「こちらでお待ちください」と通されたのは、敷地内のかなり奥の方に建てられている家屋だった。
二階建ての二階、一番奥の応接室のような場所へと入れられる。
置かれた家具はどれも落ち着きがある渋めの品で、きらびやかさはないが、高級感はありまくりな、そんな雰囲気の部屋だ。
老舗旅館を思わせる詫び寂びがある。
アッスントによれば、奥のこの建物は相当な信頼関係を築き上げた者しか入れてもらえないのだそうだ。
「最初は、入り口脇の詰所のようなところへ通されましたからね」
まずは門番と話し、詰所の責任者と話し、さらに上の者と話し、ようやく麹職人との面会がかなって、豆板醤を盛大に売り込み、それだけの段階を経てたどり着いたのがこの建物なのだそうだ。
魂が擦り切れるほどの熱意と時間を要したらしい。
「豆板醤がなければ、おそらく会ってももらえなかったでしょうね」
ここの麹職人は気難しいと評判で、機嫌を損ねると面会はおろか仕事上での付き合いも出来なくなるらしい。
果たして、どんなババアがやって来るのか……頑固ババアの相手をするのかと思うと気分が重くなるが……そのババアは金を生むババアだ。金ババアだと思えば、沈んだ気持ちもいくらか浮上してくるというものだ……
「ババア、ババア、ババア、ババア、ババア、ババア、ババア、ババア」
「どうしたのさ、急に!?」
「いや、なんとなくなんだが、絵に描いたようなババアを見ると『ババア』って言葉が口を突いて出てきそうな気がしてな……今のうちに言っておこうかと」
「危険極まりないね……今のうちに気が済むまで言っておくといいよ」
今言っておけば、どんなババアが出てきても、「思ってた以上にババア!」とか言わずに済むだろう。
一年分くらいのババアをここで言い捨てておこう。
「おや? あぁ……そうでしたか」
そんな俺を見て、アッスントが目を丸くする。
そして、何が面白いのか頬を緩めてにやにやし始めやがった。
「……んだよ?」
「いえ。己の至らなさに感嘆していたところです。私としたことが、情報の共有を怠ってしまうとは…………んふふ。しかし、そうですか……そんな風に…………んふふ」
なんだ、気持ちの悪いヤツだな。
つか、『感嘆』ってのは、喜んだり感心したりすることと、嘆いたり悲しんだりすることのどちらにも使えるんだよな…………さて、どっちの意味で感嘆したんだかな、あいつは。
脚の低いソファに座り、にやにや笑うアッスントを睨む。
俺とエステラは座っているが、アッスントとナタリアは壁際に立っている。
立って出迎えなきゃいけないような相手なのかねぇ……と思っていると、静かにドアが開き、一人の老女が部屋へと入ってきた。
顔には深く長い皺が刻み込まれており、猛禽類のような鋭い瞳と細くきりっとした眉毛がきつそうな印象を与える。
むすっとした表情は不機嫌さよりも厳しさを感じさせる。
こんな教師がいたら、絶対苦手としただろうなというような、そんな婆さんだ。
世界にただ一人の職人と言われりゃ、思わず納得してしまいそうな風貌だ。
ルシアのような威厳こそないものの、苦労がしっかりと身になり年齢に説得力を与えている。
俺とエステラが同時に腰を浮かせると、婆さんは静かに手を持ち上げ、「そのままで」と俺たちを制した。座っていろということらしく、俺たちは素直に従った。
薄く開いた口から大量の酸素を体内へ取り込んだのち、婆さんは想像通りのきつそうな声で、静かに言った。
「まもなく、リベカ様がおいでになられます。もうしばしお待ちを」
言い終わってから静かに腰を曲げ礼をする。
……こいつじゃ、ないのか?
呆気にとられていると、婆さんは入ってきた時と同じように静かに部屋を出ていく。
「彼女は、麹職人の右腕、バーサ・ヘイウッドさんですよ。こういった面会などの段取りや手続き、工場の経営などを一手に任されている方です」
麹職人は、麹の管理に全精力を注ぎ込み、それ以外の雑務や執務はすべてあのバーサという婆さんが担っているのだそうだ。
それであの貫禄か。
あんな人物を動かせる人物か……厄介そうだ。
とりあえずは話してみて、相手の出方を窺うか。
――ガチャリ。
静かにドアが開いた瞬間、室内の空気が急に張り詰めた。
誰かが部屋へ入ってくるのに合わせて、アッスントがギュッと身を引き締めたのだ。
釣られるように、こちらの体も軽く萎縮する。
「少々待たせてしまったようじゃの。すまんかった、許せよ」
入ってきた人物を見ようとドアに視線を向けると、視界のギリギリ下の方に白いもふっとしたものがぴょこんと揺れていた。
そのまま、視線をゆっくりと下降させる。
「遠いところご苦労じゃったな。わしが、麹職人の頭、リベカ・ホワイトヘッドじゃ」
ぱたりとドアを閉めその前でふんぞり返っているのは、真っ白なもこもこしたウサ耳を生やしたとてもミニマムな幼女だった。
ウサギ人族か。それにしても小さい。マグダより小さいかもしれない。ハム摩呂以上マグダ未満、数字にすれば110センチ程度といったところか。
手足はすらっとしているし、言葉も明瞭。何よりはっきりとした意見を持っていそうなので、本来ならば少女と表現するべきなのだろうが、大きくくりくりした瞳と得意満面な小憎らしい笑顔を見てしまっては、幼女と表現したくなってしまう。
「おい、なんだこの幼j……」
「はい、ストップです、ヤシロさん」
肩を割と強めに叩かれた。
アッスントが商売人の顔で俺へ視線を向け、小声で情報を寄越してくる。
「その言葉は禁句です。いえ……『それ関連の言葉』と言い直しておきましょう」
察するに、「幼女」「子供」「ガキ」「ちんちくりん」「エステラレベル」とか、そのような類の言葉を、この幼女は嫌うのだろう。
幼女とは、得てして子供扱いされることを嫌うものだ。
この幼女も、例に漏れずその手の幼女なのだろう。
見た感じ、五~六歳というところか。
「聞こえておるぞ、アッスントよ」
「えっ!? ……あ、あは、あははっ。さすがは、お耳がよろしいようで」
「むふん。まぁ、いいじゃろう。ここへ来る者は大抵、わしの姿を見て驚きおるからのぅ」
気難しいと噂の麹職人。
そんな前情報をもらえば、誰だってそれなりの年齢の者を想像するだろう。
俺が最初に想像したのは、頑固そうな白髪交じりのオッサンだった。
それが、まさかこんな幼女だったとは…………そりゃ誰でも驚くわ。
「しかし、わしは意外との、わしを見て驚く者たちの間の抜けた顔を見るのが好きじゃと感じておるのじゃ。小馬鹿にされれば腹も立つが、純粋な驚きは座興にもなろうというものじゃ」
「えぇ。そうでしょうとも。ですので、みなさんには何も伝えずお連れしたのです。彼らは、私の愛すべき友人であり仲間……間違っても無礼を働くことはないと信頼して、このような対応を取らせていただきました」
よく言うぜ。さっき「情報共有を怠っていた」とか言ってたくせに。
転んでもただでは起きないあたり、根っからの商人だなお前は。さも計画通りと言わんばかりの顔だ。
「憎い演出をする男じゃの……くっくっくっ」
くつくつと、喉を鳴らして笑う麹職人リベカ。
ホワイトヘッドという名に恥じない見事な白髪がふわりと揺れる。
「みなさんもすみませんでした。驚かせてしまいまして」
一切反省の色が見えない顔で、アッスントが軽く頭を下げる。
なるほどな。
こういう小さなポイント稼ぎをして取り入ったわけか。
さしずめ、お前はそこの幼女にとって「面白いものを提供してくれるオジサン」ってわけだ。
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