「この店に足りないもの。それは、『格』だ」
ある朝。教会への寄付を終えて店に戻った後、俺は店内で持論を語る。
この場にいるのは開店準備を進めていたジネットと、ここ最近教会で朝食を食った後は決まって店までくっついてくるようになったエステラだ。
エステラへの代価の支払い――ゴミ回収ギルド開設に伴う労力に対し一週間の昼食を提供する――は、完了している。なのに、なぜお前は飽きもせず毎日ここへ来るのか……まぁ、邪魔さえしなければいいのだけれど。
「『格』っていうのは、『品格』ってことかな?」
俺の言葉に反応したのはエステラだった。
ジネットは言われた言葉の意味が理解できていないようで、キョトンとした顔をしている。
……頼りねぇなぁ、店主。
「『品格』だけでなくてもいい。『風格』があってもいいし、『格式』が高ければなおいい」
要するに、店のグレードを上げる必要があるのだ。
数日間、陽だまり亭の営業を見てきた俺がたどり着いた答えだ。
「『あってもいい』ということは、『なくてもいい』ということかな?」
「なくても営業は出来るさ。ここみたいに最底辺の大衆食堂だって、営業する権利だけはある」
ジネットが、「あれ、今酷いこと言われませんでしたか?」みたいな微かな反応を見せる。が、確信が持てないようで何も言ってこなかった。今日もこいつはどん臭い。
「それで、その『格』を上げると、何がどう変わるんだい?」
エステラの口調は、どこか面白がっているように聞こえる。
こいつ、俺を試そうとしてやがるな?
「『格』が上がれば、客の質が良くなる」
「お金持ちが大挙して押し寄せてくると?」
「いや。貧乏人以外来ないだろう、四十二区の片隅のこんな建ってるのが不思議なくらいのおんぼろ食堂になんか」
ジネットが、「あれ、あれ!? 今のは確実に酷いこと言われてますよね!?」みたいな顔をするが、また確証が持てなかったようで何も言ってこなかった。
神がかってるな、こいつのどん臭さは。
「じゃあ、なんのために『格』を上げるのさ? 客層や収入面では、結局のところ現状維持なんだろう?」
「まぁ、すぐに影響は出ないかもしれないが、中長期的に見れば確実にメリットがある」
「へぇ……具体的には?」
「客の質が良くなる」
「だから……話がループしてるよ?」
エステラが訝しげな目で俺を見てくる。
「ループはしていない。お前が理解していないだけだ」
「客層は現状維持で貧乏人しか来ないんだろう?」
「あぁ、貧乏人しか来ない。店が貧乏臭いからな。貧乏臭いところには貧乏臭いヤツしか寄ってこない。貧乏人フェスティバルだ」
ジネットが、「あれあれあれれぇ~!? 今のは絶対、絶対酷いこと言ってますよね!?」みたいな表情を見せるが、やはり確信が持てなかったようで何も言ってこなかった。
崇めてやろうか、どん臭い神様として? ほこら、作ろうか?
「だったら客の質は上がってないじゃないか」
若干イラついたように、エステラが語調を強める。
だからこいつは分かっていない。
「貧乏人の質が良くなるんだよ」
「……は?」
貧乏人が貧乏面下げて貧乏行為を行うのは、そこがそれを許容してしまう雰囲気だからだ。
例えば、百人の貧乏人を集めてバイキング形式のパーティーを催したとしよう。するとどうなるか? おそらく、争奪戦が始まるだろう。我先にと飯に群がり、邪魔な者を押し退け、中にはタッパーに入れて持ち帰ろうとしたり、落ちた物でも気にせず拾い食いする者まで出るかもしれない。
なぜなら、周りがみんな貧乏人で、その環境がそれを許容するからだ。
では、そのパーティーの出席者がみんな貴族級の金持ちなら? その中に貧乏人一人を放り込んだらどうなるか……
貧乏人は周りの空気に萎縮して、借りてきた猫のようになる。
そして、場違いな自分を顧みて恥ずかしささえ覚えるだろう。
「こんな服着てきてよかったのだろうか?」「そもそも、なんで自分がこんなところに……」とな。
客観的に見て明らかに自分が格下であり、且つ、自身がマイノリティであった場合の心細さと居心地の悪さといったら筆舌に尽くしがたいものがある。
高級ホテルや一流旅館は、値段だけでなくそういう『格』で客層の足切りをしているのだ。
「お客様は当店に相応しい方ですか?」とな。
それでも、どうしてもそこへ行きたい者は自分を磨き、取り繕い、表面上だけでもその場所に相応しい者であろうと努力する。
そう、客が自分を変えようと努力して、自発的に己の『質』や『格』を上げるのだ。
「――と、いうことで客の質が良くなる」
「そんなにうまくいくのかな?」
俺の話を黙って聞いていたエステラは、開口一番にそんな否定的な言葉を吐き出した。
こいつの喉元には毒袋でもついてるんじゃないか?
「居心地が悪くなったら、客は来なくなるだけな気がするけど? 食堂なんて他にいくらでもあるんだし」
「それは、ある一定以上の集客実績がある店が考えることだ。ここみたいに茶飲みババアと食い逃げヤロウしか来ないような店の言うことじゃない。言う資格がない」
「あ、あの……!」
ジネットが、「今回ばかりは言わずにいられません!」みたいな顔で俺に声をかけてくる。が、目が合うと、「……いえ、なんでもないです」と、引き下がってしまった。
どん臭い神様のご利益って、どん臭くなることなのかな? ならお参りしないでおこう。
「客足が遠のくのを恐れて守りに入るような段階じゃない、ということだね?」
「まぁ、そうだ」
エステラはようやく理解してきたようだ。
喉の奥のつっかえが取れたような表情を見せる。いや、まだ小骨くらいは引っかかってるって顔かな。
「新規の客が来た時に、店の中にいるのが品のかけらもないゴロツキばかりだったらどうよ?」
「ボクなら、二度とその店には行かないね」
「そういうことだ。集客アップを図る前に、こちらの地盤を固めなければ意味がない」
基礎工事をおろそかにして高層ビルを建てるようなものだ。それは、『愚か』という人類にとって最も忌むべき罪悪だ。
人は『愚か』であってはいけない。
人は『利口』にならなければ。
「言いたいことはだいたい分かったよ」
「それはよかった。店主は一切理解していないだろうけどな」
「そ、そんなことないですよっ!?」
慌てた様子でジネットが話の輪に入ってくる。
「か、『格』を上げましょうっていうことでござますですわよね?」
「それがお前の限界か?」
「ジネットちゃん、無理しなくていいからね」
「あぅう……優しさがなんだか痛いです……」
落ち込むジネットの頭をエステラがあやすように撫でる。
ジネットに『品格』やら『風格』を求めるのは土台無理な話なのだ。
取り繕った『格』は、すぐにボロが出て崩壊する。
客は見せかけでもまぁ許容されるが、受け入れる側がそれではダメだ。
格上の客が来た時なら尚のこと、ボロを出すようなことがあってはいけないのだ。
だからこそ、『無理はしない範囲で可能な限り格を上げる』ということが重要になる。
なにも、陽だまり亭を一流料亭にしようなんてことじゃない。俺はそこまで無謀じゃないからな。
「まぁ、要するにだ。無いに等しく埋没したド底辺以下のこの店の格をほんのちょっとだけでも嵩上げしていっぱしに見えなくもない程度には体裁を整えようってことだ」
「酷いです、ヤシロさん!」
ジネットが「あぁ、やっと言えました」みたいな達成感に満ちた表情をしている。
こいつの達成目標低くていいよなぁ。人生楽しそうだ。
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