異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

36話 四十二区のスラム街 -4-

公開日時: 2020年11月4日(水) 20:01
文字数:3,563

 陽だまり亭を出て、少し大通りの方へと向かってから、一度も曲がったことのない細い道を曲がり、その奥へと踏み込む。

 俺たちは北上していく。……やはり、目指しているのはスラムのようだ。

 

 森を突っ切ると、空気が変わった。

 どこかピリピリと肌を刺すような雰囲気に包まれ、緊張感が上がっていく。

 鬱蒼と茂る森が、外界とここを遮断しているように見える。

 まるで、異世界にでも紛れ込んでしまったような、落ち着かない感覚に襲われる。

 

 スラムの入口に立ち、その向こうへと視線を向ける。

 

 朽ちた木製の家屋が点在し、稀に崩れたレンガの壁なんかも視界に入る。

 人っ子一人いない寂れた集落…………そのくせ、ずっと誰かに見られているような居心地の悪さを感じる。

 

「……誰も、いないですね」

 

 不気味な空気に当てられて、ジネットが不安げな声を漏らす。

 そっと、俺の服の肘の部分を摘まんでくる。

 

「今、この地区には、あたしの家族しか住んでないですから」

 

 さらりと、ロレッタは自分の家がスラムにあることを告げる。

 しかし、一家族しかいないのか。どうりで静かなわけだ。

 

「スラムを潰せって言う人たちがいて……みんな出て行っちゃったです」

 

 スラムを潰せ……か。

 気持ちは分からんでもないが、その意見には賛同できないね。

 吹き溜まりや肥溜めは、鼻を摘まみたくなるものではあるが、なくすといっそう酷い惨状を招く。火を見るより明らかだ。

 

「それじゃ、ウチへ案内するです」

 

 ロレッタが率先して歩き出す。

 俺たちも後に続こうと足を踏み出したのだが……

 

「あ、お兄さ……ヤシロさん! 足元気を付けてくださいです!」

「はっ?」

 

 片足を上げたまま、だるまさんが転んだ状態で制止する。

 なんだってんだよ?

 あと、別に「お兄さん」って呼びたきゃ呼んでもいいぞ。

 

「この近辺には、余所者の侵入を防ぐために落とし穴が掘られているです」

 

 そんな、子供騙しな…………あ、ロレッタの弟たちってことは、子供なのか。

 浅知恵なり……

 

「危ないですので。あたしの通った後に続いてきてくださいです」

 

 安全なルートを通るから、RPG風についてこいってか?

 

 足元を見ると、俺がまさに踏もうとしていた地面がこんもりと膨らんでいた。そこだけ土の色が違い、明らかに後から土を被せたのだと分かる。

 

 ……クオリティ、低っ!

 

 こんなもん、アホでもない限り引っかからねぇぞ。

 まぁ、最初に知らされてなければうっかり落ちてしまったかもしれないが……

 

 盛られた土は直径30センチほど。

 子供たちが頑張って掘りましたと言わんばかりのしょぼい規模だ。

 深さもせいぜい十数センチがいいところだろう。

 これはアレか? 部外者がこの穴に嵌って躓いたり転んだりしたところを、子供たちが一斉に水とかペンキとかで攻撃してくる、映画とかにありがちな感じのヤツか?

 あのなぁ……ペンキまみれになって「わぁ~、退散だ~」なんてなる大人、実際にはいねぇぞ? 火に油を注ぐようなもんだぜ?

 

 ま、その前に、このクオリティじゃ引っかからないわな。

 折角頑張ったところ悪いけど、大人は子供に構ってやってるほど暇じゃないんでな。

 

 俺は持ち上げていた足を、こんもりと膨らんだ土をよけるようにして下ろした。

 

 その瞬間――

 

「のわぁぁああっ!?」

「ヤシロさん!?」

「お兄さんっ!?」

 

 世界が反転した。そして、暗転した。

 

 ズザザ……と、凄まじい音を立て、俺が足を下ろした大地が地底へとのみ込まれたのだ。

 足を置いた土の下には何もなく、ぽっかりと巨大な空洞が広がっていた。故に、俺の体重を支えるものは存在せず、ごく当たり前のように、俺の体は重力によって落下していった。

 

 大量の土と、カラカラに乾いた木の枝が降り注いでくる。

 

「ヤシロさ~ん! ご無事ですかぁ~!?」

「お兄さん、なんであたしの後についてこないですか~!? 落とし穴があるって言ったじゃないですかぁ~!」

 

 落とし穴……?

 

 見上げると、土壁に囲まれた大きな穴が空に向かって口をあけている。その縁に、ジネットとロレッタがいて、穴の底を覗き込むようにこちらを見ている。

 これが、落とし穴……

 直径はおよそ2メートル。

 深さはおそらく……5メートルはあるか…………

 人命尊重の精神なのかなんなのか、穴の底にはふかふかのワラが大量に敷き詰めてあり、落下による怪我や骨折、捻挫といったものを負うことはなかった。

 

 ただ、心臓はバックバクだけどな。

 

「今ロープを降ろすです~! ちょっと待っててくださいです~!」

 

 俺に声をかけて、ロレッタの首が引っ込んだ。

 

 ちきしょうめ……まんまとやられた。

 あの、あからさまにチープな盛り土は引っかけだったんだ。

「そこに落とし穴がある」と誤認させるためのフェイク。

 その不自然な盛り土に気付いて、余裕しゃくしゃくで落とし穴を回避……したと思ったら本物の落とし穴にレッツダイブ――と、そういうシナリオか…………ふふふ……まんまと嵌ってしまったわけだ、策略と落とし穴、同時になっ!

 

「ちっきしょう! ……犯人を見つけたらただじゃおかねぇからな…………」

 

 久々に腹の底からどす黒い感情が湧き上がってきたぜ。

 子供のすること?

 はっはっはっ、この落とし穴が子供のする規模か?

 完全にプロの仕事じゃねぇか。

 なら、遠慮するこたぁねぇ。

 

 こっちも、プロの詐欺師として全力で報復させてもらおうじゃねぇか。

 

「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふうふふふふひっふはっふひっふひひひひひ……」

「あ、あの、ヤシロ……さん? なんだか、不気味な声が漏れてますけど、だ、大丈夫ですか?」

 

 だ~いじょ~ぶだよぉ~。

 ぜ~んぜん、ふだんど~りだからぁ~。 

 うふふふふ…………

 

「あ、あの! すぐにロレッタさんがロープを持ってきてくださるはずですので、それまで待っ…………きゃあっ!?」

「ジネット!?」

 

 突然響いたジネットの悲鳴に、心臓が軋む。

 鼓動が速くなり、目の前がクラクラする。

 ……なんだ? 何があった!?

 

「ジネット! どうした!? 返事しろ!」

 

 しかし、ジネットからの返事はない……

 くそっ!

 

 俺は近場の壁に足をかける。

 全部が土なら、指で掘り進めりゃ出られなくはないはずだ!

 

 何度か壁を蹴り上を目指すが、無情にも俺の体がその度に滑り落ち、穴の底へと引き摺り戻される。

 ちきしょう!

 上はどうなってやがるんだ!?

 

 焦りから、再度頭上を仰ぎ見る。

 …………と、一つの影がこちらを覗き込んでいた。

 ジッと、窺うように……

 

 その影は、どっからどう見ても、ネズミだった。

 ただしデカイ。先ほどジネットたちが覗き込んでいた時と比較して…………おおよその身長は80センチ前後というところか……

 

 あいつが、この落とし穴を掘った犯人?

 

 だが待て。

 このスラムにはロレッタの家族しかいないはずだよな?

 ロレッタはどう見ても人間だし……家族がネズミってのはおかしくないか?

 

 一体、何がどうなってやがるんだ……

 

「あ~っ! こら、あんたたちっ!」

 

 聞き覚えのある声が、聞き慣れない口調で怒鳴り声を上げる。

 その瞬間、穴を覗き込んでいたネズミがビクッと体を震わせた。

 

 焦った風に背後を窺い、そして、脱兎の如く逃げ出した。

 

 ……今度はなんだよ?

 

「大丈夫ですか、お兄さん!? あのバカに何かされませんでしたですか!?」

 

 あのバカ……? 随分親しげな言い回しだな。

 

「俺は大丈夫だ! それより、ジネットはどうした!?」

「店長さんなら平気です! なんだか、わきゃわきゃされて大変そうですけど、怪我はないです!」

 

 まるで状況が理解できない!?

 わきゃわきゃ!?

 なにそれ!?

 ジネット何されてるの!?

 

「すみませんです。ウチの弟たちが……とにかく、今ロープを降ろしますんで上がってきてくださいです。上で、弟たちを紹介しますですから」

 

 そう言った後、ロレッタは等間隔に結び目がつけられたロープを穴の中へ降ろしてきた。

 二度ほど強く引っ張ってみたが、しっかりと固定されている。どこかに括りつけてあるのだろう。

 

 俺はそのロープを掴み、足を壁に掛けながら、土壁を登り始めた。

 これなら登れる。……ただ、さっき無茶したせいで指先が滅茶苦茶痛いけどな。

 

 それにしても……弟たち、か。

 やはりあのねずみはロレッタの弟だったわけだ。

 ってことは、ロレッタはネズミ人族ってことか?

 尻に細長い尻尾でもついているのだろうか。……あとで見せてもらおう。

 

 痛む指を酷使して、なんとかかんとか垂直の壁を登りきった。

 地面が近付くと、ロレッタが手を差し伸べてくれた。その手に掴まり、引き上げてもらう。

 

 ようやく穴から出ることが出来た。

 

 ………………の、だが。

 

「紹介するです。これが、あたしの弟と妹たちです!」

 

 そこには、百人近いネズミ人族が群がっていた。

 

「大家族過ぎるだろ、おいっ!?」

 

 

 ちなみに、ジネットは――

 満面の笑顔を振りまく小さな子供たちに揉みくちゃにされて、なんだかわきゃわきゃしていた。

 子供に懐かれ過ぎる性質も、時には不幸なんだな。

 

 

 

 

 

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