「ご……ご無体やで……自分……」
レジーナが床の上に転がってぴくぴくと小さく痙攣している。
……ふんっ。毎度毎度ミリィにいらんことを吹き込んでいた罰だ。
なぁに、ほんのちょっとキツめのお仕置きをしてやっただけだ、気にするほどのことじゃない。
「せ……せやけど…………ちょっとだけ、クセになりそうや……」
ぴくぴくしているレジーナが、ぽっと頬を染める。
気にしなきゃいけないかもしれないっ!? やめろレジーナ! そっちの道はいばらの道だぞっ!?
というわけで、俺は今、レジーナの店にやって来ている。
試作で使った分、香辛料が足りなくなって追加をもらいに来たのだ。
本格的な入荷は来週になるそうだが、ここにはまだ幾分かの蓄えがある。まぁ、なんとか持つだろう。
「んじゃ、香辛料もらっていくぞ」
「ほいほい。ウチもまた、カレー食べに行くわ。アレはウチ的にも久方ぶりの大ヒットやさかいな」
香辛料の国の変態薬剤師は、カレーライスを甚く気に入ったようだ。なんでも研究魂に火が点いたようで、各食材ごとによく合う配合を研究してくれるらしい。シーフードカレーとかも出来るかもしれんな。
「でも、これだけ香辛料もらって、本当にこんな値段でいいのか」
かつてノルベールからくすね盗った……おっと、聞こえが悪いか……なんやかんやで俺の手元にやって来た香辛料の値段を考えると、レジーナから購入している香辛料の値段は、正直、破格なのだ。
「あぁ、えぇねん、えぇねん。それ、ウチが個人的なルートで仕入れとるヤツやさかい」
「いや、だとしてもさ、原価とか……」
「なに言ぅとんねんな。経済の素人でもあるまいに」
いや、俺は経済のプロではないんだが……
レジーナはからからと笑い、床に寝転がったままで俺を見上げてくる。
「この街の砂糖かて、貴族の砂糖はメッチャ高いやろ? それと似たようなもんや。わざわざ命がけで輸出するもんやからな、利益の上がるもんだけが違う街に持っていかれるっちゅうわけや」
レジーナの言うことはもっともで、考えてみれば当然のことだ。
この世界では、『貴族ブランド』的なものが存在する。
この街、オールブルームで例えるなら、サトウキビから作られた砂糖は、いわゆる『貴族砂糖』で、非常に高価だ。庶民が手を出すことなど出来ない、超々高級品なのだ。
一方、砂糖大根から作られた砂糖は、四十二区のド庶民が気軽に購入できるような値段だ。
現在四十二区でケーキが流行し、誰でも気軽に食べられるほど普及しているのは、そのお手頃価格のおかげなのだ。
同じ『砂糖』でも、貴族が絡むと価格は数十倍から数百倍に跳ね上がる。
もし、魔獣が跋扈する街の外を通り、広大な大地を旅して、命がけで運んで商売をするのであれば、俺は間違いなく価値の高い物を持っていく。
命がけの行商で、薄利多売などやっていられないのだ。荷物は嵩張らず価値の高いものに限る。
つまり、ノルベールが持ってきていたアノ香辛料はそういう香辛料だったってわけだ。
ノルベールは三十区の領主と、バオクリエアの貴族との間に契約を結ぶ、貴族御用達の行商人だった。そのことを踏まえて考えてみても、ヤツが扱うものは『貴族に相応しい逸品』であることがうかがえる。
それに、貴族ってのは見栄の生き物だ。あえて高価な物を欲しがる理解しがたい生き物なのだ。
他国の貴族が認めた超々高級品であり、尚且つ、貴族御用達の行商人が命がけで運んできた香辛料だ。
アノ香辛料が50万Rbってのも頷けるな。
「で、お前が個人的に仕入れてるのは、四十二区の砂糖みたいなもんだってことだな?」
「せや。輸送費のせいで、バオクリエアより割り高になっとるんはしょうがないけど……こういうもんはな、『使うことにこそ意味がある』んや。アホみたいな値段つけて自慢して回るような工芸品とは違うんや」
まぁ、50万Rbの香辛料はなかなか使いづらいよな。
「輸送費言ぅても、他のもんと一緒に持ってきてもろぅとるさかいに、割引き価格なんやわ。せやから、値段のことは気にせんと遠慮なく持ってってんか。ほんで、美味しいカレーをリーズナブルな価格で売ったってや。ウチもその方が嬉しいわ」
「分かったよ。サンキュウな」
「なんでお礼やねんな。気持ち悪いわぁ」
くつくつと笑い、レジーナは手をパタパタと振る。
……つか、いい加減起き上がれよ。いつまで床に転がってるつもりだ?
「そういやさぁ……」
ついでなので、ちょっと気になっていたことも聞いておく。
「大雨の時に、香辛料が市場から消えたって言ってたけどさ、あれって……」
「あぁ、貴族の香辛料のことや。あとになって聞いた話やけど、どっかの行商人がなんかやらかしてもうたらしぃてなぁ。それでこっちの貴族連中と行商ギルドが、バオクリエアの貴族とのトラブルを恐れて香辛料の流通を制限しとったんやと。おかげでこっちは、薬に使う分すら手に入らんで難儀したでぇ」
「その、独自のルートってので手に入れられないのか?」
「アホやなぁ……そんな金になるもん、貴族が自由にさせるかいな。持ち出しも持ち込みもえっらい厳重に取り締まられとるんやで」
「……利権まみれの守銭奴どもめ」
さらに聞くと、レジーナが個人的に輸入している香辛料は『植物の種』『香草(野菜)』として扱われ、入門税が香辛料に比べてべらぼうに安いのだとか。
そこに、貴族の香辛料なんかを紛れ込ませると、他の香辛料まで税を上げられる可能性がある。
なので、貴族の香辛料のような目立つものは、行商ギルドから購入するようにしているのだそうだ。
まぁ、謎の薬剤師が謎の草を買っていても怪しまれないし、香辛料に興味を示してもただの酔狂だと思われるかもしれないな。
こいつがこれまで平穏に暮らしてこられたのは、こいつの謎オーラが濃密だったせいかもしれない。
「ホンマはな、貴族の香辛料なんか高いだけで、値段ほどの価値なんかないんやで? けど、あの時の薬を作るにはどうしても欠かせへん材料でな……そういうことがいつまた起こるか分からへん以上、ウチは高い金を出してでも貴族の香辛料も手元に置いておきたいんや」
「それで、市場の調査は怠りなく行っているわけか」
「多少は見直したか? 褒めてもえぇでぇ~」
「それが無きゃ、褒めてやってたんだけどな」
軽くあしらってやると、「それこそがご褒美や」とばかりに、レジーナがにししと笑う。
そんな「おいしいわぁ」みたいな顔すんな。芸人じゃあるまいし。
「んじゃ、帰るな」
「ん~、気ぃ付けてな~!」
店を出ようとして、ふと立ち止まる。
……こいつは気が遣えるヤツなのか、それとも、たまたまなのだろうか…………
「どないしたん?」
「あ、いや…………なぁ、お前さぁ」
「ん~?」
問いかけようとして……やめた。
「いや、なんでもない」
「変なやっちゃなぁ。早よ帰らな、店長はんがおっぱいぷるぷるさせて待ってはるで」
「マジで!? ぷるぷるさせて!? 急いで帰ろう!」
「はは……ホンマ、あほやなぁ、自分」
自分で振ったくせに呆れた表情を見せるレジーナ。
乗ってやっただけだろうが。
「じゃあ……な」
「ほいほい。ほな……ね」
……マネされた。
くそ、一瞬の迷いをまんまと見抜かれてしまったわけか。
どうも最近、言いにくくなった言葉があるのだ。
言うのも……聞くのも、ちょっと躊躇ってしまう。そんな言葉が。
ま、俺は他所者だしな。
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