あの後、俺たちはすぐに洞窟を出て、港へと引き返してきた。
なぜなら。
「はーらーがー減ったぁぁぁああだゼぇぇぇええええ!」
考えなしのアルヴァロが『白シュワ』を使いやがったからだ。
マグダと同じように、極限の飢餓状態に陥ったアルヴァロは非常に危険で、……食われるかと思ったわ。
「マグダ、マジで助かった」
「……うむ。洞窟の中から『白いシュワシュワしたなんか漂うヤツ』の気配を感じたから」
別の小舟に乗って、タコスの残りをいくつか持って途中まで迎えに来てくれたのだ。
それでも、アルヴァロの空腹を満たすにはほど遠く、マグダがアルヴァロの口と腕を押さえつけて強引に港まで連行してくれた。
「……ったく、アルヴァロめ……いや、アホバーロめ」
「……ふむ、似ている。今度狩猟ギルドの中で流布してくる。アルヴァロは、少し反省が必要。無邪気、可愛いでちやほやされて叱られることが少なかったから」
狩人たちも、女子人気の高い実力者には強く言えないか。
「え、なに? 嫉妬してんの、オッサン」とか、アルヴァロファンの女子に言われたら発狂しそうだもんな。
「悪いな、ジネット。残しておいてくれた弁当、結局食えなくて」
「いいえ。お弁当はまた作ればいいですし、ヤシロさんたちが無事に戻ってきてくださったことが何より嬉しいですから」
俺たちが戻ったらと、ジネットが弁当の一部を残しておいてくれたのだが、アルヴァロが全部平らげてしまった。
おまけに、ちょっと残っていたタコスの原材料もだ。
調理なんかしてる暇なかったよ。
……ホント、出会ったころのマグダを思い出したよ。
なんでもそのままの状態で口に放り込むんだから。
誰だよ、アルヴァロはマグダよりも力をコントロール出来るって言ってたの。
全然じゃねぇか。
「もう、こいつにお子様ランチなんかやらなくていいから」
「いえ、それは……約束ですし」
この失態でチャラだと思うけどな、その約束。
腹立つから、エビピラフには二十九区領主のエムブレムの旗を立ててやろう。
それよりも驚いたのは――
「ナタリア、素敵なお出迎えありがとう」
「ご満足いただけたようで、何よりです」
「いいから、さっさと服を着て!」
港に着くと、濡れた水着に濡れストッキング姿のナタリアが出迎えてくれたのだ。
なんて素敵な絶対領域! そして絶対空域!
なんでも、この格好で街へ戻ろうとしたところをロレッタとジネットに全力で止められたらしい。
「『とどけ~る1号』でマーゥルさんに連絡を取り、イネスさん経由で三十区の外の地形に異変がないかを確認していただかねばいけないのですが――と申しましたところ、『代わりにあたしが行ってくるですから、ここでメイド服の到着を待っててです!』と、ぴゅーって」だ、そうだ。
ロレッタなら、今頃うまいことマーゥルに連絡を入れているころだろう。
「ほら、早く服を着て、街に戻るよ」
「ですが、濡れた水着の上からメイド服を着るのは気持ちが悪いのですが?」
「いいから一旦着て、ダッシュで館に戻って着替えてきて!」
「こちらの、遊んでいないビーチボールの立場は?」
「後日ね!」
後日遊んでやるのかよ。
お前、ナタリアのこと大好きだな。
「あぁ~……まだちょっと食い足りないけど、とりあえず落ち着いただゼ」
「あったもん全部食い尽くしといて、モンク言ってんじゃねぇよ」
「モンクなんかないだゼ! 全部美味しかっただゼ!」
「ならよかったです」
よくねぇよ。
……ったく。食材費を請求してやる、ウッセに。
「……それで、何があったの? なぜ『白いシュワシュワしたなんか漂うヤツ』の使用を?」
「あぁ、実はだゼ……」
「とりあえず、洞窟の中にカエルはいなかった」
口を開きかけたアルヴァロの言葉を遮るように言う。
今はまだ、事実を知らせるには早過ぎる。
こっちだって、まだ実態を掴めていないんだ。そんな不確かな状況で話せるような内容じゃない。
「もっとじっくり調査をしたかったんだが、途中ですげぇ硬い岩があってな。それをアルヴァロが割ろうとした結果、『白シュワ』を使っちまったんだ」
「おいおい、軍師! その略し片は看過できないだゼ! 『白いシュワシュワしたなんか漂うヤツ』は、オレたちの先祖代々が使っている由緒ある名称で――」
「あぁ、はいはい。『それなヤツ』な」
「だから、軍師はさぁ――!」
きゃんきゃんと俺に噛みつき、発言の訂正を求めるアルヴァロ。
これで当面、余計なことは口走らないだろう。
「とりあえず、また日を改めて洞窟内の調査に向かう。それまでは――」
チラリとエステラを見る。
短く息を吐き、肩をすくめるエステラ。
「まぁ、仕方ないだろうね。洞窟拡張の工事は一時中断としよう。この中の安全が確保できるまでは、ね」
あの、アルヴァロでも砕けなかった硬い岩。
そして、目撃されたというカエルの影。
それらの調査が終わるまで、下手に人を入れて新たな火種や騒ぎが大きくなるような事象は避けたい。
何かしら答えらしきものの輪郭が見えるまでは、他者は入れない方がいいだろう。
いざという時は、連帯責任で真実の隠蔽に加担してくれる、そんな連中以外には見せない方がいい。
……だが。
「呪いをもらうぞ!」
港に、場違いなバカが現れた。
そいつはゴロつきなんかではなく、無駄に装飾の多い高そうな衣服に身を包んでいた。
誰だ?
「聞きましたぞ、ミズ・クレアモナ。洞窟にカエルが出たそうですね?」
鼻の下に細く整えられたヒゲを生やした、貴族らしき男。
この顔、誰かに似て…………
親指と人差し指で輪っかを作って、その輪の中を覗き込む。
丸くくり抜かれた世界の中でその貴族を見つめ、少しずつ手の位置をずらして観察する。
指で作った輪っかが、その貴族の左目付近に来た時、俺の頭の中に一人の男の顔が浮かんだ。
ウィシャートだ。
こいつ、デイグレア・ウィシャートに似ている。
指で作った輪っかをモノクルに見立てて顔を見れば、あの顔に雰囲気が似ているのだ。
「ウィシャート家の者か?」
「いかにも。もっとも、私は家督を継がず執事としての道を選んだ者ですけれどね」
ウィシャート家は非常に用心深い家系だ。
要職に就く者も、すべて親族から選出している。
こいつは、領主に仕える執事として育てられたのだろう。
そんな男が、わざわざ四十二区の街門を通り、外の森の中のこんな港にまでやって来た。
目当てはもちろん――
「当然、説明責任を果たしていただけるのでしょうな、ミズ・クレアモナ?」
――四十二区への攻撃。
かなり直接的な手段に出てきたところを見ると、今回は相当自信があるようだな。
この港と街門の利権に食い込む……いや、奪い取れるくらいの自信が。
「三十区の下にある崖からカエルが見つかるなど、これまで一度もなかったことなのですよ。四十二区の湿地帯を抜け出し、街門を通って、そして洞窟に棲みついたのではないですか? もしそうであれば、あなた方はカエルを三十区へ送り込んだということになります」
「待ってください。まだ目撃されたのがカエルだと決まったわけではありません」
「では、なんだったと?」
「……それを、今から調査するのです」
「なるほど。では、調査結果が出たら三十区領主の館までご足労願いたい。我が主は、当然のこととして、その説明を受ける権利を有しておりますれば」
「待てよ、執事」
勝手なことを抜かす執事に釘を刺しておく。
「三十区の崖の下というが、ここはオールブルームの外だ。三十区の下じゃない」
この位置は、街門から数百メートル離れている。
三十区の街門からも200メートル以上は離れているだろう。
「領地から離れた場所でまで主権を主張するのは、侵略の意思が透けて見えるってもんじゃねぇか?」
「オオバヤシロ、か……」
こめかみを人差し指で押さえ、執事は彫りの深い顔に深いしわを刻む。
「では、そのカエルはどこへ消えたのだ?」
「カエルだとは決まってねぇ」
「では言い直そう。そのカエルかと思しき存在はどこへ消えた? 三十区の領内に入っていないと証明できるなら、今ここでしていただきたい」
洞窟は三十区の下にまでは延びていない。
だが……もし大工が見た影がカエルだったとしたら、そのカエルは街門を守る門番や、この港に集まっている大工たちの誰の目にも留まらずに洞窟内に移動したことになる。
侵入ルートが分からない以上、カエルがどこを移動してどこに行ったのかなんて証明は出来ない。
証明が出来ない以上、そこを突っ込まれれば言葉に窮するのはこちらだ。
下手にやり合って『負け』を重ねるのは得策ではない。特に、ウィシャート家のような陰湿でしつこい人格の連中には。
「今はまだ本格的な調査を始める前だ。証明は難しい」
「ならば――」
「あぁ、分かっている。疑惑がある以上、説明は必要だよな。……ちゃんと説明をしに行ってやるよ。この俺が、直々にな。……それでいいな?」
「…………」
「当事者の話を聞きたくないというのであれば、説明を聞く権利を放棄したと見なすが?」
「……分かりました。そのように主にお伝えします。必ず、説明をしにいらしてください」
これで、「エステラ一人で来い」という無茶ぶりは出来なくなった。
と、同時に、大手を振ってウィシャート家に踏み込む許可も取れた。
今回のところは、これでイーブンだと思うとしよう。
執事は現れた時と同じように厳めしい顔のまま街門へ向かって歩き出す。
数歩歩いて、思い出したように立ち止まり、首だけをこちらに向けて、最後の最後にイヤラシイ言葉を残していった。
「くれぐれも、我が主と三十区に呪いが降りかかるようなことのないよう、細心の注意を怠らないでいただきたい。……では」
こりゃ、何がなんでも結果を出さなきゃいけなくなったな。
ウィシャートのムカつく面に叩き付けてやるための、十分な結果をな。
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