「でだ、ベッコ」
「なんでござろう」
こっからが本題だ。
「お前は、彫刻以外でも、このクオリティのものが作れるか?」
「このクオリティ…………その英雄像のような出来栄えという意味でござるか?」
「そうだ」
「無論でござる。拙者、実を申せば彫刻はまだ始めたばかりで熟練度は最も低いでござる。手前味噌ではござるが、絵や粘土細工の出来栄えはこの比ではないでござる」
「だったら、今回彫刻にこだわったのはなぜだ?」
「それはその…………拙者、稼ぎが無い故……粘土や絵の道具を買うことが出来ず……」
「この蝋はどうしたんだよ?」
「それはウチに大量に余っていたものでござる故、お金はかかっておらんでござるよ」
蝋が大量に余っている家?
こいつの家は何をやっているんだ?
「拙者の父は、この区で養蜂を行う者でござる」
「養蜂……ハチミツか」
ってことは、こいつは蜜蝋ってヤツだな。
「それで少し黄色いのか」
蜜蝋は、蜂が巣を作る際に体内から分泌する成分を集めたものだ。
ハチミツを取り終わった蜂の巣を湯煎で溶かし、不純物を取り除いて作られる。全体的に黄色がかっているのは、蜂が運んでくる花粉が混ざっているからだ。
「もっと精製をすれば、白くすることも可能でござる」
「その蜜蝋が、『大量に』余っているんだな?」
「いかにも! 売り歩く程でござる。……もっとも、売り歩いたところで誰も買う者はおらぬでござるが」
この世界の明かりは基本的にランタンであり、その燃料となるのはオイルやアルコールだ。
この世界ではあまりロウソクは見かけない。
だから、蜜蝋も需要がないのだろう。
…………なら、そいつを俺が有効に利用してやろう。
「ベッコ! お前は芸術家になりたいのか?」
こいつにとって今後の人生を左右するかもしれない、そして四十二区と陽だまり亭にとってとても重要になる質問を投げかける。
これの回答いかんによって、ここにいる全員の未来が大きく変わる。
「芸術家となり、作品が認められ、世界中から称賛を浴びるのがお前の夢なのか?」
「……芸術家となり……称賛を………………」
ベッコがまぶたを閉じ、アゴをスッと上げる。
まぶたの裏に、芸術的な作品を作り上げ、世界中から称賛される己の姿を想像しているのだろう。
その割には、表情が優れない。
なら……
「それとも、己を曲げず、目先の欲に揺るがず、本当に作りたいものを、全力で、感情の赴くままに、己のすべてをかけて作り続けていくことがお前の夢か!?」
「――っ!? ……己を曲げず……本当に作りたいものを…………」
ベッコの全身が小刻みに震え始める。
閉じたまぶたの裏には、どんな光景が見えているのだろうか……
「せ、拙者は…………」
ベッコの目尻から一筋の涙が零れ落ちる。
「金のため、名声のために、芸術と呼ばれるものに迎合し、己を捨てるなど到底できぬでござる! 拙者は誰になんと言われようと、拙者自身が納得したものを、この手で! この手で作り続けていきたいでござる! それが、拙者の唯一無二の夢でござるっ!」
これで、こいつの迷いは吹っ切れただろう。
夢を追いかけることはつらい。
他の人とは違う道を歩いているという自覚があるからこそ不安になり、行き先を見失いがちになるのだ。最初に目指した場所から目を逸らし、安易な道に逸れ、それっぽいだけの紛い物を目的地だと思い込もうとしてしまうのだ。
そいつが挫折の正体だ。
夢を掴みたいなら、迷いを捨てなくてはいけない。
ベッコだって最初は分かっていたはずなのだ。己の夢がなんなのかを。
しかし、時が流れ、環境が変わり、周りからの目も冷たくなり……いつしか目的地を見失ってしまう。
そして、自分はもう、この道を歩けないのではないかと思い始めるのだ。
名声を得られれば、金が稼げれば、もう少しここに留まれる気がして……道を踏み外す。逸れてしまう。
そして、逃げ出した自分に言い訳を始める。
ベッコは、まさにそんな最中にいた。
だが、今目が覚めたはずだ。
金が欲しくて始めたわけじゃない。認められるならそれに越したことはないが、そのために自分を曲げ、偽るのは違う。絶対違う。
こいつは今、そのことに気が付いた。気が付いてしまったというべきかもしれん。
こいつはもう、後戻りは出来ない。
気が付いてしまった以上、前に進む以外に選択肢はなくなったのだ。
悩み、堕ち、迷走していた頃の自分になど、戻りたいはずがないからな。
「ベッコ。俺がお前に生きがいを与えてやろう」
「……え?」
そうだな。
こいつはベッコに夢の行く先を気付かせてしまった俺にも責任がある。
ならば、俺に出来ることはしてやらねばならない。そうは思わないか? なぁ?
「芸術的な感性がなく、見たものを見たまま形にするしか出来ないが故に世間からは認められず、だからといって自分の磨き上げた腕を捨てることすら出来ない、もどかしくも難解な道を突き進むお前に、俺が一条の光を見せてやる」
「お…………おぉ…………英雄が…………またしても拙者の標となってくれるというのでござるか!?」
んな、大袈裟なことじゃねぇ。
ちょ~っとしたお仕事を依頼するだけだ。
「ヤシロ……君、今度は何をする気だい?」
訝しげな瞳を向けてくるエステラに、俺は会心の笑みをもってそれに応える。
勝者の余裕が滲み出した、勝利の笑みでな。
「こっちの準備が出来次第、四十二区にご招待する木こりのお嬢様に伝えておいてくれ」
「準備って、何をする気なんだい?」
「お前は大通りの清掃と飾りつけ、その他四十二区の領民にあれこれやらせる手筈を頼む。切り札はこっちで用意するから」
「大丈夫なんだろうね? イメルダの視察は一度きりだよ? これで失敗したら……」
「なぁに、心配すんなって!」
眉間にシワを寄せるエステラの背中を叩き、俺はきっぱりと言い切ってやる。
「任せておけ。全部まるっと解決してやる」
ジネットの手料理と、水洗トイレ、そして――
この恵まれない天才芸術家のベッコ・ヌブーを使ってな。
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