「そうだ。一つ頼みたいことがあるんだが」
「弟へのアポイントかしら?」
う……ドンピシャだ。
察しがいいというレベルを越えて、こいつは本当に読心術を心得ているんじゃないかと疑いたくなるレベルだ。
さすがは、領主になるために生まれ、生きてきた人物……ってとこか。
もし、弟が生まれなければマーゥルが領主になっていたわけで。そうなればおそらく、今ほど奔放な行動も取れず、ここまで穏やかな雰囲気を纏ってもいなかっただろう。
……もしかしたら、ルシア以上に手強い領主が誕生していたかもしれないってわけか。……くわばらくわばら。
なんとなくだが。マーゥルが領主だったなら、俺は盗んだ香辛料を売ろうとした段階で身柄を拘束されていたんじゃないだろうか、この二十九区で。
そんな気がする。
「もし、弟がヤシぴっぴと一対一で対峙するようなことがあれば……きっと簡単に言い負かされてしまうでしょうね」
にっこりと、こちらが考えていたことを見透かしたような言葉を寄越してくる。……敵じゃなくてよかった。とりあえず、今のところは。
「でも、ごめんなさいね。私から弟へのアポイントは取り付けられないの」
「なぜです?」
エステラも、領主へのアポが欲しいと思っていたのだろう。無理だというマーゥルに詰め寄っている。
「私は与しやすいから」
…………は?
「ほら、私って、ぽ~っとして、ほけ~っとして、おっとりさんでしょ? 口のうまい人にまんまと丸め込まれて、領主の身内という権限を利用されかねないじゃない? だから、私から領主への干渉は出来ないの。意見を言っても、きっと多数決で却下されるわ。そういう家なのよ、ウチは」
…………ここの領主、アホだ。
「ありがとう、マーゥル。すげぇいいヒントをもらったよ」
「あら、そ~ぅ? うふふ」
マーゥルがぽや~っとしていて与しやすい?
こいつは、自分の利益になるところでは大いに協力してくれるだろうが、不利益になると思えば抵抗してくる厄介な相手だ。
話していればそれくらい分かる。
なにせマーゥルは、これまでの人生で、手に入れたいと思ったものはすべて手に入れてきているのだ。
ここの領主は、こんな辺鄙な場所に館を建ててマーゥルを追いやったつもりにでもなっているのだろうか。
滝の監視なんて言葉で、自分には決定権がないようなことを口にしていたが、とんでもない。ここの滝は、完全にマーゥルに掌握されている。
館の裏庭から、崖に向かって広がる広大な庭園。
これだけ立派な庭園だ。花屋や造園業の連中には知れ渡っているだろう。近隣の者も、その存在くらいは知っているに違いない。
もし、あの滝を何かに利用しようとした場合、マーゥルのこの館が確実に邪魔になる。あの庭園も壊すことになるだろう。
そんなことをしたら、住民がどう思うか。
「領主は、利権のために姉を追い出し、美しい庭園を破壊した」
そんな噂を立てられでもすれば、異常なまでに同調圧力が強いこの街では致命的な悪評となり、最悪――領主を続けられなくなる可能性だってある。
セロンにしたってそうだ。
マーゥルが欲しかったのはセロンではない。
マーゥルが欲したのは、セロンのレンガ――もっと言えば、セロンが思う存分レンガを作れる環境を整えたいと思ったのだ。
そして、それはウェンディという存在が現れたことで守られ、さらなる副産物を与えてくれた。
もしかしたら、精霊教会へ寄付したのだって、教会が存続できなくなることで四十二区が衰退するのを防ぎたかったから、かもしれない。
セロンとウェンディ……光るレンガを守るために。
「けれど、弟にはいつか会えると思うわ。そう遠くないうちに、必ず」
まるで予言めいた言葉を口にして、マーゥルは紅茶に口を付けた。
話は終わり、ということらしい。
マーゥルは変えたがっている。この二十九区を。
『BU』という共同体に縛られた、不自由なこの街を。
そのために、俺たちを利用しようとしていやがるのだ。
この街の実態を見せ、聞かせ、そして匂わせる……一対一なら、今の領主は俺の敵ではない……なんてことを。
『BU』を突き崩せば、この街は生まれ変わる。
マーゥルは、それを俺にやれと言っているのだ。
「報酬は高くつくぞ」
「あら? なんの話かしら?」
……こいつ。
そんなとぼけた返事を聞いて、俺は確信する。
マーゥルは侮ってはいけない女だということを。
「ヤシぴっぴは頭がいいから、きっといろいろ考えちゃうんでしょうけれど、これだけは忘れないでね」
これまで、自分は椅子に座ったまま周りの者を呼び寄せていたマーゥルが立ち上がり、自分の足で俺へと近付いてくる。
そして、俺の目の前に来るや、両手で俺の右手をそっと握りしめる。
「私は、ヤシぴっぴが大好きよ」
……その言葉、今のところは信じておいてやるよ。
「『BU』のボスは後回しにするとして、他の領主で会えるヤツがいるなら会いに行ってみるか」
エステラに言葉を向けると、マーゥルの手がそっと離れていった。
仮契約ってところかな、さっきの握手は。
出来ればよし。出来なくてもそれはそれで仕方ない。
だが、最善は尽くしてほしい。
そんなところだろう。
「それじゃあ、アポイントが取れ次第、他の領主に会いに行くとしようか」
エステラがナタリアに目配せをする。アポイントを取れという意思表示なのだろうが、マーゥルがそれに待ったをかける。
「それならまず、二十七区の領主に会うといいと思うわ」
二十七区は、俺たちがここへ来る際、必ず通る区だ。
高低差の激しい外周区と『BU』。その両者の高さが同じになるのが三十八区と二十七区が接するポイントなのだ。
「彼女になら、私からアポイントを取りやすいから紹介状を書いてあげるわね」
「二十七区の領主と面識があるんですか?」
「えぇ。ちょっとね。彼女とは、趣味が似ているのよ」
にこにこ顔でシンディに手紙の用意をさせるマーゥル。
エステラはマーゥルが手紙を書く様をすぐそばで見守っている。
なので、俺はルシアに尋ねる。
「二十七区の領主って、どんなヤツなんだ? 『彼女』ってことは、あの時いた唯一の女領主だとは思うんだが」
『BU』の面々と会談した際、その中に一人女領主がいた。
そいつは、多数決で反論を封殺されかけた俺たちの意見を聞くべきだと進言してくれたヤツでもあり、もしかしたら、こちらにとって都合のいいように動いてくれる人材なのかもしれない。
「二十七区の領主は、トレーシー・マッカリーという若い娘だ。二年前、十七の頃に領主になったばかりでな、周りからの『新米領主』というイメージを払拭するためにかなり強引な政策を取り続けている人物だな」
若い女。それだけで、風当たりは相当に強そうだ。
そんな周りの意見を押さえつけるために、我武者羅に働いているというのであれば、少々厄介な相手になるかもしれない。我武者羅と意固地は、時に錯覚されがちだからな。
「舐められたくない」という一心で、有益な話にすら耳を塞いでしまうことがある。
だが、そういうヤツだからこそ、仲間に引き込みやすいという側面は、確かにある。
マーゥルがわざわざ勧める人物だ。何かある。
俺に付け入る隙があるのか……最も厄介な相手なのか……とにかく、真っ先に攻略しておくべき相手なのだろう。
マーゥルはアッスントと同じで、厄介な相手だが利害が一致している時は信用できる、そういう人間だ。
なら、まんまと思惑に乗ってやるさ。
「二十七区へは同行できぬぞ」
突然、ルシアがそんなことを言う。
「私も、ずっと暇というわけではないのでな」
至極当然なことを口にしたその表情は、見ようによっては、心配してくれているようにも見えた。
「そんなに寂しがるなよ、ルシア」
「ほざけ。貴様が、だろう」
互いに不敵な笑みを交わし、真意を有耶無耶にする。
慣れ合うような関係じゃないだろう、俺らは。……ま、そう心配すんな。うまくやるさ。
「ヤシロ。紹介状をもらったよ」
そして、こっちはこっちでやる気満々の表情を浮かべている。
エステラは切れ者ではあるが、ルシアやマーゥルのような経験値がまだ少し足りない。
今回の件でいろいろな領主とやり合えば、そこも補えるだろう。
……最も厄介な『敵』を育てる感覚に似ているな。
エステラが鋭くなればなるほど、俺は悪事を働きにくくなるんだけどなぁ。
「どうしたんだい、面白い顔をして? ……元からだけど」
「やかましい。用が済んだなら、さっさと帰るぞ」
「あ、うん」
改めてマーゥルに礼を述べ、俺たちは二十九区を後にした。
と、その前に、『ちょっとしたお願いごと』をしておいた。これが実現すれば、何かと楽になるだろう。
そして馬車に揺られること数時間。
四十二区へとたどり着いた時には、とっぷりと日が暮れていた
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