「ちょっと待ってほしい!」
突然、エステラが声を上げた。
振り返ると…………エステラが泣いていた。
目を真っ赤に染め、唇を噛みしめ、拳を固く握っている。
「……ボクは、情けない」
呟いて、ゆっくりと……俺の隣にまでやって来る。
「こんな時にまで……姿を隠し…………君に…………こんな役を…………」
俯いて、肩を震わせて、エステラが絞り出すような声で言う。
「もう…………決めたから」
そして……
「……もう、君ばかりに背負わせないから」
強い意志のこもった瞳で、俺を見つめる。
すぅ……と、大きく息を吸うと、エステラは会場内にいるすべての者たちへ向かって語りかけた。
「ボクは…………エステラ・クレアモナだっ! 四十二区の領主代行をしている」
ザワッと、空気が泡立つ。
一番驚いているのは、四十二区の連中か…………いや、俺だ。
エステラが、自分の正体を、バラしやがった。
しかも。
「ボクの父は、現領主は……病気のためにずっと施政から離れている…………もう、二年近くになる……」
とつとつと、よどみのない声で語る。
ある一つの決心を胸に抱いて…………こいつ、まさか。
「復帰はもう見込めない! だから、ボクは領主代行権限を行使して、正式に、今ここで宣言する!」
両腕を広げ、エステラは明朗な声で、高らかに宣言した。
「本日、今この時をもって、ボク、エステラ・クレアモナが四十二区の領主に就任する! ボクの言葉は、四十二区すべての領民の言葉だ! 心して聞いてほしい!」
エステラが、領主になった。
「ヤシロが……彼が言ったことは、実現されない。ボクがさせない。ボクは、今回みたいな、この大会を開催するに当たって行ったような、四十区、四十一区、そして四十二区が互いに協力し合い、お互いに利益を得られる関係を築きたいと思ってる。三区が協力すれば、もっと生活は楽になって、刺激的で、楽しくて、素晴らしい街になると確信している!」
拳を振りかざし、熱のこもった演説を行うエステラ。
領主として最初の演説にしては、まぁ、頑張っている方じゃないかな。
「リカルド、デミリーオジ様。どうか、協力してほしい」
「ふん……どっちみち、俺たちは負けたわけだし、逆らう権利は……」
「そうじゃないんだよ、リカルド!」
足を踏み出し、拳を握り、エステラはリカルドへと迫る。
リカルドが体を退いた。どうやら、エステラの気迫に気圧されたようだ。
水を得た魚のように、エステラは自分の思い描くビジョンをリカルドに、その場にいる者たちに伝える。
「勝ち負けも上下もなしで、もっと高い位置での関係を築き上げる必要があるんだよ! くだらない嫉妬や猜疑心はかなぐり捨てて、もっと深いところで繋がる必要があるんだ!」
「つ、つっても、そんなこと一朝一夕じゃ……」
「出来るさっ! ボクたちはこの大会を通して多くの人々の心を動かした! それを続けていくだけでいいんだ! 君だって、街を良くして、領民の暮らしを良くしたい思いは同じだろう!?」
「あ、当たり前だろ」
「だったら、いがみ合うのはやめて、牽制し合うのもやめて、もっと友好的に、有意義な関係を作るべきだ! そうでなきゃ、もったいないじゃないか!」
畳みかけるエステラに、リカルドは完全に押されている。
外交力も上がったんじゃないか? お前の意見、たぶん丸々のんでもらえるぞ、この流れ。
「詳しい内容は、また三人で話し合おう。これからの未来を、明るくするために」
「………………お前、変わったな」
「変えられたんだよ……ある一人の……不器用な男にね」
エステラの視線がこちらに向く……から、俺は顔を逸らし、その場を離れることにした。
今、この場所に俺はいない方がいい。
「ヤシロ……っ!」
「領主様がそう言うんなら、俺の野望もここまでだなぁ」
片手を上げて、軽薄な声で言う。
「じゃ~な、精々ウチのお人好し領主に感謝して、まっとうに生きるこったな、負け犬ども」
これでいい。
これで……
ゆっくりとした速度で、俺は出口へと向かう。
あの通路に入りゃ、俺の仕事も終わりだな。
あとはお前らでなんとかしてくれ。もう、俺に出来ることはなんもねぇから。
観客席の下を通る、外へ繋がる通路へ足を踏み入れようとした時……ぱたぱたという足音を聞いた。
そして、きゅっと…………手を掴まれた。
小さくて、少し冷たい……震える手……細い指に、遠慮がちに力が込められている。
振り返ると……
「…………っ」
肩で息をする、ジネットがいた。
会場を出ようとする俺の手を掴み、呼び止め……けれど、何も言葉が出てこないのか、薄く開いた口からは震える吐息だけを漏らして…………今にも泣きそうな顔で、こちらをジッと見つめている。
「…………」
「…………」
なんだよ……くらいは、声をかけてやりたかったのだが…………なんでかな、胸が苦しくて、俺も言葉が出てこなかった。
ただ黙って、俺たちは互いの顔を見つめ合っていた。
きっと俺も、今のジネットみたいに……酷い表情をしているのだろうな。
なぁ、ジネット……
頼むから、そんな顔をしないでくれ…………
じゃないと……
お前を残してこの街を出ることを、躊躇っちまうからさ。
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