「お~い、ヤシロー!」
そろそろ戻ろうかという段になって、エステラがトレーシーを伴ってやって来た。
何やってんだ、あいつは? トレーシーから目を離すわけにはいかないからって陽だまり亭に残ったくせに。
「へぇ! これがとどけ~る1号かい? 立派なもんだねぇ!」
四十二区の新施設に瞳をキラキラさせるエステラ。
隣でトレーシーもぽかーんと口を開けて見上げている。
「何かトラブルでもあったのかい? ノーマがすごく焦ってるけど」
「あぁ、ちょっと着地の時の動作が不安定でな」
「どれ。ボクがちょっと見てあげよう!」
腕まくりをしてしゃしゃり出て行くエステラ。……いや、ノーマが苦戦するようなもんに、お前が首突っ込んだところでだな……
だが、折角なので、この隙にトレーシーに確認しておく。
「エステラ。『見に行きたいな~』オーラでも出まくってたのか?」
「はい。それはもう」
愛おしそうにエステラを見つめ、その時の様子を思い出しているのか頬をほんのりと染めるトレーシー。
ここまでの道のりも、ちょっとしたデート気分だったことだろう。
「エステラ様は私から目を離せないと思いましたので、ご一緒しませんかと、勇気を出してお誘いしたんですっ!」
「そんな、勇気とか……デートに誘うわけでもないだろうに」
「は? デートでしたけど?」
怖いっ! なんか顔がすげぇ怖い!
思い出を踏みにじられた人の殺意を感じる。
「『結婚式』が行われた教会への道は、カップルで訪れたいデートスポットナンバーワンなんですよ」
またにっこりと微笑みを浮かべて、どこ調べかも定かではない情報を俺に寄越してくる。
その結婚式のアレコレで、今おたくの『BU』とトラブってんだけどな。
「あぁ……素敵な時間でした…………結婚を前提とした、初デート」
重っ!?
ちょっとしたデート気分どころじゃなかった!?
お見合いパーティーばりに真剣だったのか、こいつは!?
「それにしても…………壮絶ですね、ここは」
周りに転がっている筋肉の塊たちを睥睨し、トレーシーが頬を引き攣らせる。
こんな見苦しい光景はそうそう見られないからな。さぞ、精神を蝕んでいることだろう、可哀想に。
「まぁ、突然動き出したりはしないから、踏まないようにだけ気を付けておけばいいよ」
踏むと、靴が汚れるし、中には喜んじゃうヤツもいるからな。
「ヤシロー、ちょっと来てくれるかい?」
ノーマの隣でこちらに向かって手を振るエステラ。
……だから言わんこっちゃない。分からないことに首を突っ込んで、他人を巻き込むんじゃねぇよ。俺にも分かんねぇぞ、たぶん。
「エ、エステラ様がこちらに手をっ! ……ごふっ!」
「いや、……あいつ俺に手を振ってんだよ」
「おこぼれでも十分です、私は……」
「おこぼれで鼻血噴いてたら、血液すぐなくなるぞ……いいから、拭け。な?」
高そうなハンカチで鼻を押さえながら、なんでか幸せそうなトレーシーを伴って、エステラのもとへと向かう。
木箱は2メートルほど持ち上げられている。動きでも調べているのだろう。
「ねぇ、どの歯車が悪いの?」
「そんなもん、見ただけで分かるかよ」
一目で数ミクロンの歪みが判別できるビックリ人間じゃねぇんだよ、俺は。
数百年生きる伝説の刀鍛冶師――とかなら、それくらいの芸当をやってのけるのかもしれないけどな。
「こりゃ、歯車を一つ一つ交換していくしかなさそうさね……はぁ……」
一個ずつ交換していけば、いつか悪い歯車に当たる。
だが、そのためにはすべての歯車をもう一個ずつ作らなければいけない。
ノーマの肩が自然と落ちる。……おっぱい、ぷるん。
「人が落ち込んでる時に、どこ見てるさね? ……手伝わせるさよ?」
胸元を押さえて、ノーマが憎々しげに視線を寄越してくる。
こんな拗ねた反応は珍しい。思わず手を差し伸べてやりたくなるような破壊力じゃないか。
「まぁ、手伝いくらいはしてやるよ」
「ホントさね!? 絶対さよ!? 男に二言はないさね!」
なんか……すげぇ喜ばれた。
「それじゃあ、木箱を一回降ろすさね」
そう言って、歯車に直結したレバーを操作する。……と、するする~っと木箱が下降してくる。
ゆったり降りてくる木箱を、興味深そうに眺めるエステラとトレーシー。
しかし、地面に着きそうになった時、「ガッコンガッコン!」と激しく暴れ狂う木箱に「びくっ!」と揃って肩を揺らす。
トレーシーなんか、突然の暴走に驚き過ぎて「きゃあ!」なんて可愛い悲鳴を上げて体をのけぞらせていた。
そして、そんな動作をすれば、あまりにも大きな物体を無理やり押さえ込んでいる布に必要以上の負荷を与えることとなり――
ばっいいぃぃぃぃぃぃんっ!
と、サラシを突き破って目覚めたドラゴンが首をもたげるように二つの膨らみが出現した。
その驚きの光景に、辺り一面で倒れ伏していた筋肉の塊どもが敏感に反応を示し――
「「「「「イリューゥゥゥゥゥゥジョォォォォォォーーーンッ!」」」」」
一斉に体を起こした。
さながら、ハロウィンに墓場の下のゾンビが一斉に地上へ這い出してきたかのような光景だ。
じゃあなんだ、トレーシーはネクロマンサーで、あのおっぱいはネクロノミコンか?
大きなおっぱいには魔法が宿るんだね!?
「さぁ、陽だまり亭期間限定アルバイトのトレーシー。仕事に戻るんだ」
「「「「「棟梁! 俺たち、お腹がぺこぺこなので、陽だまり亭に行ってきますっ!」」」」」
うむ。
これでもうひと儲けが出来そうだ。
ただまぁ、大したもので……金物屋の筋肉たちは、一切反応を示さなかったな、ネクロノミコンに。
「うぅ……オオバヤシロさん……『突然動き出さない』って言ったのに……」
いや、そこはほら、状況が変わったからさ。
お前が魔法を使うから、男たちのHPが回復しちまったんだよ。
エステラには、生涯使えないであろう魔法をな。
様々な懸案事項を抱えつつも一応の完成を見たとどけ~る1号。
アッスントは無事マーゥルに会えたようで、ソラマメの流通もスムーズになるだろう。
そうそう、マーゥルの手紙の最後に書かれていた追伸に、俺は少しだけホッとしていた。
『追伸。ソラマメの流通の話が持ち上がって、少しの間だけど二十九区の領主はその対応に追われると思うわ』
ほんの少しだけ時間が稼げた。
『BU』への損害賠償を払うか、突っぱねるか……その決断を迫られる日がほんの少し遠のいたということだ。
その間に、二十四区の領主と麹職人に会いに行けと、そういうことなのだろう。
やらなきゃいけないことが多過ぎるが、反面時間はなさ過ぎる。
今は、マーゥルの厚意を甘んじて受けておいてやろう。……たとえそれが、マーゥルの手の上で踊らされている状況だとしても、な。
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