「お~い、おいお~い☆」
遠くからのーてんきな声が聞こえてくる。
見ると、大きな水槽を押したノーマと、その水槽の中で元気よく手を振っているマーシャが見えた。
今日もたゆんたゆんだな、二人とも。
「ヤシロさんは、視力がよろしいんですのね」
「なんでだよ?」
「この距離で、もう顔がにやけていますわ」
マジでか!?
まぁ、これくらいの距離なら十分に堪能できるけども!
そんなこんなで、それから数十回ほど揺らしながら、ノーマとマーシャが俺たちのもとへとやって来た。
「ヤシロ……見えていたさよ。少しは自重するさね」
「俺も見てたぞ!」
「それを自重しろと言ってるんさね」
煙管で額をこつんと軽く小突かれる。
ふふん。俺は知っている。こういう反応をするノーマはさほど怒ってはいない。
まだまだガン見出来……あ、目がちょっとマジになった。もうやめとこう。
「ねぇねぇ、ヤシロ君。なんか美味しいもの食べさせてくれるんだって?」
「さぁな。美味いかどうかはジネットに聞いてくれ」
「店長さんの料理なら絶対美味しいよぉ~☆」
こういう席にはあまり参加したことがないマーシャ。
そのせいか、いつもよりも随分と楽しそうだ。
「あっ、デリアちゃん! なんか元気が出たみたいだねぇ」
「マーシャ……まぁ、な。悪かったな、心配かけて」
「な~に言ってるのぉ? 水臭いよ~☆ ……あ、水臭いのは私かぁ~…………臭い?」
「臭くない! 臭くないから、そういうのを俺に聞くのやめてくれ」
水に浸かっているから~……っていうギャグだったんだろうが、不意に不安になったんだろうな。真顔で聞くなよ。それも、男の俺に。
ちゃぷんちゃぷんと水音をさせて、マーシャは自身の腕の香りを嗅ぐ。
だから、大丈夫だって……
「イカリを発注したんだって?」
「うん☆ 今度ちょっと遠出しようと思ってねぇ。大っきいやつを作ってもらうんだぁ~☆」
「アタシも、あんなデカいものを作るのは久しぶりだからね。腕が鳴るさね」
何気に、腕はいいんだよな四十二区の職人たちは。
貧乏なのに技術は高い。
もしかしたら、貧乏で道具が揃えられないから、腕の方を磨くしかなかったのかもしれないが……
「結構かかりそうか?」
「そうさねぇ……まぁ、そこそこだね」
「そっか」
まぁ、今回作るヤツはノーマがいなくてもなんとかなるし、問題はないな。
「また何か作るんかい?」
「あぁ、ちょっとな」
「なになに? なに作るのぉ~☆」
興味津々なマーシャ。少し気が早いが、簡単に説明でもしてやるか……と、マーシャを見ると、全然違う方向を向いていた。
……俺に言ったんじゃないのかよ。
マーシャの視線を追って振り返ると、テーブルには色とりどりの食材が並び、その真ん中に、大きな木桶に入った白米があった。……いや、あのつやつやさは……酢飯か!?
「今日はみなさんで、『手巻き寿司』というものをしたいと思いますっ」
「俺、それ、昼食った!」
今日教えたものを、もう実践するのかよ!?
昼夜連続だわ!
「すごく美味しくて、とっても楽しかったので、是非みなさんでと思いまして!」
すげぇ意気込んでる。
それでいいのかと、マグダやロレッタを見やると……向こうは向こうで、「私、知ってますから」的な余裕のオーラを醸し出して悦に入ってやがる。ドヤ顔さらしてからにまぁ。
そしてエステラはというと……
「途中から真面目な話になって、しっかり食べられなかったからね。ボクは嬉しいよ」
なんてことを言っている。
……別に俺も不満があるわけじゃねぇけどよ…………
「ぁの、みりぃ……どんなお料理なのか、すごく楽しみ」
ミリィは並べられた食材を、キラキラした目で見つめている。
そんな様を見て、ジネットが嬉しそうにくすっと笑う。
そして、背筋を伸ばして静かに口を開く。
「それにですね、この手巻き寿司は、今だからこそ食べたい料理なんです」
真剣な顔で、ジネットが言う。
その場にいる全員を見渡すように視線を巡らせて、大きく息を吸ってから、静かに話し始める。
「ここに並んでいる食材は、わたしたちがこの一年の間に知り合い、分かち合ってきた方々が育て、育み、育成してきたものばかりです。その方たちとの思い出が、絆が、信頼と友情があるからこそ、この料理は完成したんです」
海苔も米も魚も卵も野菜も……みんな、俺たちが直接話し、交渉し手に入れてきたものだ。
単純な料理だが、単純故に食材に大きく左右される。
満足のいく食材を手に入れるためには、一朝一夕ではいかなかった。
様々な連中と出会い、時に衝突し、苦悩し、泣いて、怒って……様々な苦労を乗り越えてようやく完成したのが、この手巻き寿司だ。
こいつは、この一年の集大成と言える。
「異常気象で多くの方が苦労し、みなさん、それぞれに悩みや不安を抱えられていると思います。ですが、忘れないでほしいんです。わたしたちは、誰しも一人ぼっちではないということを。わたしたちには、素晴らしい仲間がいることを、どうか忘れないでください」
胸の前で腕を組み、地上に舞い降りてきた天使のような笑みを湛えてジネットが言う。
「異常気象に見舞われてとても大変なこんな時だからこそ、わたしはみなさんとこの手巻き寿司を食べたいと思ったんです」
まるでシスターベルティーナのような、凛とした空気を纏って。
なんだか、ジネットならシスターとしてもうまくやっていけそうな気がする。
「その通りです、ジネット。人は皆、どこかで誰かと繋がり、助け合い、支え合って生きているのです。そんな温かい絆から生まれたこのお料理を、みなさんで一緒に、感謝しながらいただきましょう」
「唐突に現れ、さらっと入り込んできたぞ、このシスター!?」
いつの間にか、ジネットの隣にベルティーナが立っていた。
まぁ、河原で飯を食うとなれば寄ってくるだろうなとは思っていたけども……
「シスター」
ジネットも、その辺の予想はしていたようで……
「今日は、たくさんありますから、子供たちも一緒に」
「えぇ。きっと喜ぶでしょう。ありがとうございます」
……そのつもりだったらしい。
「じゃーぼく呼んでくるー!」
「一人では不安ー、お供するー!」
「二人でも不安ー、はせ参じるー!」
「「「はせ参じー!」」」
ハムっ子たちが凄まじい速度で駆けていく。
……はせ参じるの使い方間違ってるからな。
「それでは、先にみなさんでいただきましょう。子供たちの分はちゃんと取ってありますから」
「やったー! 飯だー!」
デリアが両腕を上げて吠える。
なんだか、久しぶりな気分だ。こんな元気なデリアの声を聞くのは。
「なんか……ガラにもなく悩んでたからさ、変に腹減っちゃった」
照れくさそうに頬をかくデリア。
今、ちょっと無理をして元気を出しておけば、きっと明日からはもっと自然に笑えるようになるだろう。
「あ~、見て見て、デリアちゃん。あの綺麗な色の切り身ね、ブリだよブリ。すっごく美味しいから食べてみてね☆」
「何言ってんだよ、マーシャ。そんなん食ってる暇があったら鮭を食え」
「海魚も食べてよぉ~!」
「はいはい。鮭の次にな」
デリアが持ってきたデカい簡易テーブルを囲み、思い思いに腰を下ろす。
適度な大きさの岩を見つけて椅子代わりにする。
最初に、ジネットが作り方を説明して、それを見よう見まねで各自が好きな手巻き寿司を作っていく。
「ヤシロさん。作ってくださいまし」
「自分で作れよ。楽しいから」
「しょうがないですわね……」
言いながらも、海苔を手に載せた瞬間瞳の色を変えるイメルダ。
こいつ、物作りにはこだわるタイプだからな。
「大変ですわ、ヤシロさん! 海苔が届きませんわ!?」
「お前もか!?」
「ヤシロ~、海苔が小さいぞ?」
「私もぉ~☆」
「揃いも揃ってか、お前ら!?」
「ヤシロさん。ご飯の量が少ない気がします」
「木桶を見つめながら言う言葉か、それが!? 自重しろよ、ベルティーナ!?」
「……はい、ウーマロ」
「マッ、マグダたんが作ってくれたッスか!? はぁあああん! 感激ッス!」
「……手巻き寿司(プレーン)」
「素飯だけじゃねぇか!?」
「至高の味ッスぅぅうう!」
「それでいいのかウーマロ!?」
なんだかんだと賑やかな食卓となり、ふと、あることに気付いた男が立ち上がる。
その男は、陽だまり亭七号店へと近付くと、屋台の上に積み上げられた野菜を見て声を上げる。
「俺の野菜、出番ねぇじゃねぇか、今回!?」
「……気付かれたか」
「手巻き寿司にキャベツとか使わないです」
「食えよ! 持ってきたんだから! なんか作れんだろ、ヤシロ!? ほら! 鉄板もあるし!」
「ぅぇぇ……メンドクセェ……」
「ぁの、みりぃ、お手伝い、する?」
「じゃあ、マーシャのホタテを取ってきてくれないか?」
「ホタテね、ぅん、わかっ…………ぅぇえ!? ダメだよぅ、てんとうむしさん!?」
「ヤシロく~ん、ミリィを使って間接セクハラするのはダメだよぉ~☆」
胸のホタテを押さえて可愛らしく舌を覗かせるマーシャ。
小悪魔的な微笑が心臓付近をくすぐる。
「じゃあ、ヤシロ。ちゃんちゃん焼きしないか? あたい、鮭用意するぞ」
「いいですね、ヤシロさん! やりましょう、ちゃんちゃん焼き!」
「シスター、落ち着いて」
「シスター。食事中はお行儀よく座ってくださいね」
はしゃぐベルティーナが両サイドのエステラとジネットに腕を押さえ込まれ強制着席させられている。
……あいつがいるからなぁ。ガキが来る前に料理を増やしておかないと、食い物がなくなっちまうか。
「しょうがねぇーなぁ」
ここでの労働は、きっちり領主に請求させてもらうからな。
支払方法は、そうだな……水不足対策にかかる費用を負担する、って方法になるんじゃないかな、たぶん。
それから教会のガキどもとハムっ子が合流し、俺たちは河原でたらふく夕飯を食らったのだった。
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