「朗報だよ~☆ 実は、このカニは…………四十二区で獲れたものなのです!」
マーシャの言葉にエステラとナタリア、それからベルティーナが「がっ!」と顔を向けた。
俺もちょっと驚いている。
四十二区で獲れた? カニが?
……あっ、そうか。
「港予定地近海か」
「ピンポンピンポーン! ヤシロ君、正解~☆ す~っごくいっぱいいたんだよぉ~!」
四十二区の外壁のすぐ向こう。
三十区との間に聳える切り立った崖の下に小型船が通れるくらいの空洞が存在し、森の向こうの海へと繋がっているのだと、マーシャが実際に調査して証明してくれた。
その崖を少し崩して、外の森を少々開拓し、ちゃちゃちゃーっと整地をして、ゆくゆくは小さな港を作ろうとしている場所があるのだが、どうにもその近くでズワイガニが獲れるらしい。
確かズワイガニって、そこそこ水深の深い冷たい水の海域に生息していたような気がするんだが……洞窟の中でわんさか獲れるって、沢蟹かよ……
「もうね、ちょっと大きな岩をひっくり返したら、岩の下からかさかさ~って☆」
だから、沢蟹かって。
「糸にお米粒つけて目の前にぶら下げたら、まんまと釣れちゃってねぇ☆」
沢蟹か!?
どうやら、この世界のズワイガニは沢蟹みたいな生き様らしい。
まぁ、好きなように生きればいいけれども。美味さは本物だし。
そんなマーシャの言葉に、ナタリアが鋭い視線を向ける。
「それでは、港を完成させれば――」
「カニは比較的簡単に手に入るようになると思うよ~☆」
「エステラ様。ハロウィンとかやめて港を作りましょう」
「それはもう少し後の予定だよ!?」
「四十一区如きの区画改革なんか後回しにしましょう」
「マーシャ、ゴメン。明日もう一匹カニ譲ってくれないかな? ナタリアが急激にポンコツ化しちゃってるんだ!」
「うふふ~☆ エステラ~☆ カニは~☆ ……『一杯』っ!」
「そこ、そんなこだわるところかな!?」
なんだか譲れないものがあるらしいマーシャ。
俺が漁村で聞いた話だと、生きていると一匹で死んでると一杯だったよう……ま、どっちでもいいや。
カニ一杯でナタリアの仕事の効率が変わるなら安いものな気がするな。
「それじゃあ、明日もカニ獲ってきてあげるから~……、今晩泊めて☆」
「マーシャ……。君、仕事はいいのかい? そんな突発な外泊なんて……」
「ご招待いたします! 館で一番いいお部屋をご用意いたしましょう」
「ちょっと待って、ナタリア! 決定権があるの、主のボク! で、家で一番いい部屋ってボクの私室!」
どうやら、カニの甲羅みそ焼きの香りは、酒好きには堪らないものらしい。
ナタリアがここまで物に固執するのも珍しい。
「私。明日の晩酌のために全力でイベントを成功させたいと思います。障害になる物は全力で排除します!」
「こんなに燃えているナタリアは久しぶりだよ……」
頼もしくも不安になるようなナタリアの闘志がメラメラ燃え上がった時、事前告知がなされていた通りに、ルシアが陽だまり亭へと飛び込んできた。
「遅いぞ、カタクチイワシ! いつまで待たせる気だ!」
「……あぁ。本当に来たよ、ルシアさん」
「想像通り過ぎると、ちょっと引くな……」
「貴様ら! せめてもう少し驚かぬか! 三十五区にいるはずの私が、こんな時間に四十二区にいるのだぞ!? 驚嘆せよ!」
いや、事前予告あったし。
あんなもん、振り以外の何物でもないし。
「障害と認定し、排除してきます」
「ぬぉ!? いきなりなんだ、給仕長!? ギルベルタ! こやつを止めるのだ!」
「待ってほしい、ナタリアさん。理解は出来る、気持ちは。認める、若干ウザいことは」
ギルベルタ。それは思っても言ってやるな。ルシアが泣く。
エステラの指示でルシアを解放したナタリアが席に着くのを待って、俺はルシアに尋ねる。
「何の用だよ?」
「ふん! 書状に書いたであろう。私にハム摩呂たんとあんドーナツを献上し……なんだそれは!?」
話の途中でカニの匂いを嗅ぎつけ、鼻をひくひくさせ始めるルシア。
「あんドーナツではない物だ。お前が気にするような物じゃない」
「物凄くいい匂いではないか! なぁ、ギルベルタ!?」
「いい匂い思う、私は。似ているこれは、三十五区で揚がるカニに」
「おぉ、カニか! 私も好きだぞ、カニは」
三十五区には港があるため、ルシアやギルベルタはカニを知っていた。
単純に焼いているだけなので、これくらいなら食ったことがあるのだろう。
「ふむ。確かにカニは美味いが、そのような食べ慣れた物よりも、私はカレードーナツが……」
「あ、ルシアさん。いらっしゃいませ。餡かけカニチャーハンはいかがですか?」
「それは一体どういったものだ!? 餡かけ? チャーハン!?」
「よければ召し上がってください。ギルベルタさんはカニクリームコロッケとカニシュウマイをいかがですか?」
「いただく思う、私は、友達のジネットのオススメを」
椅子を持ってきて、強引に俺たちのテーブルに割り込んでくるルシアとギルベルタ。
「餡かけカニチャーハンというものを食べた後でカレードーナツをいただくとし……うまぁ!」
「しゃべってる途中に食うんじゃねぇよ。お前、貴族としての教育ちゃんと受けてきた?」
「なんだこれは! 海産物の本場である三十五区にもない、こんな美味い料理がなぜ四十二区にあるのだ!?」
「ヤシロさんに教えていただいたレシピなんですよ」
「また貴様か、カタクチイワシ!? 連れて帰るぞ!」
「なにその雑なプロポーズ!?」
「ぽろりした可能性、本音が、ルシア様の」
俺とギルベルタの呆れた声など完全無視で、ルシアが餡かけカニチャーハンを豪快に掻き込む。
だから、口の周りにいっぱいついてるから! べったべただから!
「ギルベルタ。口の周り拭いてやれ」
「了承する、私は。そして即実行する、自分の口の周りを拭くという行動を」
「お前のじゃねぇよ! ルシアの! ……つか、お前ら食い方豪快過ぎるわ! 口周り汚さずに食えねぇのか!?」
周りの空気に合わせてるつもりか?
陽だまり亭の客、もっと上品だわ。
「む? ハビエルギルド長! それはなんだ?」
「おぉ、三十五区の領主様か。どうだ、一緒に一杯? 酒もカニの甲羅みそ焼きも美味いぞぉ」
「酒か……ふむ」
「自重してほしい思う、ルシア様。ここは領地ではないので」
「うむ。それもそうか。まぁ、あのような料理であれば三十五区で再現することは容易いか。私は酒を飲むと眠たくなるからな。危うく四十二区で一泊するところであった」
「胸を撫で下ろす、ほっと、私は。分別ある行動をしてくれて、ルシア様が」
「それで、エステラよ。今は何の話をしていたのだ?」
「明日行われるハロウィンの事前イベントの打ち合わせです」
「カタクチイワシ、宿の手配をしろ!」
「帰れよ!」
なにイベントって聞いて泊まろうとしてんの!?
参加しなくていいから、お前は帰れ!
「ふん。仕方のない……」
ルシアはゆらりと席を立ち、俺の額を親指で「ぐりん!」と押してから、スナックひだまりの方へと歩いていった。
なんだったんだよ、今の余計な一撃……っ! 地味に痛いわ。
「一泊の宿を頼む、イメルダ先生」
「またウチに泊まりますの!?」
「お風呂はラベンダーで頼む。前回はローズだったのでな」
「どなたか、こちらの領主様に『遠慮』という言葉を教えてあげてくださいませ!」
なんだろう……
初対面の頃は恐れられていた他区の領主がただのわがままっ娘になってる。
ものっすごい馴染んでるじゃねぇか、四十二区に。
引っ越してくるなよ? マジだぞ?
「よし、ハビエルギルド長! 今日は飲むぞ!」
「おぉう! 話が分かるじゃないか! さぁ、乾杯だ!」
「ふふん。私の酌をする栄誉を与えてやろ……美味ぁ! 焦げたカニみそ、美っ味!?」
だから、しゃべってる途中に食うなっつうのに!
で、口調!
いつから陽だまり亭はお前の素を晒していいプライベートスペースになったんだ!?
取り繕えよ、せめて他の客がいる時は!
「いめるだしぇんしぇ~い、わたひ、ふかふかのべっどでねたいの~」
「もう酔ったんですの!? 早過ぎませんこと!?」
「すでに酔っていた、実は、ルシア様は…………馬車に!」
「加算されませんわよ、その酔いとこの酔いは!?」
うん。
なんか面倒くさいヤツはイメルダに任せておけばいいような気がしてきた。
あっちにはノーマもいるし……
「……アタシだって……別に強いわけじゃ、ないんさよぅ……しくしく」
……うわぁ。メンドクサイ感じに仕上がってらっしゃる。
「のーまたん! さみしいときはのむのだ!」
「ぅん、飲むさね……寂しいさねぇ……!」
「熱い握手、そして抱擁……同志と認めた、ルシア様は、ノーマさんを……先生、お願いする、今晩、まとめて面倒を見てくれることを」
「ワタクシに拒否権はありませんの!?」
出会った当初はわがまま放題で周りを振り回していたイメルダが、今は周りに振り回されている。
なんか、感慨深いものがあるなぁ……
「ホント、何しに来たんだろうね、ルシアさん」
「寂しかったんだろう。運動会、楽しそうだったし」
「……あのさぁ、一ヶ月と経ってないんだけど?」
俺とエステラが引き攣った顔を見合わせていると、二人の間からマーシャののんびり無責任な声がした。
「お引っ越しも、間近かもねぇ~☆」
……せめて、別荘までに留めといてくれ。
その日は、カニを食いつくすまで客が絶えることはなく、飲酒解禁によっていつもよりも数倍騒がしい夜となった。
そんな騒がしい店の中で明日のオバケコンペとお菓子の試作の打ち合わせをして、俺たちは本番に備えた。
オバケより、実在する人間の方がよっぽど厄介で怖いということを実感した。そんな夜だった。
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