「……ちなみに、このあんドーナツ…………いくらで売り出すつもり?」
嫌な予感がしているのか、エステラの顔色が冴えない。
観衆も、この新しいドーナツの価格に興味を示している。
これによく似たアンパンなどの菓子パンは50Rbという値が付いていた。
果たしてこのあんドーナツはいくらなのか……
いいだろう、聞かせてやる。
「9Rbだ」
「「「「安っ!?」」」」
「「「「毎日買いに行く!」」」」
「「「「主食にする!」」」」
ワーッと盛り上がる観衆の中、またエステラだけが重いため息をついた。
「……絶対、四十二区だけパンの売り上げが伸びない…………」
まぁ、よく似た物が五分の一くらいの値段で安定供給されてりゃな。
でもな、似ててもやっぱ別物だから、たまにはそっちも食いたくなるもんなんだぜ?
大丈夫大丈夫。
売り上げが落ちても、まったく売れないなんてことはないから。
「それに、教会が何も言ってこないように、アッスントがなんとかしてくれるから」
「えっ!? いや、……えぇっ!?」
「そう……、じゃあお願いね、アッスント」
「いえいえいえいえ! そんな過度な期待をされましても!」
「じゃ、ピザソースのレシピ教えないもん! ぷん!」
「ちょっとヤシロさん! それとこれとは話が……」
「ヤシロ檄おこ!」
「……分かりましたよ。その代わり、ピザソースの旨みは存分に享受させていただきますからね!」
自棄っぱちに言ってアッスントがため息を漏らす。
そんなに落ち込むことじゃないだろう?
教えてくれって言ってた新しいレシピを教えてやって、あまつさえその新しいパンのさらなる美味い食い方まで提唱してやったんだ。
教皇が地べたを這いずり回りながら俺に感謝してもいいくらいの大サービスじゃねぇか。
ま。
そのパンがあるからこそ、ウチのドーナツの売れ行きがよくなるんだけどな。
ただ「こういうものがあるんですよ」と出すよりも「大人気のアレ」の宣伝効果を利用させてもらった方が商品はよく売れる。
電気信号で腹筋を強制的に動かすエクササイズマシーンなどでもそれは証明されている。
どこのものだか分からない胡散臭い商品でも「大人気のアレ」に似ている、おまけに「大人気のアレ」より安い! と、そんな理由で売れてしまうわけだから。
便乗できるものには、遠慮なく便乗させてもらう。
それが商売の初歩だ。
……ふふふ。
こいつは、売れる!
「ヤシロ。このあんドーナツさ、美味しいんだけど指が汚れるね」
アンドーナツを平らげたエステラがベタベタの指先を見て言う。
バカだなぁ。それはいわば、最後の『お楽しみ』なんだぞ?
「アンドーナツの周りにまぶしてあるのは、パーシーのとこの新しい商品『粉砂糖』なんだ。だから甘いぞ。舐めてみろ」
「舐めるって……こ、こう?」
行儀の悪い行為に、エステラは一瞬眉をしかめるが、自分の指を舐めた途端目を煌めかせた。
「あまぁ~い」
「な? そこまで含めてのあんドーナツだ」
エステラを見て、ガキどもが真似をして指を舐める。
「あま~い!」「うまー!」と、ガキどもが大はしゃぎだ。
指に着いた粉砂糖って、なんか妙に美味く感じるんだよな。行儀の悪いことをしてるって背徳感がそう錯覚させるのかねぇ?
紙カップのアイスの蓋とか、ケーキの周りのフィルムに着いた生クリームを舐め取る時みたいな、行儀悪いと分かっていてもついついやっちゃうアレ。
アレが醍醐味なんだよな、こういうのは。
「そんなわけで、甘味はこんなところだ」
「甘味は? まさか、ドーナツにもピザトーストみたいなのがあるのかい?」
「ピザトーストではないが――」
と、否定するとベルティーナが残念そうな顔をした。
早まるなベルティーナ。そんな顔をするのはまだ早い。
こいつは、俺がいつか作りたいとずっと願っていた最強の『パン』のうちの一つだ。
好きなパンランキングでは必ずトップ10に食い込んでくる、専門店すら存在するようなメジャー・オブ・パンの一角。
パンの代表格にして、ここオールブルームのルールに則りながらも陽だまり亭で調理販売できる唯一のパン!
そうだ!
「こいつが、カレーパンだっ!」
ラグビーボールのような形をしたその揚げパンは、名前こそ『パン』ではあるが、調理方法はドーナツのそれに近い。
サクサクもっちりした皮の中に包まれたとろっとしたコクのあるカレーが堪らない!
「ヤシロさん。『カレードーナツ』です」
「おっと、いけない」
つい日本での癖でカレーパンと言ってしまうが、この街で『パン』を作って売るわけにはいかないのでカレードーナツという名称にしたんだった。
気を付けないとな。くだらないところで上げ足を取られてはたまらない。
「カレー、ドーナツ? ……合うの?」
「まぁ、食ってみろって」
初めての食い物に懐疑的なエステラ。
それはいつものことだ。とにかく一口食わせてみる。
「でも、結構パンを食べたから、もうお腹いっぱいだし……一口だけね」
などと言いながら、カレードーナツに齧りつく。
瞬間、口から光線を吐き出さん勢いで天を仰いで咆哮した。
「美ー味ーいーぞぉー!」
そして、「一口だけ」という言葉はどこへやら。あっという間に一個をぺろりと平らげてしまった。
「ヤシロ! これ! これ!」
エステラが、瞳孔の開き切った目で俺を見つめて詰め寄ってくる。
「う、ううう、売るよね? 陽だまり亭のメニューに載るよね!?」
「載る! ちゃんと売るから、落ち着け! 女子のしていい顔じゃないぞ、それ!」
「い、いくら? ねぇ、これはいくらなの!? いくらで売る予定なのかな!?」
「12Rbだ」
「高い!」
「安いだろうが!」
「他が9Rbなのに!?」
「手間と材料費がかかってんだよ!」
「領主が補填する!」
「必死か!?」
12Rbだって十分安い。
タコスだって10Rbなんだぞ? それより手間のかかるカレードーナツはちょっと高いの!
文句があるなら食べなくてよろしい!
あんまり売れ過ぎると、俺が食う分がなくなるからな。
こう見えて、俺はカレーパンが大好きなのだ。
「はぁ、これが明日から12Rbで食べられるのかぁ……!」
「教会の横やりが入れば販売は中止せざるを得ないかもしれんがな」
「アッスント、死ぬ気で頑張ってね!」
「……エステラさん。二ヶ月ほどヤシロさんのそばを離れてみては……いえ、なんでもないです」
そうして、陽だまり亭で用意した各種ドーナツも、あとから出したカレードーナツもすべてがすっからかんになった。
これだけ胃袋を掴んでおけば、明日以降の売り上げが期待できるだろう。
鉄は熱いうちに打てってね。
パンの誕生に湧いた領民の関心を、その上を行く関心で根こそぎ掻っ攫ってきてやった。
ふふふ。
これは、売れるっ! 売れるぞぉぉおお!
「ヤシロさん」
名を呼ばれて振り返ると、両眼いっぱいに涙を浮かべた笑顔のベルティーナにギュッと抱きしめられ、頭をぽんぽんと撫でられた。
そのまま何も言わずに、「うんうん」と頷いてどこかへと歩いていってしまった。
……え、なに?
「あまりの感動に、言葉もなかったんだと思います」
ジネットが困り顔でベルティーナの心情を代弁してくれた。
そこまでかねぇ……すげぇなカレーパン。
美人シスターのハグくらいの価値があるのか。
もしかしたら、もっと美味い物を作って食わせれば、もっとすごいことが……
「ヤシロさん」
俺の顔を覗き込んでジネットがにっこりと笑う。
「懺悔、しますか?」
「口に出してないのに?」
「お顔に書いてあります」
じゃ、今後エロいことを考える時は目出し帽でも被ろっと。
そうして、俺の企て――
あんドーナツとカレードーナツの誕生をもって、『教会に柔らかいパンを教えてやって、パン食い競争とカレーパン、俺の好きなことをこの街に誕生させてやろう大作戦』は幕を閉じた。
今後も、この街にカレードーナツとパン食い競争がいつまでもいつまでも深く根付きますように。
特に、パン食い競争の方を、お願いします。
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