「ベルティーナさんは、好意で四十二区に留まっているわけではありません。あの方は、あそこにいなければいけない方なのです」
突然の全否定に、エステラが息をのむ。
そろっとこちらに視線を向けてくるが、俺に分かるわけないだろう。黙って話の続きを待つ。
「ベルティーナさんは、精霊神様に選ばれた唯一のシスターなのです」
「精霊神様に……選ばれた?」
エステラの表情が困惑の色を増す。
エルフで美人で年を取らず衰えず、鋼鉄の胃袋を持つベルティーナ。
確かに特殊な人間であるのだろう。
そもそも、ベルティーナ以外にエルフってのを見たことがない。
だが、それは人種的なものであるはずだ。
獣人族が人智を超えるパワーを持っているのと同じように。
精霊神に選ばれたってのは、一体何を指しているのだろうか。
「あの方だけが、精霊神様のお告げを耳にすることが出来るのです」
「……あ」
俺は、随分と前にジネットから聞いた話を思い出していた。
ベルティーナはたまに夢でお告げを聞き、湿地帯へ向かうことがあった。
そして、そんな時は必ず新しい家族が増えるのだと。
それはつまり、湿地帯へ子供が捨てられた時に、精霊神から何かしらのメッセージが発信され、それをベルティーナだけが受信できる――ということなのではないだろうか。
……なんだろう。
ジネットの話を聞いた時は、捨てられた子の命を守るためにベルティーナに授けられた特殊能力、みたいな解釈をしていたのだが……今はなんとなく――精霊神が湿地帯を守るために紛れ込んだ異分子を排除させている――ような気がする。
語り手によって、同じ話でも受ける印象が違うもんだな。
「ベルティーナさんがあの場所にいることで、カエルが街へ溢れ出してこないのです。つまり、あの方がこの街を守ってくださっているのです……たった一人で」
おっと。
語り手は俺と違う解釈で話をしていたようだ。
カエルは精霊神に見捨てられた存在。
だから、精霊神の加護を受ける人間たちの世界とは隔離し、閉じ込めている。
それを監視するのが、精霊神のお告げを聞ける唯一のシスター、ベルティーナだと。
……う~ん。
なんかピンとこない話だ。
ベルティーナの性格を考えると、そういうんじゃない気がするんだよなぁ。
ベルティーナに似合うのは『監視』ではなく、『保護』の方だ。
「シスターには、その者に適した場所で、その者にしか救うことが出来ない者たちに手を差し伸べる役割があります。私が、ここにいるように」
自身の胸に手を当て、一種の誇りを持ってソフィーが言う。
傷付いた獣人族を救うために自分はここにいるのだと、そんな強い意志を見せつける。
ベルティーナと同じように――とでも言いたそうだ。
「そうねぇ」
にっこりと、そしてのんびりと、老シスター・バーバラが言葉を漏らす。
ソフィーを見つめ、咎めるでなく、諫めるでなく、ただ一つの事実を話すように。
「何を思い、どこに留まるのかはその人個人の意思によるもの。それは否定できません。でもね、他の方の意思までもを見透かすことは出来ませんよ」
そう。
ベルティーナが何を思い、あの場所に留まっているのか……それは、ベルティーナ本人にしか分からないことだ。
だが――想像することなら出来る。
「私には、シスター・ベルティーナは、使命感に縛られているようには、見えませんものねぇ」
バーバラが顔をくしゃりと歪めて笑う。
刻まれたしわが一層深くなり、言葉に説得力を持たせている。
こんな顔で言われたら、反論は出来ないだろう。
バーバラの言葉を聞き、ソフィーのウサ耳がかすかに垂れる。
「シスター・ソフィー」
そんなソフィーに、エステラが静かに声をかける。
「ベルティーナさんは、確かに素晴らしいシスターです。でも、それ以上に、素晴らしい女性であり、素晴らしい母であり、素晴らしい――ボクたちの友人です」
「……友人」
「ベルティーナさんは、あなたのことをとても嬉しそうな顔をして話してくれていました」
「ベルティーナさんが!?」
「えぇ、それはもう」
「そう…………なのですか」
ソフィーの表情がほころんでいく。
本当に嬉しそうな笑みを浮かべている。幸せを噛み締める。そんな表情だ。
「だから、シスター・ソフィーも一度、ベルティーナさんのことを『シスター』としてだけでなく、一人の『大切な友人』として考えてみてください」
「友人……ベルティーナさんを?」
「そうです。そうすれば、ベルティーナさんの違う一面が見えてくると思います。彼女は、一面的な人物ではなく、もっと魅力的で、面白い人ですから」
ソフィーの口がぽかーんと開く。
目から鱗がぽろぽろ零れていく様を幻視できそうな表情だ。
「ねぇ、ソフィー」
バーバラがソフィーの背をぽんと叩く。
そして、幼い子にするように、柔らかい声で語りかける。
「あなたも使命感だけではなく、もっと大切なものを見つめてみなさい。そうすれば、シスター・ベルティーナが見ているような色鮮やかな世界が見えてくるかもしれませんよ」
「ベルティーナさんの見ている……色鮮やかな世界…………」
こうでなければいけない。
こうあるべきだ。――と、そんな使命感でシスターをやっているのであれば、世界は随分と単調な色に見えることだろう。
ベルティーナは教会のガキどもを育てる上で、何よりも自分が全力で楽しんでいる。そうすることで、その姿を見たガキどもが心から人生を楽しめるようになると信じているから。
ベルティーナの大食いが始まったのも、そこがきっかけだったらしいしな。
ソフィーははじめ、こちらの用件や素性を確認する前に問答無用で会話を拒絶していた。
人間を、傷付いた獣人族のガキどもに会わせないために。
そうすることが、ここのガキどもを守ることになると、本心から信じているから。
そんな、規則やルールを重んじるソフィーには、まだ少し難しいことかもしれないが……
ベルティーナみたいなやり方もある。
そういう柔軟な発想を持って接した方が、ガキどもの可能性ってのは広がっていくんじゃないかな。
ほら。現に俺は鬱陶しいほどに懐かれちまったわけだしな。
「ですから、あなたもこだわらなくてもいいのですよ……妹さんのことや家族の……」
「あっ! 誰か来たようです! 私、ちょっと見てきます!」
バーバラの言葉を遮るように大きな声を上げて、ソフィーは門の方へと走っていった。
脇目も振らず、こちらの反応も見ずに。
まるで逃げ出すように。
「……あの娘も、もう少しシスター・ベルティーナのような余裕を持てればいいのですが」
ため息は吐かず、それでも少しだけ寂しそうにバーバラが呟く。
ソフィーは、どうもリベカを避けているようだ。
門の前でも感じたことだが、会わないようにしているらしい。
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