ゴロツキどもを追い返した後、陽だまり亭には一応の平穏が戻った。
いつものお得意さんが顔を出し、バカ騒ぎして、飯を食って帰る。それはいい。
問題は、そこに紛れ込んだ『外からのお客様』だ。
一日に二組から、五組程度の見慣れない客。だいたい二人か三人のグループで来店してケーキを注文していく。
そして、ケーキが来るや否や……鼻で笑うのだ。
「見てくださいな、コレ……」「ホント……センスというか、品というか……そういうものが……ねぇ?」「お皿のチョイスもちょっと……ねぇ?」――という具合だ。
しかし、それ以上のことは何もしない。
支払いを渋ったり、難癖をつけたりはしない。
ただ、『満足できなかった』というアピールをこれでもかとして、そして帰っていくのだ。
「……まだいるのかい、例の……」
エステラが俺に耳打ちをしてくる。
エステラも一度だけ遭遇したことがあるので気にはしていたのだろう。
ジネットはいつも、客の立場に立ち、客が何を考え、何を望み、何をすれば喜んでくれるのかということを考え続けている。そういう部分に敏感なのだ。
だからこそ、ここ最近紛れ込んでくる『お客様』の行動に戸惑ってしまうのだ。
とても嫌っているにもかかわらず、わざわざ嫌な顔をして、文句を言うために店までやって来る……その理由が理解できないのだろう。
理解など出来るはずがない。
そうしている連中こそ、自分たちがなぜそんなことをしているのか明確な理由を理解していないのだから。
ただ『なんとなく気にいらない』のだ。
そして、『文句の一つも言ってやらなければ気が済まない』のだ。
要するに、鼻についてしまったということなのだろう。
『私たちの好きなラグジュアリーには程遠いクオリティーのくせに、ちょっと騒がれている陽だまり亭のケーキがなんとなく気に入らない』と、そういうわけだ。
この『なんとなく』が、手強いんだよなぁ……
誰もが発するべき言葉を見つけられずに黙り込んでしまう。
俺たちの周りに重い空気が立ち込める。
ジネットは「お客様の好みも、いろいろですからね」と、気にしない素振りを見せていたが……周りから見ればはっきりと落ち込んでいるのが分かった。
「ロレッタ」
「はぃ……」
「なんでお前まで落ち込んでんだよ?」
「だって……本当は、店長さんをビックリさせて元気になってもらおうと……なのに、つい、テンションが上がってしまって…………失敗です」
ロレッタも、他人の感情の機微には敏感に反応を示す方だ。
なんとかしたいという思いから空回ってしまったのだろう。
「アホ」
「うぅ……反省するです」
「そうじゃねぇよ」
ロレッタの頭をグリグリと撫で回し、俯いた顔を強引に前に向かせる。
「ジネットのヤツ、ちょっと元気になったろうが」
「へ……?」
ロレッタが見つめる先で、ジネットは弱々しいながらも、先ほどよりも柔らかい笑みを浮かべていた。
「お前がそうやって思ってくれてるってだけで嬉しいんだよ、あいつは。な?」
「はい。ロレッタさん。ありがとうございます」
「て…………店長さぁ~ん!」
ジネットの胸に飛び込み、超高級羽毛布団も真っ青なふっかふかのおっぱいに顔を埋めるロレッタ。
うっわ!? いいなぁ!?
「ジネットォ~!」
「君はダメだよ、ヤシロッ!」
「ぐぇっ!?」
駆け出した俺の襟を、エステラが容赦なく掴むもんだから首が絞まってカエルみたいな声が出てしまった。
……お前、俺の首が「ころん!」って落ちたら、責任持って「新しい顔よ!」って投げて寄越せよ……
「ごほっ、ごほっ……まぁ、げふっごほっ……心配しな……ごほごほっ……くても……ごーっほごほごほっ!」
「だ、大丈夫ですかヤシロさん!?」
まずい……変なところに入った…………し、死ぬ……
「はいヤシロさん。お水ですよ」
「ベルティーごほごほ……」
「ほら、背中を伸ばして、ゆっくりお水を飲んでください……そうです、落ち着いて…………はい。よく出来ました」
そっと背中を撫でてくれるベルティーナ。その手付きが優しくて、なんとなく、胸の中が温かくなった。
「…………止まった」
「シスターは、昔からこういうのが得意なんですよ」
ジネットが嬉しそうに言う。
きっと、ジネット自身も何度もこうやってベルティーナに助けられたのだろう。
「みなさん。少しいいですか?」
いつものように、ぴんと背筋を伸ばして、静かな声でベルティーナは語り出す。
「好きと嫌いはどうしようもないものです。それを無理やり変えてしまおうとすれば、必ず衝突が起こります。受け入れること、許容すること、……それでも無理ならば距離を置くこと。絶対的に正しいことなど存在しませんが、みなさんには、どうか最良の選択をしていただきたいと思います」
「なんでも、こっちの思い通りにさせようとしちゃダメだ、っていうことですね」
エステラの言葉に、ベルティーナは静かに微笑む。
「ジネット」
「はい」
「厳しいことを言う人もいるでしょう。ですが、あなたの周りには、あなたをよく思ってくださってる人がこんなにもいるのです」
「…………はい」
「人は、どうしても辛辣な言葉の方を気にしがちです。耳に痛いから記憶に残ってしまうのでしょう。ですが……あなたを好きと言ってくれる言葉を聞き逃してはいけませんよ。あなたを大切に思ってくれている人こそが、あなたが大切にするべき相手なのです。目先のつらさから逃れようと躍起になり、そばにいる大切な人を見失わないよう、どうか、気を付けてくださいね」
「…………」
ジネットはたっぷりと、十秒ほどの間まぶたを閉じ、じっくりと思考した後、再び目を開けて……静かに頷いた。
「……はい。ありがとうございます」
その大きな瞳は、穏やかな光に満ちていた。
「ヤシロさん」
「なんだ?」
問いかけるも、ベルティーナは微笑みをこちらに向けるだけで何も言わない。
あぁそうかい。つまりはあれか。
「ジネットを、よろしくお願いしますね」――って、ことだろ。
言葉にすれば、俺も言葉で返事をしなければいけなくなる。
それをしなくてもいい状況を作るために、あえて言葉にはしない。
俺のことも見透かされているのかもしれない。
今はまだ、胸を張って「任せておけ」とは……言えないからな。
「えっと、じゃあ……どうするです? このまま放置するですか?」
おろおろと、ロレッタがジネットのおっぱいに後頭部を埋めながらこちらに視線を向けてくる。
いいなっ!? 俺と代われよ、そのポジション!
「ケーキの件は、たぶん今日でなんとか出来る」
「え?」
驚きの声を上げたのは、ジネットだった。
まぁ、陽だまり亭の状況を見て、昨日急遽ねじ込んだ企画だからな。まだちゃんと説明してないのだ。この場所で、全員集まった時にすればいいと思ってたし。
「俺、今日この後ちょっと四十区に行ってくる」
「一体何をするつもりなんだい?」
問いかけてくるエステラ。
そして、不安と期待をない交ぜにした瞳で俺を見つめるジネット。
微笑むベルティーナ。
いつものように半眼のマグダ。
おっぱいに埋もれるロレッタ。……いいなぁ。
そんな面々の顔を順番に見て、俺は宣言する。
「悪意の芽を摘んでくる」
面倒くさい状況は、割と単純な方法で打開できる。それをちょっと試しに行くのだ。
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