「…………うぅ、ただ今戻りました……」
泣き顔のネネがふらふらと戻ってくる。
「申し訳ありませんでした……もう二度とルールを破ったりはいたしません……本当に……本当に申し訳ありませんでした…………」
弱々しく、魂が気化して漏れ出していくかのように言葉を発する。
……ジネット。お前、どんな足つぼを施したんだよ…………
「あ、あの……少し、痛かったでしょうか?」
「とんでもありません! お手数をおかけして申し訳ありませんでした! むしろ私の方こそ申し訳ありませんでしたっ!」
「え、あの……っ?」
こんなに怯えられているジネットは珍しい。
ちなみに、マグダとロレッタはいまだに我関せずを貫いている。
下手に絡むと……
「大丈夫だよ、ジネットちゃん。ネネさんは初めてだから、ちょっと驚いているだけさ」
「そ、そうですよね。何度か経験のあるエステラさんたちなら平気なレベルですよね」
「…………ん、それはどうかな……」
「あの……もしやり過ぎていたら申し訳ないので……エステラさん。ご協力いただけませんか!?」
「へっ!?」
「力加減を覚えたいんです! どのくらいが今回の罰に最適か……それを、一緒に調べていただけませんか!?」
「え……あの、それって……」
「エステラさん! 少しだけ足の裏を貸してくださいっ!」
エステラが物凄い勢いでこちらを向く。
なので、それ以上の勢いで顔を逸らす。
そう。
今、下手に絡むとこういう二次被害に巻き込まれるのだ。
なんだかんだ、ジネットは足つぼが好きなのだ。そして、変に責任感が強いせいで融通が利かなくなる時がある。
諦めろエステラ……俺たちでは、救ってやることは出来ない。
「では、エステラさん、こちらへ!」
「えっ!? ホントに!? 冗談じゃなくて!?」
「ご協力していただけるなら、あとでドーナツを御馳走しますから」
「買う! 自分で買うから!」
「全種類ですよ。豪華ですよ。ちょっとしたパーティーですよ」
「ジネットちゃん、笑顔が、なんか怖いよ!? ねぇ、ジネットちゃーん!」
かくして、エステラは足つぼ魔王に拉致されて…………
「ふにゃぁぁあああああああっ!」
悲劇は、繰り返されたのであった……
「が、頑張りましょうね、ネネさんっ!」
「はい、トレーシーさ……ん!」
意気込みは大したものだが……ネネはあと五~六回はやられるだろうな、足つぼ。
「……生贄が魔王の餌食になっている間に、接客の基本を教える」
「感付かれるといけないので、小声で話すです。よく聞いてほしいです」
「はい。分かりました」
「よろしくお願いします」
こそこそと、密談するように業務内容の説明が始まる。
魔王に感付かれたら「他の方はどう感じるのでしょう?」とか言って確実に巻き込まれるからな。
ナタリアなんか、さっきから背景に溶け込んで一切の気配を消し続けているもんな。さすが給仕長。人の意識の外に身を置くプロだ。
……つか、自分に火の粉が降りかからないように逃げるのがうまいな、こいつは。
「……お客が来たら、しっかりもてなすこと」
「コーヒー豆をプレゼントするんですね」
「トレーシー。ここ四十二区だから。客に豆を押しつける習慣のない区だから」
まぁ、領主は「いらっしゃいませ~」なんて出迎えしないもんな。
何も知らないと思って、一から教えてやる必要があるだろう。
「ちょっとお手本を見せてやってくれ」
「はいです! じゃあしっかり見ててです!」
タイミングよく店のドアが開き、新規の客が入店してくる。
常連の大工たちだ。ウーマロに駆り出されてとどけ~る1号を作ってるヤツらだな。
「いらっしゃいませです!」
ぱたぱた~と駆けていって、ロレッタは大工たちに笑顔を向ける。
「お仕事はどうですか?」
「順調だよ。見てな、ニュータウンにスッゲェもんおっ建ててみせるからよ!」
「じゃあ楽しみにしてるですね」
「「「むはぁあ! 俺、頑張っちゃうぅうっ!」」」
大工どもがなんか気持ち悪い。
もとい。大工どもが物凄く気持ち悪い。
「あれ? ヒジのところ擦り剥いてるですよ?」
「ん? あぁ、こんなもんかすり傷だよ。唾付けときゃ治るって」
「ダメですよ、ちゃんと手当てしないと! あたしが消毒してあげるです」
「「「ロッ、ロレッタちゃんの唾で!?」」」
「陽だまり亭には置き薬があるですから、それで消毒するです」
「「「ですよね~」」」
気持ち悪いくらい仲いいな、大工ども。
もとい。仲が良くて気持ち悪いな、大工ども。
「それじゃあ、席に案内するです。みなさんよく食べるですから、窓辺でいっぱい食べて、外を通るお客さんに『あ、美味しそうだな』って思わせる係に任命です!」
「「「ぅは~い! さり気なく利用されちゃった~い!」」」
気持ち悪いからバカみたいな声を出すな、大工ども。
もとい。気持ち悪いから声を出すな、バカ大工ども。
「……あんな感じ」
「いや、待てマグダ。アレは特殊な例過ぎて参考にならんぞ」
ロレッタの話術も、大工どもの病も、一般例からはかけ離れ過ぎている。
いきなりアレをやれと言っても不可能だろう。
「……習うより慣れろという言葉がある」
「いや、知識ゼロで放り込んだら、客が迷惑するだろうが」
「……獅子は我が子を千尋の谷へ突き落すという」
「そこまで逞しく育てる予定はないから」
「……規格外の爆乳は揉んで慣れろという」
「それはその通りだなっ!」
「お兄ちゃん、なんかうるさいです! 店内では静かにしてです!」
遠くから、接客中のロレッタに叱られてしまった。……なぜ俺だけ。理不尽だ。
「……とにかく、一度やってみるといい。大丈夫。この時間に来るお客は気心の知れた常連が多い。それに、マグダがそばについている」
ぽんっと、トレーシーの背を叩き、ドアのそばへと移動する。
なんだかんだ、マグダは新人教育に熱心だし面倒見もいい。任せておいて問題ないだろう。
それに、マグダが言ったように……
「この時間に来るのはトルベック工務店の連中だろうから、失礼があっても問題ないな」
「「「へいへーい、ヤシロさん! 聞こえてるぜーい!」」」
注文を終えた大工たちが雛段芸人のように一斉に立ち上がって抗議してくる。
よし、スルーだ。
「……では、次に来たお客を、さっきのロレッタのように出向かえてみて」
「は、はい! 頑張りますっ!」
トレーシーが不安の色に染まる顔を気力で持ち上げ、力強い視線でドアを見つめる。
そして、そんなトレーシーを、トレーシー以上に不安そうな目で見つめるネネ。こういう時は、大方いつも代わってやっていたはずだ。
だが、今回はさせない。ネネにとっては、トレーシーの動きをしっかり見つめることもまた重要なのだ。
「ところでロレッタちゃん。あのべっぴんさんたちは誰なんだい?」
「新人さんかな?」
「だったら俺、通う頻度上げちゃうかもっ!」
大工どもがトレーシーたちを見て騒ぎ始めている。
見るな。お前らにはもったいない。
「あの二人は、今日と明日だけのアルバイトさんです」
「なんだぁ、明日までかぁ! 残念だなぁ」
「けどまぁ、あんな美人さんだ。多少失敗しても許せちゃうよな」
「分かる! あの人に出迎えてもらっただけでもう満足だよな!」
大工のオッサンどもは、トレーシーとネネがえらくお気に召したようだ。
威厳という衣を脱いだトレーシーは、どこか儚げな育ちのいいお嬢様にしか見えないからな。分からんではない。
ネネもしかりだ。教育の行き届いた良家の娘に見える。……いや、見えるというか、そうなんだろうけど。
「……む。来る」
マグダの耳がぴくりと動く。
ドアの向こうから、客の足音が聞こえたのだろう。
トレーシーが息をのみ、食堂内に緊張が走る。
全員の視線がドアとトレーシーを行ったり来たりしている。
胸の前で手を組み、不安げな表情でドアを見つめるトレーシー。
そんな張り詰めた空気の中、ドアが静かに開かれた。
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