君が中途半端をしてどうするのさ!

 

 有耶無耶にはさせない。誤魔化しは許さない。

 そんな思いを込めてヤシロを見つめる。

 

「ごほん」

 

 わざとらしい咳払いを挟んで、ヤシロがもう一度ボクを見る。

 

「エステラ」

「――っ!?」

 

 真剣な表情に。

 まっすぐボクを見つめる瞳に。

 低く響くヤシロの声に。

 

 呼吸が一瞬止まった。

 

 血液が顔に集まってきて、頭がパンクしそうだ。

 何も言えず、ただヤシロの言葉を待つ。

 

「………………………………ちょっと待って」

 

 数秒見つめ合った後、ヤシロが顔を押さえてそっぽを向いた。

 ヤシロが……照れてる?

 あのヤシロが、ボクに?

 

 なんだろう。

 なんだかそれ……すごく、くすぐったい。

 

 ふふ、照れるがいいさ。

 ボクがこんなに照れているんだから、君だって相応に照れるべきだよ。

 

 でも、君ならやってくれる。

 ボクはそう信じている。

 

 こちらに背を向け、なんだかさんざん悩んだらしいヤシロは、やがてゆっくりと振り向いて、再度ボクを見た。

 鼻の穴を大きく広げて息を吸い込み、取り繕うこともなく、気障ったらしく格好をつけることもなく、いつもの他人を煙に巻くような上っ面の表情とは違う、素直な顔でボクに言う。

 

 

「だ、黙って俺に、ついてこい!」

 

 

 その言葉は、驚くほどすんなりとボクの胸の真ん中にすとんと落ちていって、じんわりと心に沁み込んでいった。

 

 領主代行としてあまりの至らなさにヘコみまくって、泣きそうになりながら投げ出すことも出来ず、吐き出すことが出来ない弱音がぱんぱんに詰まっていた心が、その一言でぶわって軽くなっていった。

 

 以前も言ってくれたよね。

 困った時は、俺を頼れって。

 

 本当に君は――

 

 

 ボクを笑顔にするのがうまいんだから。

 

 

「うん!」

 

 どこに向かうのかなんて分からない。

 けれど、分からなくても不安にはならない。ヤシロと一緒なら。

 そのヤシロが連れて行ってくれるというのなら、黙ってついていこうじゃないか。

 

 きっと、ボクを満足させてくれる。

 ずっと笑っていられるような、楽しい未来へ導いてくれる。

 

 もし期待通りじゃなくても、ヤシロとだったら思いっきりケンカも出来るだろう。

 そして、その後で仲直りだって出来る。

 

 だから、まずはお手並み拝見といこうじゃないか。

 

 

 今日のデート、ボクを満足させてみせてよね。

 なにせこれが、ボクの初デートなんだからさ。

 

 

 

 

 

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート