異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

149話 懺悔 -2-

公開日時: 2021年2月26日(金) 20:01
文字数:4,364

「もし、ヤシロさんのそばにいる者が、本当はヤシロさんの思うような人間ではなかったとしたら、ヤシロさんはどうされますか?」

 

 それは、俺のしたくだらないたとえ話によく似ていて……

 

「……例えば、ヤシロさんと一緒に働く人間が…………過去に罪を犯していたとしたら」

 

 けれど、俺の底の浅いたとえ話なんかとは違って……

 

「……その昔、食い逃げという罪を、犯していたとしたら」

 

 衝撃的な告白だった。

 ジネットが……食い逃げ?

 この、悪意とは真逆の世界に住んでいるような……ジネットが。

 

 俺は、よほど間の抜けた顔をしていたのだろう。ジネットがくすりと小さく笑う。

 しかし、その笑みには計り知れない寂しさが滲み出していた。

 

「程度の差こそありますが、生きるという行為の中で、人の中には罪が生まれます。もし、そんなものとは無縁で、どのような罪も犯さずに生きていけるのであれば、それはとても幸福なことです」

 

 説法のようなことを説くジネット。

 だがそれは、俺に話すと同時に、自分にも言い聞かせているような、後ろ暗さを感じさせた。

 

 ジネットはカップを取り、静かにお茶を飲む。

 そして、カップを両手で包み込むように持ったまま、ゆっくりと語り始めた。

 

「ある少女が、教会に引き取られることになりました。彼女が三歳の頃です。それ以前に彼女がどこにいたのか、どのような環境で生まれ育ったのか……両親がどのような人間で、何を思って彼女を手放したのか……そういうことは一切分かりませんでした。彼女は、湿地帯に捨てられていたんです」

 

 湿地帯……

 大量のカエルが生息するあの場所は、人間が誰も寄りつかない。

 そこに子供を捨てるってことは……「この子はもういらない」という明確な意思の表れのようにも取れる。

 

 そのためにわざわざ湿地帯にまで赴いて………………まさか、三十区の崖の上から投げ捨てたんじゃ…………

 

 恐ろしい想像に全身の肌が泡立つ。

 だが、今はそんなことはどうでもいい。どういう経緯で捨てられたのかよりも……その後、捨てられた少女がどう生きてきたのか、その方が気になる。

 

 軽い混乱は残りつつも、気持ちの整理をつけてジネットへと視線を向ける。

 それを待っていたのか、目が合うと、ジネットは再び口を開いた。

 

「教会では、子供たちに隠し事をしません。どのような過去であっても、すべてを話します。もちろん、その子の精神状態を考慮して、話すタイミングは多少ずらされますが……」

 

 もう一度、カップに口をつけ、ジネットは唇を湿らせる程度にお茶を飲む。

 

「その少女には自我というものがあり、自分が捨てられたことを理解していました。ただ……どうしても、両親のことや、実家のことが思い出せないのです。捨てられたショックで記憶が混乱していたのかもしれませんが……やがて時間が経つにつれ、過去の記憶は完全に消滅し、おそらくもう二度と思い出すことはないでしょう……」

 

 それは、心が無意識に自己防衛を行っているためかもしれない。

 あまりにつらい過去は、人間の心をずたずたに引き裂いてしまう。

 精神が壊れてしまわないように、人間の脳は思い出したくないことを思い出せなくすることがある。

 記憶の欠損は、珍しいことではない。

 

「思い出せなくても、自分が捨てられたということを認識していた少女は、それから二年……誰にも心を開きませんでした。毎日、優しく接し、いつでも微笑みかけてくれていたシスター・ベルティーナにさえも」

 

 あのベルティーナにさえ心を開かなかったのか……

 ちょっと想像できない。ベルティーナを避けるジネットなんて。

 

「五歳になる年……教会の慣例で、子供たちは社会奉仕に参加することになっています。といっても、みんなで草むしりをしたり、街の清掃を行ったりという簡単なもので、子供たちはみんな一緒に楽しみながら行っていました。けれど、誰とも打ち解けようとしないその少女だけは、奉仕活動すらうまく出来ず……シスター・ベルティーナについて、一人だけ別の奉仕活動に従事することになったんです」

 

 他の子とうまく出来ない子を大人が個別に管理する。小学校でもよくあることだ。

 ジネットはそんな子供として扱われていたのだろう。

 

「教会では独り暮らしのお年寄りの方の家を訪問して、お話を聞くという活動を行っていて、その少女はそれに同行することになったんです。そして、教会に引き取られて以降ずっと閉じこもっていたその少女は、初めて外の世界に触れました。それが、陽だまり亭だったんです」

 

 教会から一番近い、年寄りの住む家がここだったのだろう。

 祖父さんが一人で経営していたわけだからな。

 

「とてもいい香りがして、多くの人が笑顔で話していて……そこに住むお祖父さんは、初めて見る不機嫌顔なその少女に対してもとても優しくて…………少女には、その場所がとても眩しく見えました……眩しくて眩しくて…………気に入りませんでした」

 

 暗闇に閉じ込められた者は光を求め、切望する。

 だが、自分から暗闇に閉じこもった者は、光を忌み、嫌い、拒絶する。闇に閉じこもる自分の姿を照らしてほしくないから……

 光に照らされれば、惨めな自分がさらけ出されると思い込んでしまっているから。

 

 だが……

 

「あれほど気に入らない場所だったのに……同時に少女はその場所に憧れを抱くようになりました」

 

 ……背を向けるということは、常にそれを意識しているということ……憧れの裏返しなのだ。

 自分には叶わない、そう認めているから、見ないフリをするしかない。

 なのに、「見ない」と目を背けている以上、心の中には常に『それ』が存在し、避ければ避けるほど、憧れる思いは膨れ上がっていく。

 

「そしてある日……少女は教会を抜け出し、陽だまり亭へ向かったんです。今から思えば大した距離ではないのですが……当時の少女にとっては、一人で教会の外に出て、招かれてもいない陽だまり亭へ向かうことは、世界をぐるりと一周するのと同じくらいに、大冒険のように思えたんです」

 

 脱走……ジネットがそんな思い切ったことをする娘だったなんて……意外だ。

 そういえば、俺はこいつのことを何も知らないのだ。

 そんなことを、今さら知った。

 

「教会では、大人にも子供にも心を開けなくて、ここは自分の居場所じゃない……なんて、思っていましたから……その少女は」

「…………」

「だからですね、きっと……明るい場所に引きつけられるような、そんな感じだったんだと思います。とにかく少女は歩いて……歩いて……陽だまり亭へやって来ました」

 

 ふと、ジネットは体をひねり、店の入り口へ視線を向ける。

 つられて、俺もそちらへ視線を向ける。

 

 ……あそこに立って、こっそりと中を窺ったり、したのだろうか? その小さなジネットは。

 

「けれど、入れませんでした」

 

 再びこちらを向いて、ジネットは微かな笑みを浮かべる。

 

「お金……持ってませんでしたから」

「……ん」

 

 短い……「うん」にすらなっていない短い音を漏らす。

 そんな短い音なのに……なんだかしゃべり過ぎたような気分になった。

 場違いなところに割り込んでしまったような……居心地の悪さを感じた。

 

 だから俺は、黙って話の続きを待つ。

 視線をどこに向けたものか悩んでしまうが……とにかく、静かに次を待った。

 

「陽だまり亭は……とても眩しい場所でした。そして…………とてもいい匂いがしていました」

 

 居場所を見失った少女の目には、常連客で賑わうこの場所が眩しく見えたのだろう。

 いい匂いは……まぁ、分かる。

 単に料理の匂いってだけじゃないんだ。

 

 俺が初めてここに来た時も……陽だまり亭からはいい匂いがしていて…………そう、それは、とても懐かしい匂いだった。

 温かくて、優しく包み込んでくれるような……美味そうな飯の匂いってだけじゃない……幸せな、家庭の匂いがしたのだ。

 

「お店には入れない、けれど帰る場所もない……ふふ、当時は本気でそう思っていたんでしょうね……そんな思いを抱いてお店の周りをウロウロしていると、店の裏手に、小さな穴を見つけたんです。老朽化した塀には、子供が一人屈んで通れるくらいの小さな穴が開いていました」

 

 俺が初めて訪れた時の陽だまり亭は相当ぼろかった。塀が朽ちて脆くなり、板が割れて穴が開いていたとしても不思議ではない。

 そして、そういう穴を、子供は目敏く見つけ、そして通り抜けてしまうのだ。

 

「誰かに見つかるかもしれない。怒られるかもしれない。そんな恐怖は、その時はどこかに追いやられていて……少女は中庭を探検して……そして食糧庫を見つけたんです」

 

 当時、教会は今ほど裕福ではなかったはずだ。

 俺がここに来た当初ですら寂れていて、今にも倒れそうなほどおんぼろだった。

 当時の教会に、ジネットを腹一杯食わせてやるだけの経済力があったとは思えない。

 まして、ジネットは以前、「捨てられた子供は遠慮して食事をとらなかった」と言っていた。

 

 それだけ経済的に貧窮していたということだろう。

 そして、誰にも心を開かなかったというジネットもまた……食事を拒否していたに違いない。

 

 そこにきて、陽だまり亭の食糧庫だ……

 

「罪悪感はありませんでした。ただ、目の前にある食べ物に惹かれて……少女はそれに手を付けました。何かに憑りつかれたかのように、夢中になって食べました。そして…………」

 

 ジネットは、祖父さんに見つかった。

 

「……心臓が止まるかと、思いました。少女はパニックを起こし、何かを……たったの一言すら……本当に何も言えずに、気が付いた時には走り出していました。無我夢中で逃げ込んだ先は、やっぱり教会でした」

 

 悪事を見つかった時は、大人だってパニックを起こす。

 開き直って危害を加えてくるようなヤツも、パニックを起こした結果凶行に及んでしまうのだ。その時、罪人が抱く感情は……恐怖。

 その恐怖から逃れるためになら、人はどこまでも残忍になれる。

 

 もっとも、その後に来る後悔は筆舌に尽くしがたいものなのだが。

 

「後悔をしました。教会を抜け出したこと、陽だまり亭へ行ったこと、中庭へ忍び込んだこと……そして、盗み食いをしたこと…………少女は不安で不安で、その日は一睡も出来ませんでした」

 

 逃げ帰った教会でも、味方と呼べる者は一人もいない。

 ……相当、つらかっただろうな。

 

「結局一睡も出来ないまま夜が明け……顔を洗おうと寝室を抜け出すと……教会にお祖父さんがいたんです。そして、シスターと話をしていました…………その時少女はこう思いました…………あぁ、これでまた捨てられる……と」

 

 自ら輪を外れ、孤独に身を置くような態度を取っておきながら、ジネットは他の誰よりも孤独を恐れていたのだろう。

 そして、自分が犯した罪の重さも、正確に把握していた。

 

「ですが…………少女の思惑は外れます。そして……」

 

 ふふっと、ジネットは笑いを零した。

 

「思ってもみないことが起きたんです」

 

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