異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

117話 甘え -3-

公開日時: 2021年1月23日(土) 20:01
文字数:4,032

「エステラ。久しぶりだな」

「なんだよ、それ……帰ったんじゃないのかい?」

「大事なことを言い忘れてたからな」

「へぇ……聞かせてもらおうか」

 

 弱々しい笑みを浮かべて、エステラは椅子の背もたれに身を預ける。

 精神を疲弊させたような、気だるさが感じられる。

 

「お疲れだな」

「……そう、かもね。うん。ちょっと疲れたよ」

 

 エステラは息を吐いてから肘掛けに体重をかけて頬杖をつく。

 頬が潰されて、拗ねたような表情になる。

 

「……メドラの言う通りなんだよ」

 

 ため息に載せるように、エステラが胸のうちにもやもやと鬱積された言葉を吐き出す。

 

「ホント……嫌になるくらい、図星だったね」

 

 メドラの言う通りってのは、リカルドに対して筋を通していなかったってことだろう。

 

「リカルドがさ、言っていたことを覚えているかい?」

「嫌なことはすぐ忘れる性質でな」

「ふふ……ヤシロらしいね」

 

 笑った後で、もう一度背もたれにもたれ直す。

 椅子が軋みを上げエステラの体が沈み込む。赤い髪が、ふわりと揺れる。

 

「『これまで散々優遇していた恩も忘れて』って言ってたろ? それで考えてみたんだけど……ボク、やっぱり優遇されてたんだよね。それを当たり前だと思っていただけで……ボクは、優遇されていたんだよ」

 

 そのことに思い至り、ここまでダメージを受けてしまったのだろうか。

 確かに、他人から受ける親切というものは、そのありがたみを見失いがちだ。

 一人暮らしを始めて、初めて母親のありがたみを感じる……なんてことは誰にでもある経験だろうが、それがまさにそうなのだ。これまで当たり前に享受していた恩恵が、実はとてもありがたいことで、そして相手はそのために多大な苦労をしてくれていたのだ。

 母親でたとえを続けるなら、朝早くに誰より先に起きて飯の用意をし、時間になれば家族を起こし、そして事前に洗っておいた服を差し出し、家族を見送った後には片付けだ……

 やれと言われたらノータイムで拒否するような面倒くさいことを、毎日、当たり前のようにやってくれる。

 ただ、それを受け取る方はそれを当たり前としか認識できていないことが多い。

 

「恩恵を受けていたのに……ボクは不平や不満ばかりを感じていたんだ……」

 

 人はみな、同じ過ちを犯しやすい。

 誰だって、自分の置かれた境遇を顧みることなど出来ないのだ……恵まれている間は、特に。

 

「もともと、四十一区に対しては苦手意識があって……いや、違うな……四十一区のことを嫌っていたんだ。父が、リカルドの父親にいじめられているように、幼かったボクの目には映っていたから」

 

 しかしそれは、エステラが見た一面でしかない。

 それが真実でないわけではないが、それだけが真実なわけではないのだ。

 

「だから、リカルドの父親のことは嫌いだった。そして、当然のようにその息子のリカルドも嫌いになった」

 

 着飾ろうとも取り繕おうともせず、エステラは「嫌い」という言葉を素直に口にする。そこには、己の非を認めた潔さが見て取れた。

 

「まぁ、リカルドはもとよりあの性格だからね。父親のことがなくても、反りが合うなんてこと、絶対なかったと言い切れるけど」

 

 ほんの少し自嘲したような笑みを浮かべてエステラが言う。

 まぁ、エステラとリカルドじゃ、たとえ目指す場所が同じであっても、真逆の道と手段を選びそうだからな。

 

「でも、ただ『嫌い』で済んだものを、ここまでこじらせてしまった原因は、きっとボクの方にあったんだ……」

 

 小さく息を吐き、エステラがギュッと唇を噛みしめる。そして、心を決めたように話し始める。

 

「リカルドの父親……四十一区の先代領主が亡くなった時、ボクは葬儀に参列しなかったんだよ……父がね、出なくていいって言ったから。リカルドに対するボクの思いも知っていたし、そういう場で下手な騒動を起こすとマズいだろう? だから、ボクは葬儀には参列しなかった」

 

 父親に行かなくていいと言われれば、それを押して参列しようとは思わないだろう。だが、周りから見たらどう映るか……

 

「それから、新領主の就任の際のお披露目会にも、ボクは参加していない」

「お披露目会なんてするんだな」

「まぁ、堅苦しいのは抜きにして、今後ともよろしくって挨拶するだけみたいなもんだけどね……」

 

 前領主が持っていた縁故を継承するためのものなのだろう。

 それも、領主であるエステラの父親が出席していれば、問題ないと言えばないかもしれんが……

 

「よく考えてみたら、ボクは四十一区の行事に、ことごとく不参加なんだ。……言われてから気付いてるようじゃ遅いんだけど……そりゃ、何度も続けば不愉快にもなるよね……」

 

 そう、些細なこともあまりに続けば不敬に思われる。

 実際、エステラは領主ではないし正式な次期領主という立場でもない。結婚でもしてしまえばエステラの旦那が領主になるわけで、エステラ本人が領主を継ぐとは限らないからだ。

 その程度の立ち位置……そう思えば行事への参加は必須ではないだろう……しかし。

 

「メドラの言う通りだよ……ボクは、領主代行と女を都合よく使い分けていた。中途半端だったんだ……」

 

 領主の娘。

 領主になるかどうかも分からない立場。

 それ故に大目に見られていたことも、領主が病に倒れて臨時で領主の任に就いたことでそうではなくなってきている。

 

「四十二区に街門を作るにあたって、ボクはそれまでのことをなんら考慮に入れていなかった。散々恩恵を受けておきながら、四十一区とは門の向く方向が違うから利用者を奪い合うことにはならないとか、あさってのことばかり書き連ねて……まず最初に言うべき事柄を何も言っていなかった。その上、手紙だけで済まそうとして…………」

 

 四十二区がこれまで授かってきた恩恵――

 

 その一つが狩猟ギルドの支部だとエステラが教えてくれた。

 あれは、四十二区に紛れ込む魔獣を討伐するために、エステラの父が四十一区の先代領主に頼んで設置してもらったものらしい。四十二区がお願いして置いてもらっている状況なのだ。

 支部の連中は四十二区の住民という扱いになっている。

 しかし、四十一区の本部の金で四十一区にある街門を使用している。

 にもかかわらず、ウッセたち支部の者が狩った獲物は四十二区の利益へと計上される。

 四十一区の利益を奪っているようなものなのだ。

 

 それをなぁなぁにしたまま、四十二区は自区に街門を作り始めた。

 エステラが代行ではなく領主を引き継いでいたなら、父親同士が取り決めた約束や決まりも、その時点で、現四十一区の領主であるリカルドと改めて話し合わなければならなかっただろう。

 だが、エステラは代行の立場だった。だから、リカルドも現状のまま特に追及することなく見過ごしていてくれた。

 

 しかし、街門計画を推し進めたのは代行であるエステラだ。

 それならそれで、通すべき筋があるだろうと、いい加減優遇されたままの立場を取り続けるのはどうなんだと、そういう部分を指して『挨拶もない』と糾弾してきたのだろう。

 

「思い知らされたよ。ボクがいかに無知で無責任なことをしていたかを…………今さら気付いても、もう遅いのかもしれないけれど……」

「んなことないだろう」

 

 散々悩んで、とことんへこんで、それを吐き出して少しスッキリしたエステラに、俺は伝えるべき言葉を告げる。

 多少回りくどい言い方になるかもしれんが、今なら伝わるだろう。

 

「多くの者が、そのことに気付くことすら出来ないんだ。気が付いた分、お前は一歩進んだところにいるんだよ」

「……気付かされたんだけどね」

「それでも、まだ救いようはあるさ」

 

 これは下手な慰めじゃない。

 気付きというのは簡単そうでかなり難しい。

 

 世界には多くの人間がいて、その中の一部として生きているようなつもりになってしまう。

 だが、人間は常に一人だ。そばにいる仲間にしたって一対一の関係がいくつもあるだけなんだ。

「みんながやっているから」「みんながそう言うから」「みんな一緒だから」という考えは非常に危険だ。

 

 十年来の友人の輪の中に初対面の者が紛れ込んで、同じように馴れ馴れしくしてきたらどう思うだろうか?

 第三者が見れば理由は明白でも、当事者はそれに気が付かない。多くの場合「なぜ自分『だけ』が冷たくされているのだろう」と戸惑うのだ。

 自分『だけ』という発想に捉われて周りが見えていないから。

 

 人間関係は常に一対一だ。お互いに親交を深め絆を『築き上げていく』ものなのだ。

 それに気付かず周りと同じように行動すれば、必ず摩擦が生じる。築き上げた絆が無いのだから。

 

 エステラは、そこを怠った状態で、片足だけを領主たちの世界に突っ込んでいる状態なのだ。

 四十二区の状況を鑑みれば仕方のないことなのかもしれない。

 他区だって、そこを理解してくれているから、あまり厳しいことは言わずに大目に見てくれている。あのリカルドですら、だ。

 

 だが、四十二区の領主が倒れたのは昨日今日の話ではない。

 もう一年以上の月日が経過しているのだ。

『仕方ない』と言ってもらえる期間はもはやとうの昔に過ぎている。それなのに、四十二区はいまだなんの答えも出さずに、周りの厚意に甘えたままだ。

 これは、現領主であるエステラの父親がきちんとけじめをつけなければいけない問題だ。戻れないなら戻れないで、代理などではなく、正式にその立場を誰かに託さなければいけない。

 それすら出来ない状態にあるというなら、現在代理を任されているエステラが、その判断を下さなければいけない。

 

 メドラが中途半端だと言ったのは、そのあたりのことなのだろう。

 

「まいったよ、正直…………ボクは、自分の欠点を知らな過ぎた……」

 

 まいった。

 その言葉を体で表すように、エステラはぐったりと椅子に身を預ける。

 泣かないのは、俺がいるからかもしれない。

 

 領主のことには、俺は足を踏み入れられない。

 ……なんていう言い訳も、中途半端なことだよな。これだけ、散々、好き放題に、口を挟んでおいてな。

 

 ……俺にも、責任はあるわけだ。

 エステラがこんなにまいっちまった、その理由に。

 

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