「すごーい!」
「かんたーん!」
トムソン厨房へ赴き、皿と料金早見表の使い方を教えてやると、カウとオックスは目をきらきら輝かせて喜んだ。
随分と肉の重量の微調整が負担になっていたようだ。
客からのプレッシャーとか、すごそうだしな。
「喜んでもらえてよかったね、テレサ」
「うん! えいゆうしゃーと、りょーしゅしゃーと、てんちょーしゃーのおかげー!」
「俺のおかげだろ」
「お金出したのはボクだよ。それに、ジネットちゃんがこれから盛り付けを指導するわけだし。それとも、手柄を独り占めして感謝を独占したいのかい? なんなら『ヤシロはすごくいい人だ』って触れ回ってあげようか?」
「やめろ。営業妨害だ」
詐欺師に『いい人』なんてイメージが付いたら……まぁ、仕事はやりやすくなるか。
いや、しかし、四十二区だからなぁ。
ここの連中ことごとくバカばっかだから、ちょっといい人ぶるとす~っぐに人を頼ってきやがる。うん、やっぱ迷惑だな。
やめてもらおう。
「そういえばエステラ。もうちょっと金残ってるよな?」
「……他に何をしようって言うのさ?」
「美女のヌードを描いた皿を作ってだな、見えちゃイケないところを隠すように肉を盛って提供すると、一枚食べるごとに『いゃ~ん』な楽しさが……」
「さぁ、ジネットちゃん。そろそろ始めようか。あ、テレサ、この変なオジサンには当分近付いちゃダメだよ」
誰が変なオジサンだ!
こっちは大真面目に……、絶対需要あるのに!
陽だまり亭で取り入れようかなぁ。
そんな一大事業について考える俺を他所に、ジネットがガゼル姉弟に向かって話を始める。
「ではみなさん、まずは『一人前』の見栄えを整える練習をしましょう。同じ重量でも、六切れと五切れではやはり見栄えが異なりますから」
これまでも、なるべく均一な大きさ、厚さになるようにカットする練習をしてきていたらしいが、今後はそれがさらにシビアになる。
六切れで100グラムになるように調整しなければいけない。一枚あたり、約16~17グラムだ。
「これくらいでおおよそ16グラムくらいかと…………ね?」
手本にと、肉の塊から薄く肉を切り出したジネット。
薄切りの肉を秤に載せると、ぴったりと16グラムだった。……お前、すげぇな。
「まずは16グラムを覚えてもらいますが、それ以外の重さにも切れるようになることが理想です。ね、ヤシロさん?」
「あぁ。今後、仕入れ値の変動に合わせてグラム数を調整すれば、値上げ感を出さずに利益を守ることも出来るからな」
たとえば、肉の値段が高騰したら、一枚あたりの肉の重さを減らして盛り付ければ、見た目は六切れのまま、肉全体の量は抑えられる。
客に値上げしたことを悟られにくい値段調整だ。
だが、まずは16グラムを完璧にマスターしてもらう。
「一皿は、なるべく六切れにしておくといい」
「それはどうしてなんだい、ヤシロ?」
「そうすりゃ、二人で来ても三人で来ても同じ枚数で分けられるだろ? ケンカになりにくいんだよ」
「あぁ、なるほどねぇ」
「テメェ、なに一枚多く食ってんだよ!」なんてのは、ケンカの定番だ。
六切れなら、そういうトラブルが起こりにくい。
もし、四人で来たら?
そんなもん、二皿頼んで十二切れにしろよ。一皿を四人で突っつくようなみみっちいマネすんな。利益が上がらねぇんだよ。金を落とせ、金を。
「では、お肉をカットして、盛り付けの練習をしてみましょう」
「「はーい!」」
元気よく返事をするガゼル姉弟。
カウがカウンターの中へと入り、包丁を構える。
……って、おいおい。
「カウが切るのか? レーラは?」
「お母さんは……」
「今、ちょっと……」
言葉を濁すガゼル姉弟。
レーラに何かあったのか?
店内を見渡すと、カウンターの奥の方のカベに寄りかかるようにしてレーラが座っていた。床に。
具合でも悪いのかと思ったのだが……目がココジャナイドコカへ行ってしまっている。口元は半笑いだ。……なにやってんだ、あいつは?
「おい、レーラ。今日からこの皿を実装するんだから、お前もちゃんと話聞いてろよ。つか、肉を切るのはお前の仕事だろう」
「……はふぅ…………大きな、手……だったなぁ…………うふゅふゅふゅ」
怖い怖い怖い!
なんか笑い出したぞ!?
「お母さん、すごく嬉しかったみたいで……アレからずっと手を洗っていないんです」
「……です」
「はぁっ!?」
アレからって……え、嘘だろ? ハロウィンから?
一体何日経ったと思ってんだよ?
「手、だけ……か、洗ってないの……?」
「い、いえ……あの…………全身……。入浴すると、手が濡れるからって……」
「からって……」
「不衛生!」
ばっちぃ!
すっげぇばっちぃぞ、ここのオーナー!
「なに考えてんだ、レーラ!? 生肉を扱う店の店主がそんな不衛生でどうする!? 集団食中毒でも起こさせる気か!?」
「大丈夫です! あの日以来、私はお肉に触っていませんから!」
「別の意味で大丈夫じゃねぇわ!」
じゃあなにか?
ハロウィン以降、ずっとカウが肉を切ってたのか?
計算が困るからって微調整してたのはカウか?
客からの圧を一身に受けていたのはカウなのか!?
てめぇ、こら、一回表出ろ!
そのひん曲がった性根、叩き直してやる!
「エステラ。強制的に風呂に入れるぞ」
「そうだね。……ちょっと、これは見過ごせないね」
「待ってください! まだっ、まだこの手にはあの人の温もりが残っているんです! せめて……せめて、この次あの人に会える日まで待ってください!」
「来年じゃねぇか!?」
「丸一年体を洗わないつもりなのかい、君は……?」
「体を洗わないくらいでは、人は死にません!」
「お前はな! けど、この店の客が大量死する可能性があるんだよ!」
「お客の命とあの人の温もり、どちらが大切だと言うのですか!?」
「客のイノォォーーチっ!」
「人でなしですか!?」
「いや、レーラ……それは、君の方だよ……この場合はね」
両目に涙を溜めて、必死の形相で抗議してくるレーラ。
こいつ、マジだ……
マジで手を洗わないつもりだ…………
「店が潰れてもいいのか?」
「ウチの子たちは優秀です!」
「旦那と約束したんじゃないのか? この店を守るって!」
「いえ。『よく頑張ったな』って褒められただけです。えへへ」
えぇい、汚い手で汚い頭を搔いて照れるな!
アノ旦那も、テメェの嫁の属性知ってるなら「死ぬ気で働け!」くらい言い残して消えやがれ!
「こうなったら仕方ないね、ヤシロ……」
「ん?」
「君が抱きつけば、きっと『ばっちぃ!』ってお風呂に飛び込むと思うよ」
「お前さ、エステラ……そんな、俺のハートを抉り取るような解決策しか思い浮かばなかったわけ?」
こっちこそが願い下げだわ、こんな何日も風呂に入ってない女に抱きつくなんて! 乳もさほどないのに!
とはいえ、あの手に旦那の温もりとやらが残っている間は洗いそうにないのも事実だ……なら、手のひらに触れるくらいはした方がいいのかもしれない。
「よぉし、じゃあこうしよう。自主的に全身を洗わなければ、俺はレーラと握手をする」
「イヤです! 死んでもイヤです!」
「じゃあ死ぬ気で体を洗ってこい!」
「それもイヤです! この手の温もりは、水に触れると消えてしまうような繊細なものなんです!」
「じゃあ俺と握手だ!」
「いやぁぁあああ! 汚されるぅぅうう!」
「今現在、思いっきり汚れてんだよ、お前は!」
このバカ女……ガゼル姉弟が見てなければケツの一つも蹴り飛ばして水を張ったたらいに叩き込んでやるのに……っ!
「では、わたしと握手しませんか?」
俺を助けるつもりで提案したジネット。
だが。
「……私から、あの人の温もりを奪うおつもりですか? やはり陽だまり亭さんはあの人のことがっ!」
「すみません、差し出口でした!」
ジネットが素直に謝った。そして俺の背後に身を隠した。
多少は学習したようだ。こーゆー人に絡まれたら即撤退するべきだということを。
ジネット、その握手は悪手だったな。
「れーらおかーしゃ、ちれぃちれぃ、のほうが、きもちぃ、ぉ?」
「違うのよテレサちゃん。あの人の温もりの方が尊いの。むしろ、あの人に汚されている感じが服従感があって逆に気持ちいいのよ」
「よし、一旦ガキどもを避難させようか」
なにを口走ってやがるんだ、この駄母は。
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