以前歩いた道を進み、俺たちは花園へとやって来た。
「ゎあぁっ」
ミリィが瞳をキラッキラさせる。
念願の花園を見てテンションが上り詰めるところまで上り詰めたらしい。
「すごぃ……すごく、きれぃ…………」
感激で言葉が出てこないようだ。
口を両手で覆い、大きな瞳に涙が溜まっていく。
「そこまで感激してもらえると、領主冥利に尽きるというものだな。いっそ、ウチの子にならないか?」
「さらっととんでもないこと抜かしてんじゃねぇよ、誘拐犯」
ウチのミリィを連れ去ろうとすんなっつの。やらねぇよ。
花園には、相変わらず多くの虫人族が思い思いに時間を過ごしていて……人間が花園に近付くと、一様に顔色を変える。緊張が伝わってくる。
「皆の者。よい日和だな」
ルシアが手を上げて声をかけると、虫人族たちの間に安堵の空気が広がる。
慕われているんだな。……てっきり、花園に来るなり暴走して、手当たり次第触角をぷにぷにして回るんじゃないかと危惧していたのだが。一応、自制心ってヤツはあるらしい。
「おっ!? あんたら、あん時の?」
花園の中を突き進んでいくと、俺たちに声をかけてくる者がいた。
頭に立派な角を持った二人組のオッサン。カブトムシ人族のカブリエルと、クワガタ人族のマルクスだ。
「また会えて嬉しいぜ」
握手を求められたので応じておく。
ごつごつとした、頼りがいのありそうな分厚い手だ。
さすがガテン系ってところか。
「お前らは、いっつもここにいるな。サボってないでちゃんと仕事しろよ」
「仕事の合間に来てんだよ、俺たちは。なぁ?」
「そうですよ。サボってなんかいませんって」
今はまだ午前中だ。
昼前から休憩を取ってる時点でサボりを疑われても仕方ないだろうに。
「領主様。本日もご機嫌麗しく……」
「よい。改まるな。ここではそなたたちの方が優位であると言ってあるだろう」
「はい。ありがとうございます」
片膝をついて尊敬の念を表したカブリエルとマルクスに、ルシアは楽にするよう伝える。
花園では、虫人族が最優先されるらしい。
なんとも豪儀なルールを作ったもんだな。場所限定とはいえ、領民を自分より優位に立たせるなんてのは、なかなか出来るもんじゃない。
「ゎあ……わぁ、ゎぁあ……っ」
花園の中できょろきょろと辺りを見渡し、今にも花に誘われて飛んでいきそうなミリィ。あの花もこの花も全部見たい。顔にそう書いてある。
「喜んでくれるのは嬉しいが、散策は後にするのだぞ」
「ぁ……はぃ…………ごめんなさい」
ルシアが優しい口調で諭すと、ミリィは身を縮め大人しくなった。
恐縮しまくりだな。
「俺たちはもうしばらくここにいるからよ。用事が終わったら、今度こそ飲み明かそうぜ」
「酒みたいに言うなよ」
花の蜜を手に格好をつけて、カブリエルが嬉しそうに言う……が、その前に働けよお前ら。午前中から飲み明かすこと考えてどうすんだよ。
「面白そうな話だな。出来ることなら、私も混ぜてもらいたいものだ」
「そっ、そんなっ!? ル、ルシア様とご同席させていただくなんて……っ、め、滅相もないですっ」
「そ、そそ、そうです!」
「おいおい。ここではそなたたちが優位であると言うておるだろうに」
「そ、それでもですね……っ」
「ふふふ……冗談だ。真に受けるでない」
「ほっ…………人が悪いですよ、領主様」
カブリエルがほっと胸を撫で下ろす。
まぁ、いくら花園内においては優位性があるとはいえ、領主相手に無礼講ってわけにはいかないだろう。
会社の忘年会が無礼講だったとしても、社長相手に非礼を働けるヤツはそうそういない。
カブリエルたちが顔を引き攣らせる理由はよく分かる。
だが……
「冗談だ」と言ったルシアの顔に、わずかばかりの寂しさを、俺は確かに見た。
こいつは、本当は一緒になって飯でも食いたいのだ。大切な領民と。そして、大好きな獣人族、虫人族とな。
「なんなら、俺が相手してやってもいいぞ。無礼講で構わねぇってんならな」
領主といえど、たまには羽目を外したくもなるはずだからな。
「…………」
ルシアが何か言いたげな目で俺を見ている。
感謝の言葉でも述べたくなったか? 行き届いた心遣いの出来る俺に。だったら、少しは接し方を柔らかくしてもらいたいもんだな。
「貴様が私に礼を尽くしたことがあったか?」
「よぉし、分かった。お前は嫌なヤツだ」
こんなにも礼儀正しく接してやってんだろうが、この俺様ともあろうお方がだっ! 感謝しろ、領主風情がっ! かぁぁあー……ッペ!
……うむ。『礼』って、なんだろう?
「ふふん……まぁ、考えておいてやらんではない」
ぽつりと呟かれたその言葉は、どことなく愉快さを感じた。
……ちっ。すぐに顔を背けやがって。どんな顔して今の言葉を言ったのか、確認できなかった。掴みどころのないヤツだ。
出会った当初のエステラもそうだったが、どうも領主ってのは自分ってもんを見抜かれるのを嫌うようだな。……見せてみろよ、素の顔を。ちょっと見せりゃ、全部見抜いてやるのによ。
「ヤシロ。エロい目でルシアさんを見ないでくれるかい?」
「これのどこがエロい目だ!?」
「その目のどこにエロくない部分があるのさ?」
う~っわ、質問に質問で返すとか……お前は売れないホストか?
キスチョコゲームでもさせるぞ、コノヤロウ。
カブリエルたちを残し、俺たちは花園を進んでいく。
会いに行く人物は、花園の向こう――虫人族のテリトリーの中にいるらしい。
花園の端まで来て、「さぁ、出ようか」という時、向こう側からモンシロチョウのような羽を生やしたカップルが花園に向かって歩いていきた。……飛ばないんだ。
大きな羽をひらひらとさせ、仲睦まじく手を繋いで歩いてくる。
「あ、領主様よ」
「本当だ。今日もお綺麗だね」
などと、楽しそうに笑っていたモンシロチョウ人族カップルだったが……ルシアが一歩、花園から外に出た途端、道に片膝をつき頭を下げた。
えっ!?
なに、その態度の豹変ぶり!?
「よい。そんなにかしこまるな」
「いえ。ルールですので」
「領主様に対する当然の姿勢でございます」
先ほどの砕けた口調と雰囲気は一瞬で消え去り、上官の前に連れ出された新兵のような所作で敬意を表するモンシロチョウ人族カップル。
花園の中では虫人族が優位。
しかし、花園を出れば領主と領民…………いや、領主と『亜人』という感じか……
一瞬で空気が張り詰める。
まるで、生殺与奪の権をルシアが握っているかのような、そんな雰囲気だ。
ルシアは無表情にその二人を眺めている。
だが、確実に…………寂しがっている。そんな目をしている。
「ルシア。ちょっと来い」
「むっ、な、なんだ!?」
俺はルシアの腕を引き、もう一度花園へと引っ張り込む。
突然後ろへ引かれ、バランスを崩したようにルシアがふらつきながら花園へと足を踏み入れる。
と、途端にモンシロチョウ人族カップルは立ち上がり、また大きな羽をひらひらと楽しげにはためかせた。
「今日は何色の花の蜜を飲みに来たんだ?」
俺が投げかけた問いに、男の方が優しげな笑みを浮かべて答える。
「彼女が、薄桃色の花の蜜が好きでね。僕たちはいつもそれを……」
と、ここでルシアを花園の外へと押し出す。
「……飲ませていただいております」
うわぁ……なんて極端で…………なんて面白い。
ルシアを花園へ引き込む。
「んで、その花の蜜は甘いのか?」
「そうだなぁ。どちらかといえばフルーティーな感じかな。甘さは控えめで……」
押し出す。
「……口当たりは非常にまろやかなのでございます」
イン。
「こんな美味しい物が毎日飲めるんだから……」
アウト。
「麗しき領主様には感謝の言葉もございません……」
イン。
「ありがとぷー!」
「ぁ、ぁれっ? もんしろちょうさん、なんかおかしな言葉遣いになった、ょ?」
「反動だな」
「ルシアさんで遊ぶんじゃないよ、ヤシロ!」
敬愛と友好。尊敬と砕けた雰囲気を繰り返したことで、どんどん反動が大きくなっていったようだ。
なんというか、砕けた感じも『領主様がそうしろと言ったから、何がなんでもそのように実行しなければいけない』みたいな義務感があるようだな。
「随分と、領民たちから慕われているようだな」
「……貴様には軽んじられているようだがな」
押したり引っ張ったりされたせいで、ルシアの髪の毛が少々乱れている。
まぁまぁ、よかったじゃないか。ほつれ毛って割かしセクシーだって言うしな。ポジティブに受け取っておけ。
「しかしながら……」
乱れた髪をかき上げて、領主特有の威厳を放ちつつルシアが口を開く。
「そなたたちも、もう少し柔軟な対応を覚えるべきだな。几帳面にルールを遵守してばかりでは息が詰まる。お互いにな」
「はっ。……申し訳ございません、領主様」
ルシアは現在花園の中にいるのだが、モンシロチョウ人族のカップルは地面に片膝をついて頭を垂れている。
こういう場面では、優位性云々は解除されるらしい。
「よい。立て」
「はっ」
しかし……「はっ」って…………軍隊かよ。
「向こうが花園に入ってなくても、このルールは有効なんだな」
「『私が花園にいる時は』と、説明してしまったからな……素直な者が多いのも困りものだな」
自虐とまではいかないまでも、当時の自分を皮肉るような言い回しだ。
譲歩したつもりが、かえって相手に負担をかけている。だからと言って、新たなルールを設ければさらに相手をがんじがらめにしてしまうことにも気が付いている。だから、これ以上何もしないし、今は出来ないのだ。
それなりに、苦労はしているんだな。
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