「なぁ、自分。ちょっとえぇやろか?」
川の中程でジネットに『クラゲ』を教えていたところへ、レジーナがやって来た。
キャラにない、深紅のビキニを身に纏って。
「そーゆー話ちゃうねん。視線上げぇ!」
谷間をガン見する俺の顔に水がかけられる。
川はイカンな。全方位が武器になる水でいっぱいだ。
とはいえ、水がなければ水着にならないわけで……なるほど、これが谷間のジレンマというヤツか。
「……哲学、だな」
「絶対哲学ちゃうから、話聞き」
言いながら、ジネットが作ったまぁるく膨らんだタオルへ視線を落とすレジーナ。
「擬似おっぱいか?」
「そーゆー話をしに来てんじゃねぇかよ」
こいつは『クラゲ』だ。
マグダ的には『ぷくぷく魔獣』らしいがな。
「ちょっと真面目な話、えぇか?」
「あ、ではわたしは席を外しますね」
「あぁ、えぇねん。店長はんも聞いといてんか。……たぶん、必要になるやろうし」
少しだけ沈んだ表情を見せ、レジーナの視線が川岸へと向かう。
視線を追えば、川岸でロレッタと休憩しているマグダがいた。
「マグダさんに関係するお話、ですか?」
「まぁ、直接的ではないんやけど……」
今、この川の中腹には俺たち三人しかいない。
泳ぐ者、潜る者、休む者、それぞれがそれぞれの時間を過ごしているが、この辺りだけがぽっかりと無人になっている。
そのタイミングを狙ってきたのかもしれない。
「トラの娘はんの両親、バオクリエアにおるんやって?」
らしくもなく、真剣な、険しい目をしてレジーナが問う。
そんなにキナ臭い話なのか?
「確証はないが、バオクリエアへ向かったって話だ」
「それで、戻って来ぉへんのやね?」
「……今は、まだな」
戻ってこないわけじゃない。
マグダがそう信じている以上、俺もそれを信じていてやるつもりだ。
「そうか……」
呟いて、考え込むレジーナ。
俺とジネットは次の言葉を待った。
『クラゲ』があげる、ぷくぷくという水音だけが耳に届く。
「聞けば、えらい物々しい体制でバオクリエアに向こぅたらしいな?」
「要人警護だったって聞いてるぞ。それで、腕の立つ狩人だったマグダの両親が同行したんだと」
「海路で?」
「そう言ってたな」
マグダが以前、両親が通ったのは三十五区の街門だったと言っていた。
「三十年くらい前かぃな?」
「んなわけねぇだろ。マグダが子供の頃だから、四~五年前じゃねぇか?」
「さよか……」
そうして、また黙り込む。
一体何が言いたいのか……
「何かおかしいのか? 危険な旅程だから腕利きの狩人を護衛に雇ったんだろ?」
街門の工事の時も、狩猟ギルドに護衛を依頼していた。
連中は腕が立つから、安心して任せられる。
「確かに、陸路やったらそれも頷けんねん。途中の森はかなり危険やし、山脈越えでは毎年犠牲者も出とるくらいやしな」
そんな険しいのかよ……
そりゃ香辛料の値段も跳ね上がるわな。
「言ぅても、腕に覚えがある者やったら、通ってこれる道や。商人らぁはキャラバンを形成して、傭兵を雇ってこの街まで来とるんやろう」
「海路の方が安全なのか?」
「せやね。高いけどな。八倍くらい」
高っか!?
十万の物が八十万になっちまうな、そんな輸入路を使えば。
だから、商人たちは危険でも陸路で来るのか。
……あれ?
そういや、俺がこの世界で初めて出会った鎧姿の商人……えっとたしか、ノルベールだっけ? ……あいつは、従者と二人旅だったよな?
つーことはなにか?
あいつは傭兵いらずの強いヤツだったのか?
狩猟ギルドに護衛を頼まないといけないような旅程を一人で走破できるような?
うっわ、怖っ。
知らぬが仏ってマジだな。
今なら、そんなヤバいヤツにちょっかいかけたりしねぇよ、絶対。
メドラを騙してブチ切れられたら……とか、考えるだけで恐ろしいもん。
メドラじゃなくったって、アルヴァロやグスターブ、ウッセですら危険だもんな、か弱い俺からすれば。
「まぁ、今はキャラバンが乗り合い馬車も兼ねとるさかい、一般人でも比較的安全に行き来できるんやけどね」
「それなら、安心ですね」
誰がバオクリエアへ行くでもないのに、道中の安全が確保されたことに安堵の息を漏らすジネット。
行かねぇよ、そんなおっかない道を越えてまで。
「一方の海路は、魔獣が出る森もなければ険しい渓谷もあらへん、のんびりした旅程や。日数も四分の一くらいで済むしな」
それはすごい。
一ヶ月かかるところを一週間で着けるわけだ。
四日なら一日で、丸一日で着くなら六時間で着けるわけだ。
そりゃ八倍も料金ふんだくられるわな。
「海路は安全なんですね」
「身分をしっかりチェックされるさかい、悪人も乗り込めへんしな」
「じゃあ俺、乗れねぇや」
「バオクリエアにまで轟くような悪事を働く気ぃなんか? 大概にしときや、自分」
くつくつと笑って、すぐに表情を引き締める。
「その安全な海路を使うのに、なんで狩猟ギルドの凄腕の護衛が必要やったんか、っちゅう話やねん」
レジーナが言うには、三十年前までは航路に巨大な海の魔獣が出没していたらしいが、バオクリエアとオールブルームの連合軍と、人魚の精鋭の手によって魔獣は退治されたのだそうだ。
それ以降は安全な航路で、海賊に備えて兵士は常駐しているものの、そこまで大きな事故や事件は起こっていないらしい。
安全な海路。
そこに駆り出された狩猟ギルドの凄腕狩人。
そして、その者たちは誰一人として帰ってきていない。
「バオクリエアはな、もう十数年、後継者争いで揉めとんねん」
バオクリエアには王子が二人いて、第一王子派と第二王子派で二分されているらしい。
強硬派である第一王子派の勢力が若干強く、穏健派の第二王子はそこそこ不利な立場に立たされているということだ。
とはいえ、52:48くらいの勢力図で、すぐさま押し切られるようなパワーバランスではないらしい。
が、逆に言えば逆転するのも難しいということだろうな。
そんな膠着状態が十数年続いている。実にキナ臭いお国事情だ。
そんな国の『要人』の警護を、狩猟ギルドの凄腕に依頼したとなれば――
「警戒していたのは魔獣ではなく、反対勢力か」
「おそらく、せやろぅね。他国で暗殺されたとなれば、オールブルームのせいにも出来るし……第一王子やったら、それを契機にオールブルームに侵攻せよくらいのことは言いかねへん」
その言い方で、レジーナが第二王子派であると分かった。
派閥に属しているかどうかは別として、心情的に第二王子の心証がいいのだろう。
「それをさせないために、狩猟ギルドは万全の対策で挑んだんだろうな」
「マグダさんのご両親が、この街の平和を守ってくださったんですね」
ジネットの言ったことは大袈裟ではない。
暗殺計画が遂行されていれば、二国間の戦争が始まっていた可能性は高い。
そうなっていないということは、暗殺は未然に防がれたということだろう。
「けど、もしそうなら……」
「目ぇ、付けられたやろね。『邪魔者』や、って」
ジネットが息をのむ。
警護を全うし、要人を無事に送り届けた後、彼らはどうなってしまったのか。
どちらの派閥であろうと、一国の半数近くが敵になるのだ。何事もなく街から出るのは難しい。
「幸いにして、まだ国王は健在や。あの方がおる限り、王子たちは派手にドンパチでけへん。陰でこそこそ相手の勢力を削ぎ合うんがせいぜいや」
へぇ。
レジーナに信頼されるとは、なかなかやるな国王。
口調から察するに、レジーナの信頼が最も厚いのは国王ってわけだ。
もしかしたら、オールブルームが平和でいられるのは、その国王の存在が大きいのかもしれないな。
この街の王族は、戦争になれば獣人族や外周区の領主たちを矢面に立たせそうだし……マジでそうなりそうだな。
めっちゃ長生きしてくれバオクリエア王。息子よりも長く生きてくれて構わない。いや、是非そうしてくれ。
「なんにせよ、無事であってほしいな……トラの娘はんのご両親には」
ちらりと、レジーナがマグダを見る。
魔獣よりも、よっぽど危険で恐ろしいモンを敵に回しているようだな。
マジで、無事でいてくれよ。
でないと――
外国に出張って王族解体なんて大仕事をしなきゃいけなくなっちまうからな。
「知らせてくれてありがとよ」
「この話、トラの娘はんにするかどうかは、自分らぁに任せるわ。ウチには判断でけへんかったさかいに」
「おう」
けどまぁ、たぶん。
「折を見て、きちんとお話ししましょう。マグダさんには、知る権利がありますから」
心配をさせるだけかもしれない。
不安がらせるかもしれない。
それでも、強くなった今のマグダなら……
「知らせなきゃ、あとで拗ねるだろうしな」
「それは大変ですね。拗ねたマグダさんは可愛いですけど、機嫌を直していただくのは大変ですから」
ジネットをもってしても、拗ねマグダには手を焼くのだ。
ちゃんと話して、そして気持ちを整理する手伝いをしてやればいい。
幸い、明日から豪雪期だ。
そばにいて、ゆっくりと話をする時間はいくらでもある。
せいぜい甘やかして…………やるんだろうな、ジネットが。
俺じゃない。それは俺の仕事ではない。ジネットの役割だ、うん。
「カタクチイワシ! 体が冷えた。大浴場とやらでもてなすがよい!」
「おい、誰だ。ルシアに風呂の話したの?」
「うふふ。今日も大浴場は大盛況になりそうですね」
「……さすがに湯冷めすると思うけどなぁ、三十五区に帰るまでに」
「髪の毛をしっかりと乾かしてから帰られればいいのではないですか?」
「はぁ……まぁ、自己責任でいいか」
風邪を引いたとしても、どうせ豪雪期だ。
数日寝込んでも問題ないだろう。好きにさせておく。
「それじゃ、そろそろ帰るか」
「そうですね。空も、少し落ち着いた色をし始めましたし」
まだ赤くはないが、直にそうなるだろう。
あ~ぁ、今年の水着も見納めか。
「来年は、レジーナがどんなビキニを着るのか、楽しみだな」
「アホ!」
ばしゃっと水に肩まで浸かって、水着を隠すレジーナ。
首から上だけを出して、恨みがましそうな、少し赤い顔をして呟く。
「来年は、おヘソが出てへんヤツにするわ」
ジネットと顔を見合わせて、思わず笑ってしまった。
そうかそうか。
来年も参加する気があるのか、お前は。
川から上がって後片付けをして、「最後にもうひと泳ぎ!」って連中を残して、俺たちは陽だまり亭へ帰った。
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