服を着替えてフロアへと戻る。
「……早いな」
なんということでしょう。
俺が戻ってみると、床掃除がきれいさっぱり終わっているではありませんか。
「え? 俺、そんなに遅かった?」
「いえ、パーシーさんが驚異的なブラシ捌きを披露してくださって。すごかったですよ」
「いやぁ、あんちゃんにも見せてやりたかったぜぇ! オレの、華麗なるブラシ捌き!」
「んじゃあ、もう一回水を撒くか」
「無駄に働くのは御免だっつの!」
フロアが綺麗になってしまったので、俺は仕方なくパーシーのくだらない相談に乗ってやることにする。
ジネットに、レジーナからもらってきた香辛料を渡し、カレーを作ってもらう。
エステラもあとで来るそうだから、結構多めに作ってもいいだろう。
「いや、なに。相談ってのは他でもないんだけどよぉ……あ、砂糖三袋ほどいるか? やるよ」
「……いいから話せよ」
もう砂糖はいらん!
アッスントに転売するぞ、こら。
「実はな……」
パーシーが真剣な面持ちで話し始める。
「大食い大会をネフェリーさんと一緒に観戦したいんだけど、『偶然隣の席になっちゃった~』みたいな感じを演出する方法ないかなぁ?」
……こいつ。本当~~~~~っに、バカなんだな。
「ウチの陣営に来い。ネフェリーは客席じゃなくて、俺らと一緒に応援してくれることになってるから」
「マジで!? オレ、そこ行っちゃっていいの!?」
「四十区がOKを出せばな」
「出すさ! 出させるに決まってんじゃん! 領主の許可くらい、ネフェリーさんのためなら、砂糖を使った外交的圧力で『うん』と言わせてみせるっつぅの!」
……あぁ、こいつは世間を舐めているんだなぁ。
四十区から追い出されたら四十二区に来い。ノウハウを吸い尽くして四十二区の発展に役立ててやるから。
その後、適当にカレーを食わせ、あまりの美味さに感動したパーシーのテンションだけの不思議な踊りを見せつけられ、散々騒いだ後で、パーシーは帰り支度を始めた。
「オレ、これから領主んとこ行って、『バシーッ!』つってくっから! 大会当日は、オレ、身も心も四十二区の人間だから、そこんとこ、ヨロシク!」
「ジネット~、塩ってある?」
「撒かないであげてくださいね」
ちっ。にっこりと拒否されてしまった。
「んじゃ、帰るわ!」
パーシーが上機嫌で陽だまり亭を出て行く。
本当に、くだらないことで遠いところまで来るんだもんなぁ……
「じゃあ、店長さん、あんちゃんも。またな!」
「はい。またお待ちしております」
「モリーに『あんな兄貴で可哀想に』って伝えといてくれ」
「伝えるかよ、んなこと! じゃ、またな!」
「ネフェリーんとこ寄らないで、まっすぐ帰れよ~」
手を振って見送ってやるも、パーシーはドアの前から動こうとしない。
なんだよ? 早く帰れよ。
「あんちゃんよぉ……」
「なんだよ?」
「ま・た・な!」
「『股』、『股』言うんじゃねぇよ、卑猥なヤツだな」
「その『股』じゃねぇ! また会おうな!」
「……やめろよ、そういうの面と向かって言うの……なんか、キモい……」
「だから、そうならないように『またな』っつってんじゃねぇか」
「そんな何度も言わなくていいっつうの」
「だってよ!」
パーシーは、ある意味で純粋で……だからこそ、空気を読んではくれない。
「あんちゃん、さっきから一回も『またな』に返事してくれてねぇじゃねぇか!」
……目は、逸らさなかった。
ここで視線を外すのは、パーシーの考えていることが正しいと認めることになるからだ。
「あんちゃん、もうオレに会ってくれねぇのかよ?」
「んなこと言ってねぇだろ。大会もあるし、これから先、何年経とうが陽だまり亭はここにある。それで十分じゃねぇか。わざわざ言葉にして『お・や・く・そ・く』なんてガラじゃねぇだけだよ」
最近はとみに……『またね』が言えない。それに、応えられない。
……だってよ、俺、他所者だから。
いつ、いなくなるか、分かんねぇじゃねぇか。
『またね』なんて、約束できるかよ。嘘が吐けない、この街で……
「いいから、さっさと帰ってモリーの手伝いでもしてこい! この放蕩兄貴!」
「なんだよ、なんだよぉ! もうオレとは会ってくれないのかよぉ!? 会うって言うまでここを動かねぇぞ! 言え言え言え言え言え言え言え言え言え言え言え言え言え! またパーシー君に会いたいって、あんちゃんのその口で言えぇぇええー!」
「あぁ、鬱陶しい! 言おうが言うまいが、結果は変わらんだろうが!」
「言葉にしてくれないと、不安になっちゃうんだぞ!」
「お前は女子か!?」
店先で駄々をこねるパーシー。
……っとに、こいつは………………こんなやり取りをジネットに見せたら余計な心配を……
「会います!」
凛とした、堂々とした声だった。
「ヤシロさんは、必ず、またパーシーさんにお会いします。わたしが保証します」
一片の曇りもない、清々しいまでの爽やかな笑みで、ジネットが断言をした。
「ですので、どうかご安心ください。ね、ヤシロさん」
柔らかい笑みが、俺に向けられる。
……これは、ある種の脅迫なのか?
俺が、今晩にでも姿をくらませたら……ジネットはカエルになる。
いや、パーシーがそんなことをするとは思えないが…………
「それに、大会が控えてますから」
何か、確信めいたものを覗かせて、ジネットは言う。
「四十二区の戦いに、ヤシロさんが参加しないはずがありません。なぜなら……」
そして、誇らしげな顔をして言うのだ。
「オオバヤシロという人は、誰よりもわたしたちと、四十二区を愛してくださっている人ですから」
ジネットよ……
そりゃあ、ちょっとばかり……卑怯だろうよ。
「…………愛しているかは、まぁ、置いといて…………」
しょうがない。
今回だけだ。
特別だからな。
ジネットがカエルになるのは困るしな。
だって俺、さっき『これから先、何年経とうが陽だまり亭はここにある』って言っちまったしなぁ。ジネットがカエルになったら陽だまり亭はなくなって、今度は俺が嘘を吐いたことになる……そいつは困る。俺は、カエルにはなりたくない。
だから、……ホント、しょうがねぇな…………今回だけはお前に乗ってやるよ。
「俺が大会に出て四十二区を勝利に導いてやる! それは決定事項だ! パーシー、そんなに俺に会いたきゃそん時に『お前が』会いに来い」
あっけにとられるパーシーに向かって、俺ははっきりと言ってやる。
「……待ってるぞ」
「へ、へへっ! ようやく言ったな! その言葉、忘れんじゃねぇぞ! 勝手にいなくなったら、ぶっ飛ばしに行くからな!」
いなくなった後、どこにぶっ飛ばしに行くつもりなのか。
やっぱりこいつはアホなんだな。
言質を取って満足したのか、パーシーはアホ丸出しの顔で帰っていった。
「ったく……空気の読めねぇヤツだ」
「いいえ」
パーシーの背中を見送って、ジネットはぽそっと呟く。
「察しのいい、気の利く方だと、思いますよ」
「…………感じ方はそれぞれだな」
「そうですね」
なんとなく、ドアの前に二人並んで、ボーッと東の空を眺めていた。
マグダとロレッタが、エステラと一緒に陽だまり亭へやって来るまでの数十分間、俺たちは二人きりで静かな時間を過ごした。
とても静かで、……なんだか、落ち着く時間だった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!