異世界詐欺師のなんちゃって経営術

分割版π(パイ)
宮地拓海
宮地拓海

【π限定SS】わたしはここにいる

公開日時: 2021年2月16日(火) 20:01
文字数:3,988

 ヤシロさんがいなくなるのではないか。

 

 

 そんな気がして、わたしはここ数日ずっと不安を抱えていました。

 

 最初に違和感を覚えたのは豪雪期が終わったころでしょうか。

 その時は、少し気になった程度でわたしもそこまで深く考えはしていなかったのですが、ヤシロさんが来年の話をはぐらかされたんです。

 

 大盛況に終わったかまくらカフェ。

 雪遊びもとても楽しくて、また来年も同じように雪で遊びたいですねとお伝えしたんです。

 その時にヤシロさんは、「来年は雪が降るかも分からねぇぞ」と、そうおっしゃったんです。

 その時はわたしも、「そういうこともあり得ますよね」と納得し、そのお話はそこで終わりました。

 

 その次は年明けでした。

 みなさんで『すごろく』をして、年越しを一緒に過ごして、こんな素敵な一年の始まりを迎えられたことを嬉しく思っていたわたしは、ヤシロさんに「今年もよろしくお願いします」とご挨拶をしました。

 その時は「あぁ、よろしくな」と言ってくださったのですが、その後です。

 

 多くの方に好かれているヤシロさんですから、年明け早々たくさんの方がヤシロさんに会いに来られました。

 その中で、ヤシロさんは頑なに『先の約束』をはぐらかしていたんです。

 

「来年は餅つきをもっと広めよう」

「またヒラールの葉を取りに行きましょう」

「猛暑期には新しい水着を売り出しましょう」

「豪雪期になったらかまくらの作り方を教えてね」

 

 そんなみなさんの言葉に、ヤシロさんは――

 

「気が早ぇよ」

 

 ――と、苦笑いを浮かべるだけでした。

 

 その時、じわりと、胸の奥に嫌な想像が浮かんだんです。

 そしてそれは、日を追うごとに大きくなり、重く、この胸に圧し掛かってきました。

 

 

 

 ヤシロさんが、いなくなってしまうかもしれない。

 

 

 

 それは、わたしにとっては耐え難い恐怖でした。

 陽だまり亭がここまでやってこられたのは、間違いなくヤシロさんのおかげです。

 多くの方が顔を出してくださり、食事をして、美味しいと、また来るねと言ってくださるのは、ヤシロさんがいてくださるからこそです。

 みなさんが笑顔なのも、四十二区がこんなに明るい街になったのも、みんなみんな、ヤシロさんのおかげです。

 

 そして、わたしが今、毎日をこんなにも穏やかに、楽しく、幸せに過ごしていられるのも、ヤシロさんがそばにいてくださるからなんです。

 

 そんな不安が膨らみ、穏やかに日々を過ごしていても、ふとした拍子に恐怖が顔を覗かせました。

 ヤシロさんが席を立つ瞬間に――もし、このまま陽だまり亭のドアを出てどこかへ行ってしまったら……

 ヤシロさんが他所の区へ出かけられる時――もし、このまま帰ってこなかったら……

 

 そんな妄想は徐々に悪化していき、ヤシロさんが自室へ戻られるだけでもわたしの胸をかき乱しました。

 

「ここにいてください」

「どこにもいかないでください」

 

 そんなことを言う権利は、わたしにはありません。

 分かっていますが、それでも心は勝手に騒ぎ出し、体は勝手にヤシロさんを追いかけてしまったのです。

 

 

 それが――

 

 

 こんなにもヤシロさんを追い詰めることになるなんて、気付きもしないで。

 

 

 わたしは、気付くことが出来たはずなのに。

 試合の前日、メニューとしてウサギさんリンゴを出すと聞いた時、イヤな予感が胸をよぎったんです。

 それなのに、ヤシロさんの「これ以外に勝つ方法はない」という言葉に、わたしは反論できませんでした。

 ヤシロさんには何か考えがあるのだと。

 それはきっと、わたしの考えも及ばないような高尚なことなのだと、考えることすら放棄して……

 

 試合が行われる前、ヤシロさんと言葉を交わしたというのに。

 その時ですら、わたしはヤシロさんの考えを見抜くことは出来ませんでした。

 見抜くどころか、わずかに感じることすら、出来ませんでした。

 

「大丈夫だ」と笑うヤシロさんのお顔に、どこか安心すらしていたんです。

 ヤシロさんが、この世界の誰よりもお優しい方だと、知っていながら……

 

「ジネット。お前はひたすら料理を作り続けてくれ。そして……なるべく、俺のことは見ないでくれ」

 

 そう言ってわたしの体を反転させ、それ以降目を合わすことはありませんでした。

 そんなこと、これまでは一度だってなかったというのに、わたしは……この時点でもまだ、自分のことしか……見えておらず…………っ。

 

 

 ヤシロさんの勝利を、ただ祈ってしまったのです。

 

 

 勝利よりも、もっと大切なものがあることを、失念して――

 

 

 

 鈍感なわたしがそれに気が付いた時には、もう手遅れでした。

 会場中の罵声がヤシロさんへ向かい、数十、数百という悪意がヤシロさんただ一人に襲いかかっていました。

 心無い暴言を浴びせられ、本当のヤシロさんを知らない人たちに誤解され、それでも、孤立無援でも力強く舞台に立ち、なんてことないというように笑みを浮かべて……ヤシロさんは一人で戦っていました。

 

 わたしは、あの顔を知っています。

 わざと人を遠ざける時に見せる、ヤシロさんらしくないあくどい表情。

 でもその裏には、ご自身のそばにいる者を危険から遠ざけようとする優しさが、誰も傷付けまいとする思いやりが込められているのです。

 

 誰よりも器用で、誰よりも優しいヤシロさんだからこそ、その巧妙な演技に気が付く者はいません。

 まるで、本心から悪意をまき散らしているように見えるのでしょう。

 

「違うんです」と、「ヤシロさんはそんな人じゃありません」と、叫びたかった。

 けれど、なぜヤシロさんがそのような態度を取られているのか、……こんな方法を選ばれたのか、少し考えれば分かります。

 

 わたしが、自分のつらさ、息苦しさから逃れたいがためにヤシロさんの計画を壊すような真似は出来ません。

 

 だって……

 

 

 ヤシロさんにこんな方法を取らせてしまったのは、他でもない、わたしなのですから。

 

 

 わたしが弱いから。

 すべてをヤシロさんに任せて……重荷をみんなヤシロさんに背負わせてしまっていたから……っ!

 

 だから、ヤシロさんはたった一人でこんなに重過ぎる責任を背負い、そして確実な勝利のために悪役を演じているんです。

 わたしの、独りよがりな思いのせいで……

 

 ヤシロさんが、気付かないわけがなかったんです。

 わたしが寂しがっていることに。

 そして、優しいヤシロさんは、そんなわたしに安心を与えてくださるんです。いつでも、どんな時でも。

 それに甘えて、わたしは……っ。

 そのせいで、ヤシロさんは……っ!

 

 

 涙で世界が歪み、見ていられませんでした。

 それでも、決して目を逸らさず、ヤシロさんの戦う姿をまぶたに焼きつけました。

 

 この苦しみは、わたしが生み出してしまったものだから。

 

 

 試合終了の鐘がなり、ヤシロさんの宣言通り四十二区が勝利しました。

 

 ヤシロさんが、四十二区に勝利をくださいました。

 その身を、傷だらけにして。

 

 

「まっ! 俺にかかればこんなもんよ! はっはっはっ! チョロいチョロい!」

 

 

 傲慢に笑い、胸を張って、堂々と数百人の観客にたった一人で相対する。

 それが、どんなに大変なことか……

 

 

「あ~、しかし、リンゴは大量に食うもんじゃねぇな。悪い、ちょっとトイレ行ってくるわ」

 

 

 そう言って遠ざかっていく背中が、とても小さく、遠く見えて――

 

 

「待ってくださいっ!」

 

 

 わたしは必死に叫びました。

 震える胸を押さえて、今声を上げなければきっと後悔すると分かったから、後先も考えずに声を上げました。

 ただ伝えたい。

 

「リンゴですよ! これは、ただのリンゴです!」

 

 ヤシロさんは悪い人じゃないと。

 そう見えるだけで、本当はとっても温かい人なのだと。

 

 初めて見た時は驚きました。

 わたしは、泣いてしまって食べることも出来ませんでした。

 思えば、あの時からわたしはヤシロさんを傷付けていたのかもしれません。

 

 ウサギの形をしたリンゴ……

 

 とても可愛らしいウサギさんの耳……いえ、リンゴの皮をナイフで剥ぎ取りました。

 それだけで、会場から悲鳴にも似た声が漏れ、非難の視線が集まりました。

 足がすくみ涙が浮かびそうになるほど怖くて、けれど、ヤシロさんは、ずっと一人でこんな視線を浴びて頑張っていたのだと思い知らされて……何も出来ない自分でいる方が嫌だと、思ったんです。

 

「わたしだって、食べます。リンゴ、大好きですから!」

 

 一口齧れば、なんのことはない。とても甘く美味しいリンゴの味が口の中に広がります。

 それだけです。

 だって、これはリンゴなのですから!

 

「美味しいです。とても、美味しいリンゴですよ」

 

 今さらこんなことをしても、取り返しはつかないのかもしれません。

 それでも、わたしは……

 

 

 

 もう二度とわたしは、わたしの自分本位な不安や恐怖をヤシロさんに背負わせたくない。

 そう、思いました。

 

 

「ジネット。私にも、その美味しそうなリンゴをくださいませんか?」

「シスター……はい。すぐにご用意しますね」

 

 シスターが優しい笑みを向けてくれて、それからミリィさん、レジーナさん、ロレッタさんと、続々とみなさんが集まってきてくれました。

 どんどんと輪が広がり、あっという間に笑顔に包まれました。

 

 みなさんでリンゴを食べ、美味しいねと笑い合う。

 そうです。

 そうなんですよ、ヤシロさん。

 

 わたしたちは、一人ではないんですよ。

 

 

 だから……

 

「どうですか? ヤシロさんもご一緒に!」

 

 緊張して強張る顔を、なんとか笑みの形にして、ヤシロさんを呼びました。

 もう、あなたを一人にはさせないと、そんな思いを込めて。

 

「食い過ぎて腹痛いから、トイレ行ってからなぁ~」

 

 片手を上げふらりと会場を出ていく背中に、不安が広がっていきます。

 遠ざかっていく背中が、瞳を覆う涙で歪みます。

 

 でも、もう弱音は吐きません。

 わたしは……

 

 

「ちゃんと待っていますからね」

 

 

 いつでも、いつまでも。

 わたしは、ヤシロさんのお帰りを、ずっと待っています。

 

 

 そのことだけは、どうか、ヤシロさん……忘れないでくださいね。

 

 

 

 四十二区が挙げたこの貴重な一勝は、四十二区の領民すべてにとって、とても重い一勝となりました。

 

 

 

 

 

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