「いや~、なかなか面白い子だねぇ、君ぃ~」
マーシャが俺の顔を覗き込むように見上げてくる。
とろけるような瞳が妙に色っぽい。
「お近付きの印に、握手しよ~」
の~んびりとした口調で手を差し出してくる。
白魚のような指が揃えられ、俺に差し出される。
「あぁ。そうだな。こちらこそ、よろしく頼む」
その手を掴もうとした時、不意にマーシャが手を大きく広げた。
「じゃじゃ~ん!」
マーシャの指の間には、透き通るような、薄い水かきがついていた。実際半透明で、向こうが微かに見える。
「くすくす……驚いたぁ?」
イタズラ大成功!
――と、でも言いたげな顔でくすくす笑うマーシャ。なの、だが……
正直なところ、「じゃーん!」という効果音の古臭さに意識が取られて水かきに関してはたいして驚いてはいなかった。その前にキャルビンの水かき見てるしな……
だが、海漁ギルドのギルド長とは友好関係を築いておいた方がいいだろう。
ここは話を合わせるんだ。話と、世代を。
そう、これは接待だ。
恥を捨てろ、オオバヤシロ。海魚を融通してもらうために!
「ど、どっひゃ~! びっくらこきまろ~!」
両手を上げて、驚いた風を装う。
…………しぃ~んとした沈黙が耳に痛い。
完全に、滑りましたけど、何か?
あ……胃が痛い。
「……っぷ!」
と、静寂の中でマーシャが可愛らしい破裂音を漏らす。
「ぷくふふふ…………なにそれぇ~、ふるくさ~い!」
お前に合わせた結果だよっ!
「面白いねぇ、君ぃ~。名前は、えっと…………ヤシロ君だっけ? うん。覚えちゃったよぉ」
水かきのついた指で目尻に溜まった涙を拭う。
そして、柔らかな微笑みを浮かべ、再度手を差し出してくる。
「改めて、海漁ギルド・ギルド長のマーシャ・アシュレイだよ。よろしくね」
「オオバヤシロだ」
マーシャの手を取り握手を交わす。
ヌメヌメはしていない。むしろスベスベだ。
俺は、そんなスベスベの手を握ったまま、マーシャに向かって商談を持ちかけてみる。
「実は、俺はゴミ回収ギルドというものをやっていてな……」
「あ~、うん、知ってるよぉ。ノリに乗ってるらしいねぇ」
「そこで、海漁ギルドとも一つ取引を……」
「ごめ~ん、それ無理なんだよねぇ~」
この人、せっかちだなっ!?
「行商ギルドにいや~な圧力かけられちゃってさぁ……まぁ、全区規模のギルド同士の付き合いもあるし、私たちみんな下半身がこうだからさ……」
と、尾ひれをぴちぴちさせてみせる。
「……行商ギルドとの取引がぎくしゃくすると困るんだよねぇ」
「まぁ、……それはそうか」
「はっきりとさぁ『ゴミ回収ギルドには海魚を売るな』って言われちゃってねぇ」
この街において明言するというのは、単に言質を取られたということだけには留まらない。会話記録にも記録されるし、それを利用して『精霊の審判』だって発動できる。
はっきり『売るな』と圧力をかけたのだとしたら。行商ギルドの本気度が窺えるというものだ。
付き合いがある以上、海漁ギルドも無下には出来まい。
くそ。これで海魚を売ってもらうことが出来なくなってしまった……
たぶん、厚意でもらうことは出来るのだろうが……それが頻繁に続くとまた目をつけられることになるだろう。
先手を打たれていたか……
「でも、ヤシロ君を気に入ったのは本当だから、仲良くはしよ~ね~」
「あぁ。そう願いたいもんだな」
とはいえ、完全に望みが絶たれたわけではない。
人脈は作っておくに限る。
「じゃあ、次。店長さんも~」
マーシャは俺の手を離すと、今度はジネットに向かって手を差し出す。
ジネットは慌てた様子で自分の手をエプロンで拭き、マーシャの手を取ろうと腕を伸ばした。
「隙ありぃ~!」
その瞬間、マーシャの手はジネットの腕を素通りしてジネットの胸へと伸び……躊躇いなく鷲掴みにしたっ!?
「ぅにゃあっ!?」
ジネットが悲鳴を上げ、胸を押さえて蹲る。
「すごぉ~い! ぽよおんぽよ~んっ!」
「やめろ、バカっ!」
マーシャの後頭部をデリアが小突く。
「いたぁ~い!」
頭を両手で押さえ、マーシャが不満そうな目をデリアに向ける。
……手加減できるんだ、デリア。小突いた瞬間に首が吹っ飛んでいかなくて、本当によかった。
この世界には、新しい顔を絶妙のコントロールで投げつけてくる面長の女の子もいないだろうしな。首は大切にしないとな。
「だってさぁ、あ~んな大きいのぶら下げてたら、あれはもう『触ってくれ』って言ってくれてるようなもんじゃな~い?」
そうなのかっ!?
「ジネット、俺と握手しないか?」
「懺悔してくださいっ!」
やっぱダメか。
つか、その理論で行けば、当のマーシャだって触っていいことになる。デリアもだ……が、デリアはやめておこう。二発目は……俺の肩がもたない。前に受けた衝撃がまだ抜けていない気がするんだよな……
「ごめんねぇ~。嫌わずに仲良くしてね?」
「あ、は、はい。それは、もちろんです」
頬を染めながらも、ジネットは笑顔をマーシャに向ける。
そういう甘い顔をするとまた揉まれるぞ。
「マーシャ。イタズラするなら海に連れて帰るぞ」
「あはは。ごめんごめん。久しぶりの内陸で、テンション上がっちゃってねぇ」
ぽりぽりと頭を掻くマーシャ。
海から出ることはそうそうないようだ。
まぁ、下半身が魚だからな………………ん?
「あぁ…………足…………脚…………脚線美…………はぁはぁ……」
店の床に、緑のヌメヌメした変質者が転がっていた。
……キャルビンだ。
「あ~、ごめんねぇ。キャルビン、気持ち悪いでしょう?」
「あぁ、二つの意味でな」
ヌメヌメの先天的な気持ち悪さと、はぁはぁしている後天的な気持ち悪さだ。
「あんまり罵っちゃダメだよぉ~」
マーシャが正直者の俺にそんな忠告をしてくる。
ギルドの仲間を擁護しようというのか?
「罵ると、その人喜んじゃうから」
「二度と罵らないと誓おう」
こんな気持ち悪いヤツに喜ばれて堪るか。
「あ、あの……さっきから、酷い……いえ、やっぱいいです、気持ち悪くて……なんか、すいません……」
なんというか、絡みにくいネガティブさだな……
「キャルビンはね、極度の脚フェチなの」
「脚フェチ?」
「無いものねだりだろうねぇ~。私たちの一族、脚が無い娘がほとんどだから」
「あぁ……それで」
「ごくまれに、下半身が人間で、腰から上が魚って女の子もいるけど」
「何それ、キモイっ!?」
「でも、すごくセクシーだよ? ……ホ・タ・テ・で隠してるし」
「いや、囁くように言ってもセクシーに思えねぇよ、そんな奇妙な生き物!」
イワシの胴体から人間の下半身が生えている姿を想像して、朝に食ったものをリバースしそうになった。そして、剥き出しの下半身に、一枚のホタテ貝…………うん、一切セクシーじゃない!
「あぁ…………内陸…………最っ高…………なんか、すいませんっ!」
うん。そこは謝っとけ、全力で。
キモイから。
「あ、あの……店長さん!」
「は、はい!?」
突然、這いつくばった半魚人が気持ちの悪い動き方でジネットへ接近していった。
「ここの定食食べますので……ふ、……踏んでいただけませんかっ……出来れば生足で……っ!」
「も、申し訳ありませんが、そういったサービスは行っておりませんので!」
「じゃあ、……定食、二つ、頼みますのでっ!」
「申し訳ありませんがっ!」
「じゃあ……じゃあ、五つ……っ!」
「やめんか、ド変態っ!」
半魚人の横っ面を、土足で蹴り飛ばす。
横顔にくっきりと足跡が残るくらいの強さでだ。
ジネットにちょっかい出してんじゃねぇよ。
ぶっ飛ばすぞ?
……もう、ぶっ飛ばしたけど。
「あぁ…………なんか、すいません…………」
ようやく正気に戻ったか。
「男の人の足でも、ちょっと気持ちいいなぁ……とか、思っちゃって……なんか、すいません……」
「退場っ!」
一発レッドカードだ。
店の風紀を乱す客には強制退場処分だ!
物凄く嫌そうな顔をするウーマロに有無を言わさずその役目を押しつけ、キャルビンを店の外へと連れ出させる。
店の前に、巨大な水槽が設置されている荷車が置かれていたので、その水槽の中に放り込んでおいた。
おそらくマーシャは、この水槽の中に入ってここまで来たのだろう。
今は半魚人が、若干恍惚とした表情を浮かべてまりもみたいに浮き沈みを繰り返している。
ここまで癒されない海洋生物も珍しいよな。
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