二十四区教会の作りは、四十二区とは大きく異なっていた。
こちらは、大人もたくさん住み着いているためか、居住用の施設として機能が充実している。
礼拝堂へ通じる通路とは反対側にはロビーがあり、ラウンジまで備え付けられている。
ホテル……いや、ペンションみたいなノリだな。
そのロビーの向こう側に厨房があり、今まさにジネットたちが料理の仕上げをしていることだろう。
だが、今はそちらではなく礼拝堂へ用がある。そこに、リベカがいるのだ。
「ヤシロさん」
礼拝堂へ向かおうとしたところ、ロビーから声をかけられた。声の主はジネット。
「礼拝堂へご用ですか?」
「あぁ。そっちは?」
「準備万端です。あとは、ヤシロさんの合図待ちです」
「豆腐はどうだ?」
「はい。とても美味しかったです」
「いや、料理に支障なかったかを聞きたかったんだが……食ったのか?」
「は、はぅ……あの、味見です! 味を知らないことには美味しく料理できませんので!」
「…………母の影響か」
「あ、あの、決してそのような…………うぅ、胸を張って反論できません」
ジネットがベルティーナ化しないように祈っておこう。
まぁ、ジネットが味見して美味かったというのなら問題ないだろう。
麻婆豆腐も期待できそうだ。
「ところで……あの、フィルマンさんは、一体何を?」
ジネットと話をしている間、ずっと俺の腰にしがみついて顔を伏せていたフィルマン。
こいつが何をしているのか、俺も是非問い質したい。そして、答えの善し悪しに関係なく一発殴りたい。
「あ、あの、僕は今、神聖なる気持ちでリベカさんのもとへ向かいたいと思っていますので、他の女性の方とおしゃべりしたり、視界に入れたり、そういったことは控えさせていただきたいと……」
わぁ、なにこいつ。怖~い。
「つい乳に目が行ってしまうから自制してるのか?」
「そっ!? そんなわけないじゃないですか!? 名誉毀損で統括裁判所に訴えますよ!?」
「はぅ……名誉毀損……」
ジネットがちょっと泣きそうな顔をしている。
こいつの真意は、「僕はそんな破廉恥な行為をしません! リベカさんの前で不名誉な誤解を与えるような発言は慎んでください!」というところにある。
ジネットの乳を好むことが名誉を傷付けるという意味ではない。
「気にするなジネット。こいつの分まで、俺がガン見してやる」
「懺悔してください」
そういうこっちゃねぇ、みたいな笑顔で言われてしまった。
「あ、お兄ちゃん! いいところにいたです!」
厨房から顔を出したロレッタが手を上げて駆け寄ってくる。
あ、またまた嫌な予感。
「今ちょうど店長さんが席を外しているですから、この隙に聞くですけど、蒸籠って今どこに隠して……はぅわぁ!? 店長さんここにいたですか!?」
「あの、蒸籠って……?」
「なんでもないです! たんぶん空耳です!」
思いっきりここにいるジネットが見えていなかったらしいロレッタ。
お前は、定期的にヒントを与えないと気が済まない病か!?
「ロレッタ……あとでお仕置き」
「はゎゎ……やってもうたです……」
自身の口を両手で押さえ、ロレッタが肩をすくめる。
「……蒸籠ではない、如雨露。ミリィがさっき、如雨露を探していた」
ロレッタのピンチに、マグダが現れる。
が、正直苦しい。
いくら天然クイーン・ジネットといえど、「せいろ」と「じょうろ」は聞き違えないだろう。
――と、思っていたのだが。
「なるほど、如雨露でしたか。わたし、蒸籠と聞き違ってました」
……俺はまだまだ、ジネットを過小評価していたようだ。
お前、すげぇな。『疑う』って言葉、聞いたことないんじゃねぇの、もしかして。
「……ちなみに、ミリィが如雨露を探しているのは本当」
「そうか。じゃあ、あとでソフィーに聞いといてやるよ」
俺にだけ聞こえる声でマグダが補足する。
うまい具合に誤魔化せたもんだ。
「……それで、ヤシロ。その腰巾着はなに?」
「あぁ、これか? とある病気の末期症状だ」
女子が増えたことで、フィルマンはさらにガードを堅くして、俺の服の中に潜り込んでこようとしていた。頭を服の中に突っ込まれている、今の俺。はは。殺意、湧くだろ?
「メンズが好きなメンズですか?」
「それはないから安心しろ」
「……ヤシロはなくとも、向こうは……」
「ないっつの」
こいつは、ある一人の女子のことだけが異常なまでに好きなだけなんだよ。
異常過ぎるくらいに。
「これから、礼拝堂でとある女子とご対面するところだ」
「……むむ、恋の匂いがする」
「これは、是非付いていかなければです!」
なんでお前らまで来るんだよ。
ジネットになんとかしてもらおうと視線を向けると……すっげぇきらきらした目をしていた。
そういや、ジネットも好きだっけな、他人の色恋……
「そっちの準備が終わってるなら、一緒に来ていいぞ」
「終わってます!」
「行くです!」
「……刮目する」
物凄い勢いで食いついてきたので、もう諦めて連れて行くことにする。
なにせ、ジネットが楽しそうだしな。
見るくらい、好きにさせてやるさ。
「ほれ、腰しがみつき小僧。しゃんとしろ。そこのドアの向こうにいるんだぞ」
「この、ドアの向こうに……っ!?」
俺の言葉に、フィルマンはシャキッと背筋を伸ばし、まっすぐにドアを見つめる。ただし、腰から離れた後も、俺の服の裾をちょっと掴んでやがる。……甘えんな。
「覚悟を決めろ」
ヒジで小突くと、フィルマンはよろめきながら俺から離れる。
一度大きく息を吐いてから、フィルマンがドアの前に立つ。
このドアを開ければリベカがいる。
さぁ、ケリをつけに行くぞ。
緊張して、両手をぐっと握っているフィルマン。
ドアは俺が開けてやるか。
三歩ほど下がって、ジネットたちが事の成り行きを見守っている。
ドアノブに手をかけ、ゆっくりと開く。
キィ……と、乾いた音がして、礼拝堂の空気が漏れ出してくる。木と絨毯とろうそくの香りがほのかに漂う。
ドアは礼拝堂の側面に繋がっている。
表から入る正門ではないので、こんな場所から出るのだ。
並んだ木製のベンチの間を通り、礼拝堂の中央通路へ出る。結婚式の際、いわゆる「ヴァージンロード」とか呼ばれるあの通路だ。赤い絨毯が入り口から、正面奥の祭壇までを繋ぐように敷かれている。
「あ……っ」
思わずといった雰囲気で、フィルマンが声を漏らす。
ヴァージンロードの先、祭壇の前に、リベカが立っていた。
微かに漏れたフィルマンの声を聞いたのか、リベカの耳がピンと立っている。
もし……これで、リベカの思い人がフィルマンじゃなかったらジ・エンドだな。
笑い話にもならない。
ヤバ……ちょっと、緊張してきた。
礼拝堂の中の空気はピンと張り詰めていて、呼吸が少々困難に感じる。
俺の後ろで、ジネットたちも息を飲んでいる。
よくしゃべるロレッタでさえ、一言も発しない。
祭壇の前にはリベカ。
そして、祭壇の脇――壁際にバーサと、殺気混じりのオーラを身に纏ったソフィー。
……ここの空気が張り詰めてるの、あいつのせいじゃね?
しばし見つめ合う、フィルマンとリベカ。
前回は、フィルマンのことを認識していなかったリベカだが、今回は違う。
俺が事前に「囁き王子が来る」と知らせておいたのだ。きっと察しているのだろう、こいつがそうであると。……そうであってほしいところだ。
いや、マジで違ったらどうしよう。
とにかく、さっさと告白して答えを教えてほしいところだ。ここばっかりは俺に出来ることがない。待つしかないのは精神的によろしくない。
ここがうまくいけば、あとは俺がどうとでも出来るのだ。
なので、ここさえ乗り切れば……
さっさと告白すればいいのに、フィルマンは見惚れているのかぴくりとも動かない。
この際、告白じゃなくてもいい。フィルマンが一言でもしゃべれば、リベカの顔に変化が現れるはずだ。それを読み解けば答えが分かる。
さぁ、何かしゃべれフィルマン!
『高鳴る胸は、まるで竜巻にさらわれた麦わら帽子のように……』
なんか、一心不乱に書き始めてるぞ、あのヘタレ!?
「書くな! しゃべれ!」
即座にノートとペンを没収する!
こういう大事なことは自らの口で、自分の言葉で伝えるものだ!
だから、そんな恨みがましい目をこちらに向けてもノートは返さん!
「根性見せろよ、フィルマン!」
近付いて小声で発破を掛ける。
一言「好きだ」と言うだけでいいのだ。ここで男を見せずにいつ見せる!
しかし、フィルマンは煮え切らない。
口を開けたり閉じたりするのに、声が一切出てこない。
このヘタレめぇ!
「ずっとリベカのことを考えていたんだろ? その気持ちを素直に告げてくればいいんだよ!」
歯を食いしばって、フィルマンが首を横に振る。
「恥ずかしがってる場合か!」
一層激しく首を横に振る。
「緊張しててもいい、下手でも不格好でもなんでもいい! 一言気持ちを伝えてこい!」
それでも首を横に振るフィルマン。
「なんで言えないんだよ!?」
「だ、だって、今日のリベカさん、いつにも増してめちゃくちゃ可愛いじゃないですか!」
「にゃふんっ!?」
リベカが爆発した。
あぁ、よかった。
囁き王子、フィルマンで間違いなかったようだ。
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