異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

【π限定SS】踏み込んでくれたその一歩に

公開日時: 2021年1月23日(土) 20:01
文字数:4,199

『俺に任せろ』

 

 ……まさか、ヤシロの口からそんな言葉が出て来るなんて思わなかった。

 

 これまで、幾度となく助けてもらって、何度となく頼らせてもらって、その度にヤシロはなんだかんだと言いながらも力を貸してくれた。でも、あくまで『なんだかんだと言いながら』だった。

 

 それは、ヤシロなりの線引きというか、ヤシロの中の譲れないラインなんだと思っていた。

 

 彼はきっと、自分から進んで人助けをすることで自分が自分でなくなってしまう。

 そんな風に考えているのだと、ボクはそう思っている。

 

 ボクが、自分自身を『一人の女』だと認めてしまうことを恐れているように。

 

『女の子』であることを辞めようとは思わなかった。

『男』になろうとも思わなかった。

 どうしたって力では男に敵わないし、あくまで貴族女性としての礼儀とマナーを蔑ろにするつもりはない。

 レディとしての扱いを要求したいし、女の子っぽい可愛い物だって大好きだ。

 

 でも、『一人の女』になるわけにはいかなかった。

 

 たとえばボクが誰かに恋をしたり、『女の武器』を使うようになったりすれば、ボクは今のボクではなくなってしまう気がしていた。

 

「でも、それが『中途半端だ』って、言われちゃったんだよね、きっと」

 

 ボクは『一人の女』にはなれないのに、いつまでも『女の子』でいたかった。

 都合よく、領主代行と女を使い分けていた。メドラの指摘は的を射ていた。図星だ。

 ……正直、あの言葉が一番きつかった。

 

 悪事をつまびらかにされた悪党は、きっとあんな感情を抱くのだろうね。

 背筋が凍り、頭が真っ白になって、世界が暗転する。

 後ろめたくて逃げ出したいのに、足がすくんで身動き一つ取れない。

 何も聞きたくないと叫び、そこにあるすべてをメチャクチャに引っ掻き回して逃げ出せればどんなに楽だろうかと考えてしまい……でも、何も出来ない。

 

 あの時、ヤシロが守ってくれなければ、ボクはみっともなく泣き叫んでいたかもしれない。

 あの場ですら往生際悪く、「仕方ないじゃないか! 知らなかったんだから!」なんて、か弱い『女の子』になって傷付いた顔を見せつけようとしたかもしれない。

 

「……助けられた……な」

 

 あの時のヤシロの背中が、どんなに頼もしかったか。

 あの時のヤシロの声に、どんなに救われたか。

 

 ヤシロが本気で怒ってくれて……ボクは惨めな人間にならずに済んだ。

 もしあそこにヤシロがいなければ、ボクは自分が情けなくて、みっともなくて、恥ずかしくて、もう二度と彼らの前には顔を見せられなかっただろう。

 オジ様やミスターハビエル、そしてメドラ・ロッセルの前には、立てなかっただろう。

 

 紙一重だった。

 崖っぷちだった。

 首の皮一枚、かろうじて繋がっただけだ。

 

 ボクは今日、一度死んだ。そんな気分だ。

 

 ヤシロが問題を起こさないように見張るだとか、ヤシロに迷惑をかけないように自分一人で立つだとか、格好のいいことを言っておきながら、結局いつもヤシロを頼って、ヤシロに助けられて、守られていた……

 

 それを自覚して、……情けなくて。

 

 今日一日泣き明かして、そして明日から気持ちを立て直そうと、そう思っていた。

 それくらいのことしか、考えられなかった。

 

 なのに……

 

 

『俺に任せろ』

 

 

 ……踏み込んできてくれた。

 こんなどうしようもないボクのために。

 

 きっとヤシロは、自分の中のルールを破ったんだ。

 あのお人好しは、どんなに善行を積もうが人を救おうが、二言目には悪態を吐いていた。

「巻き込まれた」「押しつけられた」「他人なんか知ったことか」「たまたまだ」「自分の利益のためだ」「しょうがねぇな」「なんで俺が」「今回だけだぞ」と……ふふ。最近は言い訳からも毒気が抜けてきているような気もするけれど。

 

 それでも、自分から手を差し伸べてくれるようなことは――

 それを認めるなんてことは、なかった。

 

「まったく……君という男は……」

 

 君に頼りっぱなしの不甲斐ない自分に嫌気が差して、それを全否定してやろうとしていたというのに。それを誇れだなんて……

 

 

『有能な人材を使いこなしてこその領主だろうが』

 

 

 ボクが君を使いこなせると思うかい?

 いつも振り回されてばかりで、こっちの思い通りになんかちっとも動いてくれないくせに、終わってみればこっちが想定していた以上の成果を出して見せてくれる。そんな傑物をさ。

 

 いや、でもそれは――

 

『視点なんぞいくらでも変えてやれ。屁理屈上等。他人がなんだかんだ言うなら、最高の結末を突きつけて黙らせてやれ』

 

 ――そう、ヤシロの言うように視点を変えてみるならば……

 

「もっと甘えろって、こと…………なの、かい?」

 

 君は、ボクが「助けて」と言えば、力を貸してくれるというのかい?

 ボクのために?

 決して、他人に善意を振りまくようなタイプじゃない君が、ボクにだけは特別に……

 

 それって……なんだか、まるで…………

 

「――っ!?」

 

 とんでもない想像をしかけて、慌てて首を振る。

 ないないないない。

 それはない。

 

 あぁ、ダメだ。

 予想以上に精神的に参ってしまっていたようだ。

 旅人が大樹を見つけて初めて足の疲労を認識したように……寄りかかりたいなんて思ってしまうのだから。なんなら、ここで休めなきゃ、この先は一歩も歩けないんじゃないかなんて、弱音を吐きそうになっているんだから。

 ボクの疲労も深刻なレベルに達していたらしい。

 

「……弱っている時に、優しくするなんて…………反則だ」

 

 これが、ヤシロ以外の男であれば、そこに下心の一つでも介在したのだろう。

 少なからず、そういう意図が含まれるのだろう。

 

 けれど、相手はあのヤシロだ。

 絶対にそれはあり得ない。

 それは断言できる。

 

 ヤシロなら、相手が弱っている時に自分の要求を有利に進めるようなアンフェアな真似はしない。

 もし彼がボクを口説くのなら、きっと正々堂々と真っ向勝負を仕掛けてくるだろう。

 彼は、そういう男だ。

 

「……ふふ。変だね、ボク。こんな、まるでヤシロを信頼しているみたいなこと考えちゃってさ」

 

 そもそも、ヤシロがボクを口説くなんてこと、あり得ないよ。

 はは……バカバカしい。

 

 まぁ、おかげで笑えたよ。

 オジ様の館にいる時からずっと、顔の筋肉が固まったみたいに動かなかったからね。

 

 明日は、約束通り陽だまり亭へ行く。

 ヤシロと、そしてジネットちゃんに会うんだ。

 怖い顔なんかしていられない。

 いつもの、明るい笑顔で会いに行かなきゃ。

 

 自然に笑えているかと確認しようかな、なんて軽く考えて――鏡を覗いて驚いた。

 

「……ぅえっ!?」

 

 

 ボクの顔は、自分でも驚くくらいに真っ赤に染まっていた。

 

 

 いや、……ないって。

 どうしちゃったのさ、ボク。しっかりしてよ。

 ヤシロだよ?

 ないない。あるわけない。

 あんな、会うたびにおっぱいおっぱい言ってるヤツなんて……

 

「弱ってたから……それで、ほら、優しくしてくれたから…………か、感謝の気持ちだよ、これは! うん、そう。そうだよ、うん……」

 

 誰もいない部屋で一人呟いて、鏡の中で真っ赤な惚け面をしている自分に言い聞かせる。

 

 ……なんだろう。

 鏡の中の自分に「はいはい」って、呆れられている気がする。

 くぅ……違うのに。これは、そういうんじゃないのにっ。

 

「すぅ…………はぁ…………」

 

 とにかく、普通にしよう。

 こんな顔じゃ、明日、とても陽だまり亭にはいけない。

 普通に……普通に…………

 

「や、やぁ、おはよう、ヤシロ。きょっ……今日も、いい天気、だねぇ……あはっ、あはは」

 

 …………ぎこちない。

 

 あれ?

 そういえば、こんなこと、以前にもあったような……

 

「……ぱいおつ、かいでー、だっけ?」

 

 そうだ。

 ヤシロにボクの笑顔は素敵じゃないって言われて、なんだかムキになっちゃって。

 あの時も、この鏡に向かって笑顔の練習してたなぁ……

 

 あの時も、なんだか今みたいに必死になって、ヤシロめ、ヤシロめぇ、って思いながら笑顔の練習を……ヤシロに認めさせてやろうって…………あれ、ちょっと待って。

 今と同じって……じゃあ、あの時からボクは、もしかして…………

 

「それはない!」

 

 そ、そもそもさ!

 あの時『から』ってなにさ?

 別に、今だってボクは別に、べ、別にそーゆんじゃ、別にないし……別に…………

 

 くっ!

 ヤシロが変なことばっかり言うから悪いっ!

 きっとそうだ!

 

「はぁ……とにかく、見せられる顔にしなきゃ」

 

 自然体の笑顔で陽だまり亭に行こう。

 自然体の笑顔で会おう。

 そして、自然体の笑顔で、今日のこと、もう一度ちゃんとお礼しよう。

 

 そして――

 

「今度こそ、パイオツ・カイデーって言わせてやる! 覚悟しろ、ヤシロ!」

 

 鏡を睨みつけると、そこに映っているはずのボクの顔がなんだかヤシロの顔に見えてきて、鏡の中のヤシロがボクに向かって言った。

 

 

『エステラ。お前の笑顔、素敵だぜ』

 

 

「――っ!? ナ、ナタリアー!」

 

 不吉な鏡をデスクに伏せて、ナタリアを呼ぶ。

 

「どうされましたか、お嬢様?」

 

 すぐに駆けつけてくれたナタリアに、入浴の準備をお願いする。

 少し温度を低めにして。

 

 冷水を浴びで頭を冷やそう。

 そう思ったのだ。

 今日の反省と、明日への決意のために。

 

「それでしたら、私もご一緒させていただいてよろしいでしょうか」

「一緒に?」

 

 ボクがまだ幼いころは、ナタリアにせがんで一緒に入ってもらっていたりしたけれど、ここ数年はそんなこともなく、ましてナタリアからそんなことを言ってくるなんて今まではなかった。

 何か理由があるのかと顔を覗き込めば、なんだか沈んだ表情をしてる。

 

「実は……お嬢様を元気づけていただく見返りにと、ヤシロ様にお嬢様のパンツを差し上げようとしたのですが……」

「何してたの!?」

「……受け取っていただけず」

「よかったぁ! ヤシロ、英断だよ!」

「もっと見やすくディスプレイしておけば、手に取りやすかったのではないかと……っ!」

「どこを反省しているのかな、君は!?」

「恩恵を受けただけで、何も返せていないというのは……モヤモヤします!」

「その話を聞かされて、今ボクの方こそがモヤモヤしているよ!」

「冷水で身を清めましょう!」

「あぁ、上等だとも! キンッキンに冷えた水をぶっかけてあげるよ!」

 

 その後のことは割愛するけれど、ナタリアは妙にボクのそばにいたがって……あぁ、気を遣ってくれているんだなと思った。

 ヤシロの影響か、ナタリアのボクに対する接し方も少しずつ変化している。

 それが分かって、少しだけ嬉しかった。

 

 

 ただまぁ、変な影響を受け過ぎないように、しっかりと目を光らせておかなければいけないけれどね。

 

 

 

 

 

 

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